10日ほど前から,両手の甲を中心に「虫さされ」のような跡が何ヶ所も発生するようになった。最初の4~5日は市販の「かゆみ止め薬」などを塗って対処していたが,一向に良くならず,それどころか患部がだんだんと増殖・成長・拡散してきて何やら悲惨な状況になりつつあるように思われたので,自家判断(自力更正)をあきらめて潔く医者の力を頼ることにした。
念のためインターネットで関連事項を検索してみると,どうも次のような症状に近いように思われた。『からだのあっちにぽちぽちこっちにぽちぽちと気まぐれの感じのかゆい赤いぶつぶつが見られた場合はダニに刺されたものと考えてよいでしょう。最近見られるダニ刺症はツメダニ(ケカロプシス)によるものが殆どです。ツメダニはたたみ,じゅうたん,ふとん,布製いす,ぬいぐるみ,その他の布製品とわら製品に生息します。新しい家具などについてくることがありますので要注意です。。。。(by平松皮膚科医院)』
ところで,当地においては皮膚科を開設している病院・診療所がごく少ないため,当方に医者選択の余地はほとんどないのだが,その限られた二,三について検討した結果,お隣の北地区にあるクリニックで診てもらうことに決めた。東地区に位置する拙宅から当該クリニックまでの距離は約3.7km。標高差は約70mである。うん,これは適度ないい運動になるぞ,というわけで自転車で行くことにした。
往路はほとんどが上り坂ゆえ,ゆっくりのんびり自転車を走らせ,約20分かけて目的地に到着した。そのクリニックは小児科を併設しているため(むしろそちらの方がメイン),待合室には乳幼児とその母親ばかり。草臥れた中年男1名は少々場違いな感じであった。
10分ほどして私の順番が回ってきた。そして診察室に入り,私より少し年長の先生と概略こんなやりとりを交わした。
医者: ありゃ,ヒドイですね,これは。最近,野山を歩いたりしましたか?
私: いえ,歩いてません。行きたいは行きたいんですけれども(^_^;)
医: 何かのアレルギーでしょうけれどねぇ。。。。
私: 例えば,家ダニなどが原因でしょうか?
医: いや,それはわかりません。。。。 何か薬品なんかを扱っていますか?
私: 生物関係の仕事をしているので,フォルマリンはよく使います。
医: フムフム。。。
私: もっとも,20年以上前から使ってますけど,今までは特に何ともなかったように思います。
医: フムフム。。。。。。
私: とにかく,カユイのが非常にツライんですけど。
医: とりあえず,薬を出して二日ほど様子をみましょう。
私: そうですか。
医: カユイのは極力我慢して,決して掻き壊さないこと。
私: はい,わかりました。
医: お風呂には入らずにシャワーだけにすること。
私: はぁ,わかりました。
医: それから,出来るだけこまめに冷やすこと。
私: は? わかりました。
医: じゃあ,二日後にまた来て下さい。
私: はい。どうもありがとうございました。
簡潔にして無駄のない説明であった(こちらが余計な口を挟む隙間もないほどに)。そして,ヨクワカラナイ太い注射を打たれ,塗り薬と飲み薬をもらい,そそくさとクリニックを辞した。
帰路のルートの大部分は,葛葉川沿いの道を選んだ。丹沢山塊三ノ塔にその源を発し,秦野盆地の北麓に沿って東流する二級河川金目川の一支川である葛葉川の,羽根人道橋(標高195m)付近から葛葉大橋(標高130m)付近までの区間で,距離延長にして約2,600m,河道幅員は概ね15~20m,平均河床勾配は1/40とかなりの急流河川の状態を呈している。従って,流路にはコンクリートの落差工,帯工,水制工などの河川構造物が多数設置されている。数えてみると,その区間内だけで合計47箇所(高低差:最大150cm,最小30cm)の落差工があった。特に落差工の直下に帯工を併設して上・下二段(主・副)形式としているものが多く,上段と下段の間は長さにして約5~10m,水深は数cm程度と均一で浅く,広々としたコンクリートのタタキになっている。ヲイヲイ,こんなんじゃ大型魚類などは全然移動できやしないゾ(もしそんな魚(例:イワナ・ヤマメ)が生息していればの話だが)。それに,小型魚類だって遡上ジャンプをしようにもほとんど不可能だゾ(もしそんなガッツのある小魚(例:稚アユ)が生息していればの話だが)。その歴史を少し辿れば,今から100年ほど前にはヤマメもアユもここらには確実に生息していた筈である。けれど現実には久しく「魚のいない川」になりおおせている訳であるからして,幸か不幸かそのことが特に問題視されることもなく,流域住民は川との係わりを意識的に避けて日々の暮らしをくらしているように思われる。
しかしながら川の方はそんなことにはお構いなく,重力の法則に従って絶えず上流から下流へと流れ続けているのである。当たり前の話だ。折しも,昨夜までの台風6号による大規模な出水で川の流量はいっそう水嵩を増し,怒濤の急流となって落差工の辺縁を滝のように叩き落ちている。両岸の大部分はコンクリート護岸がキッチリと施工されているが,河道内には砂礫堆のマウンドが各所に発達しており,その高水敷にはツルヨシ,ミゾソバ,カワラヨモギ,アレチウリ,キクイモ,オオブタクサなどの様々な河原植物が自生し,加えて周辺在住の好事家の手になると思われる小規模な菜園や花畑などもパッチ状に分布する。それらの緑の回廊を流れは一気に貫き,まるで緑地帯をなぎ倒し舐め尽くす邪悪なサラマンダーのように白波を立てて荒々しい屈曲を繰り返している。その様は,何者かに対して果敢に復讐しているかのごときである。その光景は私にとって,例えていえばまるで梅雨時の日光の竜頭の滝のような,あるいは融雪期の奥入瀬渓谷のような,眩しいほどに心ときめかす眺めに映じた。やや強い風が川面を渡り,私の自転車の背中をスーッと押すようにして一緒に下流方面へと下ってゆく。思わず慌てて自転車を止め,しばし水の流れゆく様に見とれてしまった。唐突ながら,宮澤賢治の詩の一節が思い浮かぶ。
日ざしがほのかに降ってくれば
またうらぶれの風もふく
にわとこ藪のうしろから
二人の女がのぼってくる
「けら」を着 粗い縄をまとい
甘草の花のように笑いながら
ゆっくり二人がすすんでくる
その蓋のついた小さな手桶は
今日は畑へ飲み水を入れてきたのだ
今日でない日は青いつるつるの蓴菜を入れ
欠けた朱塗りの碗を浮かべて
朝の爽やかなうちに町に売りに来たりもする
鍬を二挺ただしく「けら」にしばりつけているので
曠原の淑女よ
あなたがたはウクライナの舞手のようにみえる
......風よ たのしいおまえのことばを
もっとはっきり
このひとたちにきこえるように云ってくれ......
何のことはない。全ては妄想のタマモノである。川にまつわる不幸な話は,それこそ病葉の数ほどあるのだろう。私はそれらを少しでも多く採集し,さらに可能な限り同定し計測したいと思う。ダムがどうたら,河口堰がこうたら,護岸改修工事が何たらと,人々が必要以上に声高に主張するこの時代,師父達の寡黙で地道な営みに思いを馳せつつ,ごくアタリマエの川の歴史を辿っていきたいと思う。
それにしても皮膚科の話がとんだ方向に進んでしまった(面目ない)。ところで,梅雨明けはまだかいな? そろそろ川に出掛けなくちゃならんもんで。
念のためインターネットで関連事項を検索してみると,どうも次のような症状に近いように思われた。『からだのあっちにぽちぽちこっちにぽちぽちと気まぐれの感じのかゆい赤いぶつぶつが見られた場合はダニに刺されたものと考えてよいでしょう。最近見られるダニ刺症はツメダニ(ケカロプシス)によるものが殆どです。ツメダニはたたみ,じゅうたん,ふとん,布製いす,ぬいぐるみ,その他の布製品とわら製品に生息します。新しい家具などについてくることがありますので要注意です。。。。(by平松皮膚科医院)』
ところで,当地においては皮膚科を開設している病院・診療所がごく少ないため,当方に医者選択の余地はほとんどないのだが,その限られた二,三について検討した結果,お隣の北地区にあるクリニックで診てもらうことに決めた。東地区に位置する拙宅から当該クリニックまでの距離は約3.7km。標高差は約70mである。うん,これは適度ないい運動になるぞ,というわけで自転車で行くことにした。
往路はほとんどが上り坂ゆえ,ゆっくりのんびり自転車を走らせ,約20分かけて目的地に到着した。そのクリニックは小児科を併設しているため(むしろそちらの方がメイン),待合室には乳幼児とその母親ばかり。草臥れた中年男1名は少々場違いな感じであった。
10分ほどして私の順番が回ってきた。そして診察室に入り,私より少し年長の先生と概略こんなやりとりを交わした。
医者: ありゃ,ヒドイですね,これは。最近,野山を歩いたりしましたか?
私: いえ,歩いてません。行きたいは行きたいんですけれども(^_^;)
医: 何かのアレルギーでしょうけれどねぇ。。。。
私: 例えば,家ダニなどが原因でしょうか?
医: いや,それはわかりません。。。。 何か薬品なんかを扱っていますか?
私: 生物関係の仕事をしているので,フォルマリンはよく使います。
医: フムフム。。。
私: もっとも,20年以上前から使ってますけど,今までは特に何ともなかったように思います。
医: フムフム。。。。。。
私: とにかく,カユイのが非常にツライんですけど。
医: とりあえず,薬を出して二日ほど様子をみましょう。
私: そうですか。
医: カユイのは極力我慢して,決して掻き壊さないこと。
私: はい,わかりました。
医: お風呂には入らずにシャワーだけにすること。
私: はぁ,わかりました。
医: それから,出来るだけこまめに冷やすこと。
私: は? わかりました。
医: じゃあ,二日後にまた来て下さい。
私: はい。どうもありがとうございました。
簡潔にして無駄のない説明であった(こちらが余計な口を挟む隙間もないほどに)。そして,ヨクワカラナイ太い注射を打たれ,塗り薬と飲み薬をもらい,そそくさとクリニックを辞した。
帰路のルートの大部分は,葛葉川沿いの道を選んだ。丹沢山塊三ノ塔にその源を発し,秦野盆地の北麓に沿って東流する二級河川金目川の一支川である葛葉川の,羽根人道橋(標高195m)付近から葛葉大橋(標高130m)付近までの区間で,距離延長にして約2,600m,河道幅員は概ね15~20m,平均河床勾配は1/40とかなりの急流河川の状態を呈している。従って,流路にはコンクリートの落差工,帯工,水制工などの河川構造物が多数設置されている。数えてみると,その区間内だけで合計47箇所(高低差:最大150cm,最小30cm)の落差工があった。特に落差工の直下に帯工を併設して上・下二段(主・副)形式としているものが多く,上段と下段の間は長さにして約5~10m,水深は数cm程度と均一で浅く,広々としたコンクリートのタタキになっている。ヲイヲイ,こんなんじゃ大型魚類などは全然移動できやしないゾ(もしそんな魚(例:イワナ・ヤマメ)が生息していればの話だが)。それに,小型魚類だって遡上ジャンプをしようにもほとんど不可能だゾ(もしそんなガッツのある小魚(例:稚アユ)が生息していればの話だが)。その歴史を少し辿れば,今から100年ほど前にはヤマメもアユもここらには確実に生息していた筈である。けれど現実には久しく「魚のいない川」になりおおせている訳であるからして,幸か不幸かそのことが特に問題視されることもなく,流域住民は川との係わりを意識的に避けて日々の暮らしをくらしているように思われる。
しかしながら川の方はそんなことにはお構いなく,重力の法則に従って絶えず上流から下流へと流れ続けているのである。当たり前の話だ。折しも,昨夜までの台風6号による大規模な出水で川の流量はいっそう水嵩を増し,怒濤の急流となって落差工の辺縁を滝のように叩き落ちている。両岸の大部分はコンクリート護岸がキッチリと施工されているが,河道内には砂礫堆のマウンドが各所に発達しており,その高水敷にはツルヨシ,ミゾソバ,カワラヨモギ,アレチウリ,キクイモ,オオブタクサなどの様々な河原植物が自生し,加えて周辺在住の好事家の手になると思われる小規模な菜園や花畑などもパッチ状に分布する。それらの緑の回廊を流れは一気に貫き,まるで緑地帯をなぎ倒し舐め尽くす邪悪なサラマンダーのように白波を立てて荒々しい屈曲を繰り返している。その様は,何者かに対して果敢に復讐しているかのごときである。その光景は私にとって,例えていえばまるで梅雨時の日光の竜頭の滝のような,あるいは融雪期の奥入瀬渓谷のような,眩しいほどに心ときめかす眺めに映じた。やや強い風が川面を渡り,私の自転車の背中をスーッと押すようにして一緒に下流方面へと下ってゆく。思わず慌てて自転車を止め,しばし水の流れゆく様に見とれてしまった。唐突ながら,宮澤賢治の詩の一節が思い浮かぶ。
日ざしがほのかに降ってくれば
またうらぶれの風もふく
にわとこ藪のうしろから
二人の女がのぼってくる
「けら」を着 粗い縄をまとい
甘草の花のように笑いながら
ゆっくり二人がすすんでくる
その蓋のついた小さな手桶は
今日は畑へ飲み水を入れてきたのだ
今日でない日は青いつるつるの蓴菜を入れ
欠けた朱塗りの碗を浮かべて
朝の爽やかなうちに町に売りに来たりもする
鍬を二挺ただしく「けら」にしばりつけているので
曠原の淑女よ
あなたがたはウクライナの舞手のようにみえる
......風よ たのしいおまえのことばを
もっとはっきり
このひとたちにきこえるように云ってくれ......
何のことはない。全ては妄想のタマモノである。川にまつわる不幸な話は,それこそ病葉の数ほどあるのだろう。私はそれらを少しでも多く採集し,さらに可能な限り同定し計測したいと思う。ダムがどうたら,河口堰がこうたら,護岸改修工事が何たらと,人々が必要以上に声高に主張するこの時代,師父達の寡黙で地道な営みに思いを馳せつつ,ごくアタリマエの川の歴史を辿っていきたいと思う。
それにしても皮膚科の話がとんだ方向に進んでしまった(面目ない)。ところで,梅雨明けはまだかいな? そろそろ川に出掛けなくちゃならんもんで。