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御詠歌か,南部牛追い歌か (アマリア・ロドリゲスの死)

1999年10月08日 | 歌っているのは?
 昨日の朝刊社会面にアマリア・ロドリゲス Amalia Rodriguesの死亡記事が大きく載っていた。リスボンの自宅のベッドで死んでいるのを秘書が発見,死因は不明とのこと。享年79才。まあ,大往生でしょう。

 その昔,ラジオの歌番組の熱心な聴取者であった頃に彼女の歌声は何度か耳にしたことがある。それらのうち,日本公演のライブはカセットテープに録音して時々聞いていた時期もあった。多分は80年代の中頃,我がセピア色の時代(お恥ずかしい!)の話である。

 しかし,レコードやCDを購入することはなかったし,そもそもポルトガル語はちっともわからんし,申し訳ないが興味の対象は他に沢山あったし,それゆえに,彼女が唄う歌に深くノメリコムようなことにはならなかった。「ファド」というものの実態についても不勉強につき未だによく知らない。五木寛之センセイあたりが御贔屓だったのかな,民衆の悲しみを唄う,とか何とか思い入れたっぷりに仰っておられたかも知らんが,少なくとも現代ポルトガルにおいても人々はこういった趣向の歌を日常的に聞き,口ずさんでいるとでも云うのだろうか。いやいや,そんなことはあるまい。恐らくは,祭事やら生活の節目やらのような,特別に畏まった場合の“御詠歌"ないし“祝詞"のようなものとしての存在ではなかろうか。あるいは,ジャンルとしては伝統芸能か。五木の子守歌,南部牛追い歌みたいな (などと,無知に乗じて勝手なこと抜かしてますが)。

 とは申せ,《難破船》とか《春》とか《かもめ》とか,そういった歌々は今でも我がアタマの片隅に刻印されているようで,どうかすると時折その唄声が記憶の底からかすかに聞こえてくることもある。この異国のオバアサンがワタクシのメンタリティに何らかの影響を及ぼしたことは確かだと思う。 とまれ,安らかに天に召され給わんことを。遙か極東の地より,ささやかなる感謝の気持ちを込めて。
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