朝起きると,まず家の中のカウンタ(数取器)をリセットすることが,ここ最近のルーチンワークになっている。
拙宅の家屋内には合計3個のカウンタが一定場所に据え置かれている。すなわち,ドア・ジムDoorGym(壁面を利用したぶら下がり器具)が2階廊下奥の頭上と1階仕事場玄関手前の高所に各1台設置されており,それぞれの傍らにはカウンタが1個づつ置いてある。これは日々行っている「ぶら下がり」の回数をカウントするためのものだ(30秒につき1回カウントしているので1分なら2回カウント)。5~6年前にこのドア・ジムを設置した時点では,当然ながら懸垂運動の回数をカウントするためのものとしてそれらは置かれた筈であったが,現在の自分は懸垂なんぞ1回だって出来やしない。少なくともアゴの下までちゃんと体を持ち上げる「完全懸垂」はとても無理だ。いや,必死で頑張れば1回くらいは何とかできるかも知れないが,それによって脆くも体調を崩したりしては元も子もないわけで,通常はただ単にぶら下がって,体躯を上下にピンと伸ばしたり,あるいは軽く捻じったり揺すったりする程度に動かして脊椎伸展運動を行っている次第だ。1階と2階のを合わせて,多い日で7~8回程度,少ない日でも1~2回はやっているだろうか。要するに,老人の手慰みである(おかげで両掌は昔の鉄棒少年みたいに!マメだらけだ)。
それからまた,階段を上がったところの踊り場わきの手摺擁壁にも1個,カウンタが置かれている。これは,一日のうちに1階と2階とを何度往き来したかを記録するためのものだ。往復で1カウントとしているので,上りきったときだけカウントする。多い日はカウント数が20回を超えるが,少ない日は10回にも満たない。階段は全部で14段あり,1段の高低差は約20cmなので,1回当り高低差2.8mを登る計算になる。この「階段昇降」を1日に20回繰り返せば,通算の獲得標高は計56mになるというわけだ。これを数ヶ月前に新車種導入により再び活発化した日々の自転車活動状況と比較すると,そちらの方は1日当りの平均獲得標高がだいたい400~500m程度,多い日には1,000mを超えるので,家の中での階段上りなんて全然たいしたことないのだが,室内における日々行動の目安を知るには十分だろうと思っている。要するに,老人の自己満足である(おかげで雨の日などは無駄に?家の中を動き回っている)。
そんなわけで,今日も今日とて,室内設置カウンタを律儀にもリセットしてから一日が始まるという次第です。こんなワタシの行動を家人は呆れ果ててかどうか知らん,物も言わずにゼンゼン取り合わない。いや,それどころか設置カウンタが時に邪魔者扱いされたりもする(其々の独自路線を歩むに如くはなし,ということで。。。)
思えばずっと昔から,このカウンタ(数取器)は仕事でずいぶんと利用したものだった。淡水生物分析(動物プランクトンや水生昆虫類などの同定・計数)を長いこと稼業にしていたので,その際の必須ツールとして,実体顕微鏡あるいは位相差生物顕微鏡の周囲にカウンタを5個も10個も置いて日々カチャカチャ・カチャカチャとやっていた。ちなみに個々のカウンタの配置レイアウトについてはそれぞれ分析者独自のコダワリがあったように聞いている。私はといえばphylogenetic tree派だったのかな? それにしても30有余年その仕事を続けてきて,通算して何回のカチャカチャ行為をおこなったのか,それはもう天文学的な数値になるだろうと思う(セルジュ・ゲンスブール唄うところの《リラの門の切符切りLe poinçonneur des Lilas》を遥かに凌駕するのは間違いない)。今になってみれば,それら全ては遠く過ぎ去ったマボロシの出来事なんだけれども,それでも猶,いまだに夜寝ているときに生物分析に関する「悪夢」に魘されて目覚めることが時々あったりする。おまけに,その内容はかなり具体性を帯びていたりもするから始末に負えない(納期にゼンゼン間に合わなかったり,重大な同定ミスをやらかしたり,など)。これは大変に苦しく辛い夢である。老いたる身にはすこぶる宜しくない。いったい人は,どうやったら「良い夢」を見ることができるのだろうか,少なくとも過去のマボロシを清算して「安眠」することができるのか,それが目下の煩悩の種となっている。繰り返し現れる夢の中の「亡霊」は,カウンタ(数取器)と違ってなかなかリセットすることができない。あるいは,コイツは我がジンセイのリセットを行う日まで限りなくも執念深くもずっと付き纏われるという定めなのだろうか? ダロウカ?
拙宅の家屋内には合計3個のカウンタが一定場所に据え置かれている。すなわち,ドア・ジムDoorGym(壁面を利用したぶら下がり器具)が2階廊下奥の頭上と1階仕事場玄関手前の高所に各1台設置されており,それぞれの傍らにはカウンタが1個づつ置いてある。これは日々行っている「ぶら下がり」の回数をカウントするためのものだ(30秒につき1回カウントしているので1分なら2回カウント)。5~6年前にこのドア・ジムを設置した時点では,当然ながら懸垂運動の回数をカウントするためのものとしてそれらは置かれた筈であったが,現在の自分は懸垂なんぞ1回だって出来やしない。少なくともアゴの下までちゃんと体を持ち上げる「完全懸垂」はとても無理だ。いや,必死で頑張れば1回くらいは何とかできるかも知れないが,それによって脆くも体調を崩したりしては元も子もないわけで,通常はただ単にぶら下がって,体躯を上下にピンと伸ばしたり,あるいは軽く捻じったり揺すったりする程度に動かして脊椎伸展運動を行っている次第だ。1階と2階のを合わせて,多い日で7~8回程度,少ない日でも1~2回はやっているだろうか。要するに,老人の手慰みである(おかげで両掌は昔の鉄棒少年みたいに!マメだらけだ)。
それからまた,階段を上がったところの踊り場わきの手摺擁壁にも1個,カウンタが置かれている。これは,一日のうちに1階と2階とを何度往き来したかを記録するためのものだ。往復で1カウントとしているので,上りきったときだけカウントする。多い日はカウント数が20回を超えるが,少ない日は10回にも満たない。階段は全部で14段あり,1段の高低差は約20cmなので,1回当り高低差2.8mを登る計算になる。この「階段昇降」を1日に20回繰り返せば,通算の獲得標高は計56mになるというわけだ。これを数ヶ月前に新車種導入により再び活発化した日々の自転車活動状況と比較すると,そちらの方は1日当りの平均獲得標高がだいたい400~500m程度,多い日には1,000mを超えるので,家の中での階段上りなんて全然たいしたことないのだが,室内における日々行動の目安を知るには十分だろうと思っている。要するに,老人の自己満足である(おかげで雨の日などは無駄に?家の中を動き回っている)。
そんなわけで,今日も今日とて,室内設置カウンタを律儀にもリセットしてから一日が始まるという次第です。こんなワタシの行動を家人は呆れ果ててかどうか知らん,物も言わずにゼンゼン取り合わない。いや,それどころか設置カウンタが時に邪魔者扱いされたりもする(其々の独自路線を歩むに如くはなし,ということで。。。)
思えばずっと昔から,このカウンタ(数取器)は仕事でずいぶんと利用したものだった。淡水生物分析(動物プランクトンや水生昆虫類などの同定・計数)を長いこと稼業にしていたので,その際の必須ツールとして,実体顕微鏡あるいは位相差生物顕微鏡の周囲にカウンタを5個も10個も置いて日々カチャカチャ・カチャカチャとやっていた。ちなみに個々のカウンタの配置レイアウトについてはそれぞれ分析者独自のコダワリがあったように聞いている。私はといえばphylogenetic tree派だったのかな? それにしても30有余年その仕事を続けてきて,通算して何回のカチャカチャ行為をおこなったのか,それはもう天文学的な数値になるだろうと思う(セルジュ・ゲンスブール唄うところの《リラの門の切符切りLe poinçonneur des Lilas》を遥かに凌駕するのは間違いない)。今になってみれば,それら全ては遠く過ぎ去ったマボロシの出来事なんだけれども,それでも猶,いまだに夜寝ているときに生物分析に関する「悪夢」に魘されて目覚めることが時々あったりする。おまけに,その内容はかなり具体性を帯びていたりもするから始末に負えない(納期にゼンゼン間に合わなかったり,重大な同定ミスをやらかしたり,など)。これは大変に苦しく辛い夢である。老いたる身にはすこぶる宜しくない。いったい人は,どうやったら「良い夢」を見ることができるのだろうか,少なくとも過去のマボロシを清算して「安眠」することができるのか,それが目下の煩悩の種となっている。繰り返し現れる夢の中の「亡霊」は,カウンタ(数取器)と違ってなかなかリセットすることができない。あるいは,コイツは我がジンセイのリセットを行う日まで限りなくも執念深くもずっと付き纏われるという定めなのだろうか? ダロウカ?