今年の3月は世間並みに31日をもって丁度終了し,翌日からはキッカリ新年度が始まった。基本的に営業活動を全く行わない受動的零細自営業者たる私にとって,年度初めの暫くの間は仕事のない日々が続く。今年はとりわけヒマな4月である。子供と一緒に遊びに出歩く春休みも終わったし,花見も終わったし。で,とりあえず仕事場に山のように蓄積されている雑多な資料・文献・図書の類やら,机や小物入れの引き出しの中やら,クロゼットや納戸の収納物やらを少々整理しようかという気になった。
最近,どこかのカタカナ商売のオネーチャン(オバサンか?)が書いた『「捨てる!」技術』なんてタイトルの本を読んで,内容に上げ底・水増し的部分がかなり多いことは別にしても,そこで展開される主義主張にはそれなりに納得した次第である。なかで,モノを捨てる時に“聖域を作らない”という条文は,少々身につまされる思いがした。「仕事関係」や「想い出関係」に関するモノを神聖視してはならない,それらがどうしても捨てられないのは,単にアナタが一方的な思い入れによってそれらに寄り掛かっているだけなのだ,というくだりには,自分のコトはさておいてそんな風に他人を扇動してどーする! と嫌味のひとつも投げ返してやりたくなったものの,正直,ワタクシの場合ほぼ当たっている。
で,そのオネーチャンの影響を多少なりとも受けたようなカタチで,主として「仕事関係」の資料を中心に処分することにした。むろん,一応のチェックを入れた上での廃棄処分であるが。
すると,出てくるわ出てくるわ,仕事場の一角にゴミの山が次々と築かれてゆく。それらの山々は時とともに徐々に成長し,裾野を拡大させ,重層的に隆起を重ね,まるで遙か北国において現在進行形であるところの有珠山噴火活動のごとき様相を呈してきた。
少し後になって仕事場に入ってきたタカシとアキラが,その「ゴミ山脈」を見るや大喜び,あろうことか,その山塊に分け入って「宝探し」なんぞを開始した。ふたり力を合わせて進んで山麓を開拓し,すさんだ原野を開墾し,所構わず大地を引っ掻き回し,挙げ句の果てにパンフレットとか写真ネガとか統計ノートとか一件文書とか廃棄報告書とかを地中から探し出してきては改めて別の場所に似たもの同士を一纏めに集めて整理し直したりしているのだ。「アキラー,写真はこっちに置くんだよー」とか何とか言いながら。いやはや二人とも実に楽しそうなわけで,結果として単にコドモの遊び場を提供したようなものになってしまった。
いやー,それにしても年度始めは楽しいなー(ムロン冗談デスガ)。
最近,どこかのカタカナ商売のオネーチャン(オバサンか?)が書いた『「捨てる!」技術』なんてタイトルの本を読んで,内容に上げ底・水増し的部分がかなり多いことは別にしても,そこで展開される主義主張にはそれなりに納得した次第である。なかで,モノを捨てる時に“聖域を作らない”という条文は,少々身につまされる思いがした。「仕事関係」や「想い出関係」に関するモノを神聖視してはならない,それらがどうしても捨てられないのは,単にアナタが一方的な思い入れによってそれらに寄り掛かっているだけなのだ,というくだりには,自分のコトはさておいてそんな風に他人を扇動してどーする! と嫌味のひとつも投げ返してやりたくなったものの,正直,ワタクシの場合ほぼ当たっている。
で,そのオネーチャンの影響を多少なりとも受けたようなカタチで,主として「仕事関係」の資料を中心に処分することにした。むろん,一応のチェックを入れた上での廃棄処分であるが。
すると,出てくるわ出てくるわ,仕事場の一角にゴミの山が次々と築かれてゆく。それらの山々は時とともに徐々に成長し,裾野を拡大させ,重層的に隆起を重ね,まるで遙か北国において現在進行形であるところの有珠山噴火活動のごとき様相を呈してきた。
少し後になって仕事場に入ってきたタカシとアキラが,その「ゴミ山脈」を見るや大喜び,あろうことか,その山塊に分け入って「宝探し」なんぞを開始した。ふたり力を合わせて進んで山麓を開拓し,すさんだ原野を開墾し,所構わず大地を引っ掻き回し,挙げ句の果てにパンフレットとか写真ネガとか統計ノートとか一件文書とか廃棄報告書とかを地中から探し出してきては改めて別の場所に似たもの同士を一纏めに集めて整理し直したりしているのだ。「アキラー,写真はこっちに置くんだよー」とか何とか言いながら。いやはや二人とも実に楽しそうなわけで,結果として単にコドモの遊び場を提供したようなものになってしまった。
いやー,それにしても年度始めは楽しいなー(ムロン冗談デスガ)。