「自転車で15km」の話の続きであります。
現在の私の境遇は,主観的には「ほぼ老人」とは申しながら悠々自適の隠居ができるほどの甲斐性はなく,客観的には「ほぼお気楽な零細自営業者」と見られながらその実極めて不規則かつ不安定な仕事を抱えつつその日暮らしをくらしている身であるがゆえ,自転車で15km/dayという目標値ないし希望値は必ずしも常に満たされるとは限らない。毎日規則的なジテツウをしているわけじゃなし,近所にお手軽CR(サイクリングロード)があるわけでもなし,また乗りたくても嵐の日だってあろうし,雨降りの日だってあろうし,酷寒・酷暑の日だってあろうし。。。
いやいや,そういった理由はすべて怠けゴコロがもたらす詭弁に過ぎないことは重々承知しております。とりわけ,天候を理由にして自転車に乗らないという言い訳はミットモナイ! と,そんなことを,古稀をとうに過ぎた伊藤礼センセイが以前どこかで仰有っておられなかったでしょうか。ゆえに,少しくらいの雨であれば雨具を着て,MTBにドロヨケを付けて,あまり自動車の通らない山の方へと走りに出掛ける。しかしながら,土砂降りないし暴風状態の時はさすがに家の中に大人しく隠らざるを得ない。
その場合,室内でエアロバイクを漕ぐ。ウチにあるのは松下電工製のサイクルエクサ(EP352-H)という製品で,これは今から10年以上も前に何故か突然「家族の健康をおもんばかって」,当時としてはそれなりに高性能・多機能なエアロバイクを少々無理して購入したものである。値段も確か10数万円はしたと思う。少し前にヤフオクYahoo! Auctionで「サイクルエクサ/EP352」と検索してみたら,同機種が何と500円スタートで最終的には10,500円で落札されたことを知り,まだまだ価値あるバイクなのだなぁ,と改めて見直した次第である。もっとも我が家に導入されてからよく利用したのは最初の数年間だけで,その後は不本意ながらあまり使われずにホコリをかぶった状態となってしまったが,それでも積算すれば私個人だけでもかれこれ1万3千km余を漕いだという記録が残っている(ICメモリーカードによる個々のデータ管理ができる機種だ)。そして現在でも,外観などはだいぶ劣化しているものの何とかまだ十分に動くので,粗大ゴミに出したり,あるいはヤフオクに出品したり(!)はせずに,時々は自家で使用している。息子などもたまに使っているようだ(ハンドルとサドルのポジションが当方とはかなり違うので,あ,使ったな,とすぐわかる)。 私の場合,これを「アップ・ダウン・モード」(負荷量30~70ワット)にして平均時速30kmで30分漕ぐと,丁度15kmのヴァーチャルな距離を稼ぐことができる。正直面白くもなんともないが,体脂肪の燃焼,筋肉の活性化,明日の坂道制覇に向けての基礎訓練!などと思えば決して疎ましい行為ではない。
なおその際,単純運動の退屈さを紛らわすために,インターネットのwebradio 《ノスタルジー・シャンソン・フランセーズ》というサイトから配信される歌の数々をBGMとして聞いている。2Fの仕事部屋のデスク上に設置してあるパソコンのスピーカーを,同じく仕事部屋の隅に設置してあるエアロバイクの方向にセットし直したのち,やおら運動を開始する。すると1960年~70年代のシャンソンないしフレンチ・ポップスの流行歌が次から次へとこちらに向かって絶え間なく流れてくるのだ。それもすべてフルコーラスで。まさにノスタルジーの垂れ流し状態である。音楽の発信源が地球を半周隔てたヨーロッパ大陸の何処なのかは寡聞にして存じませんが,兎も角,それらの懐メロ歌謡がいとも簡単に私の元へとリアルタイムに届けられるということの不思議さに,「あー,いい時代だなぁ」と,インターネットメディア構築に関わる見知らぬヒトビトに対してついつい感謝の念を抱いてしまう。まさに情報化社会の効用である。
かてて加えて,スコブル嬉しいことに!あるいはハナハダ始末の悪いことに?それら流れくる歌々の大部分が私にとっては周知の歌なのである。どういった基準により選曲されているのだろうか。単に当時のヒット曲を片ッ端からランダムに流しているだけなのか? もしそうであれば,自らのミーハー体質がこのウェブ・ラジオによって裏付けられたに過ぎない訳だけれども(オ恥ズカシイ限リ),とにもかくにも,エアロバイクを漕ぎながら思わず一緒に口ずさんだり,あまつさえペダリングを歌に合わせたりしちゃったりもして,さすがにこの状態は他人には見せられない。
昨日など,グロリア・ラッソGloria Lassoの《ヴァルパライソ》の後にシャルル・アズナブールCharles Aznavourの《世界の果てに》が続いて,それから次には,おっと,ジェラール・ルノルマンGerard Lenormanの《ミッシェル》なんぞが流れてきた! これには常日頃冷静沈着をもってなるはずのワタクシにしてからが,不覚にもつかのま胸キュン状態に陥ってしまい,瞼が弛緩し,鼻腔がツーンとするような切ない思いで満たされた。ティーンエイジの頃の初恋を回想する,いわばセンチメンタル・ジャーニーの定番ともいえるような失恋の歌だ。それを若き日のルノルマンは,初々しくメロウな声で,美しくシンプルな曲に乗せて,優しくシーリアスに歌っている。
15才になったばかりの君は 髪をリボンで結んでいた
家はグラン・パレのすぐ近くだった
ぼくは毎朝君を迎えにゆき 二人して郊外電車に乗った
リセ(学校)に行くために
ああ,ミッシェル!
君の隣に坐りながら ぼくは休みの日が来るのが待ち遠しかった
一緒にカフェに行って ココアを飲み それからキッスをしよう...
17才のころの君は 髪をいつも風になびかせていた
ビートルズの「イエスタデイ」が好きでよく歌っていた
木曜日の午後には 二人して場末の映画館に出掛けた
マリリンの映画を見るために
ああ,ミッシェル!
12月のある日 家々の屋根には雪が降り積もっていた
その晩ぼくたちは はじめて二人一緒に眠った...
時はゆっくりと過ぎてゆき 「素敵な王子サマ」は失墜した
雲のなかを二人して旅するはずだったのに
人づてに聞いた 君が去年の春に結婚したことを
そして今はパリに住んでいるという
ああ,ミッシェル!
すべては遠い過去の出来事になってしまった
街路も 楽しかったカフェも 郊外電車さえも
君にとっては もうドーデモイイことか
ぼくにとっても もうドーデモイイことなのか...
かなり安直に訳してしまったので,元歌の詩情をだいぶ損ねてしまったかも知れない。スンマセン。けれど肝心なのは心意気,ではなかった,募る想いをいかにして伝えるか,なのだと思いたい。いやしくも男子たるもの,若かりし頃のホロ苦い失恋の思い出の一つや二つはございましょう(数の多少はさておき)。若き日の恋はなかなか成就しないものだ。それは決して個人的資質のせいばかりではなかろうと思われる(己が貧しき経験はさておき)。それは,大層な言い方をすれば,人類の歴史において古来より現在に至るまで連綿と受け継がれてきた,青春という未熟な精神がいちどは通り過ぎねばならぬ里程,永遠に続いてゆく《巡礼の道》ないしは《遺伝子の川》を歩むがゆえの必然なのである。青春歌謡の存在理由はまさしくそこにある。いわばDNAの魂の遍歴,そういったものを我々に問いかけ,「いま生きてあることの意味」なんてぇものを改めて省みるよすがとなっているのだ。 それゆえに,ク・ル・タン・パッス・ヴィット! いくつになっても,ひとは青春時代を振り返るたびに自らの涙腺が刺激されるのを止めることはできない。 オーイ,オイオイ。 アナタだってワタシだって昨日は二十歳だった。 オーイ,オイオイ。 いいかげんミットモナイけど,それが現実,それが人生。
現在の私の境遇は,主観的には「ほぼ老人」とは申しながら悠々自適の隠居ができるほどの甲斐性はなく,客観的には「ほぼお気楽な零細自営業者」と見られながらその実極めて不規則かつ不安定な仕事を抱えつつその日暮らしをくらしている身であるがゆえ,自転車で15km/dayという目標値ないし希望値は必ずしも常に満たされるとは限らない。毎日規則的なジテツウをしているわけじゃなし,近所にお手軽CR(サイクリングロード)があるわけでもなし,また乗りたくても嵐の日だってあろうし,雨降りの日だってあろうし,酷寒・酷暑の日だってあろうし。。。
いやいや,そういった理由はすべて怠けゴコロがもたらす詭弁に過ぎないことは重々承知しております。とりわけ,天候を理由にして自転車に乗らないという言い訳はミットモナイ! と,そんなことを,古稀をとうに過ぎた伊藤礼センセイが以前どこかで仰有っておられなかったでしょうか。ゆえに,少しくらいの雨であれば雨具を着て,MTBにドロヨケを付けて,あまり自動車の通らない山の方へと走りに出掛ける。しかしながら,土砂降りないし暴風状態の時はさすがに家の中に大人しく隠らざるを得ない。
その場合,室内でエアロバイクを漕ぐ。ウチにあるのは松下電工製のサイクルエクサ(EP352-H)という製品で,これは今から10年以上も前に何故か突然「家族の健康をおもんばかって」,当時としてはそれなりに高性能・多機能なエアロバイクを少々無理して購入したものである。値段も確か10数万円はしたと思う。少し前にヤフオクYahoo! Auctionで「サイクルエクサ/EP352」と検索してみたら,同機種が何と500円スタートで最終的には10,500円で落札されたことを知り,まだまだ価値あるバイクなのだなぁ,と改めて見直した次第である。もっとも我が家に導入されてからよく利用したのは最初の数年間だけで,その後は不本意ながらあまり使われずにホコリをかぶった状態となってしまったが,それでも積算すれば私個人だけでもかれこれ1万3千km余を漕いだという記録が残っている(ICメモリーカードによる個々のデータ管理ができる機種だ)。そして現在でも,外観などはだいぶ劣化しているものの何とかまだ十分に動くので,粗大ゴミに出したり,あるいはヤフオクに出品したり(!)はせずに,時々は自家で使用している。息子などもたまに使っているようだ(ハンドルとサドルのポジションが当方とはかなり違うので,あ,使ったな,とすぐわかる)。 私の場合,これを「アップ・ダウン・モード」(負荷量30~70ワット)にして平均時速30kmで30分漕ぐと,丁度15kmのヴァーチャルな距離を稼ぐことができる。正直面白くもなんともないが,体脂肪の燃焼,筋肉の活性化,明日の坂道制覇に向けての基礎訓練!などと思えば決して疎ましい行為ではない。
なおその際,単純運動の退屈さを紛らわすために,インターネットのwebradio 《ノスタルジー・シャンソン・フランセーズ》というサイトから配信される歌の数々をBGMとして聞いている。2Fの仕事部屋のデスク上に設置してあるパソコンのスピーカーを,同じく仕事部屋の隅に設置してあるエアロバイクの方向にセットし直したのち,やおら運動を開始する。すると1960年~70年代のシャンソンないしフレンチ・ポップスの流行歌が次から次へとこちらに向かって絶え間なく流れてくるのだ。それもすべてフルコーラスで。まさにノスタルジーの垂れ流し状態である。音楽の発信源が地球を半周隔てたヨーロッパ大陸の何処なのかは寡聞にして存じませんが,兎も角,それらの懐メロ歌謡がいとも簡単に私の元へとリアルタイムに届けられるということの不思議さに,「あー,いい時代だなぁ」と,インターネットメディア構築に関わる見知らぬヒトビトに対してついつい感謝の念を抱いてしまう。まさに情報化社会の効用である。
かてて加えて,スコブル嬉しいことに!あるいはハナハダ始末の悪いことに?それら流れくる歌々の大部分が私にとっては周知の歌なのである。どういった基準により選曲されているのだろうか。単に当時のヒット曲を片ッ端からランダムに流しているだけなのか? もしそうであれば,自らのミーハー体質がこのウェブ・ラジオによって裏付けられたに過ぎない訳だけれども(オ恥ズカシイ限リ),とにもかくにも,エアロバイクを漕ぎながら思わず一緒に口ずさんだり,あまつさえペダリングを歌に合わせたりしちゃったりもして,さすがにこの状態は他人には見せられない。
昨日など,グロリア・ラッソGloria Lassoの《ヴァルパライソ》の後にシャルル・アズナブールCharles Aznavourの《世界の果てに》が続いて,それから次には,おっと,ジェラール・ルノルマンGerard Lenormanの《ミッシェル》なんぞが流れてきた! これには常日頃冷静沈着をもってなるはずのワタクシにしてからが,不覚にもつかのま胸キュン状態に陥ってしまい,瞼が弛緩し,鼻腔がツーンとするような切ない思いで満たされた。ティーンエイジの頃の初恋を回想する,いわばセンチメンタル・ジャーニーの定番ともいえるような失恋の歌だ。それを若き日のルノルマンは,初々しくメロウな声で,美しくシンプルな曲に乗せて,優しくシーリアスに歌っている。
15才になったばかりの君は 髪をリボンで結んでいた
家はグラン・パレのすぐ近くだった
ぼくは毎朝君を迎えにゆき 二人して郊外電車に乗った
リセ(学校)に行くために
ああ,ミッシェル!
君の隣に坐りながら ぼくは休みの日が来るのが待ち遠しかった
一緒にカフェに行って ココアを飲み それからキッスをしよう...
17才のころの君は 髪をいつも風になびかせていた
ビートルズの「イエスタデイ」が好きでよく歌っていた
木曜日の午後には 二人して場末の映画館に出掛けた
マリリンの映画を見るために
ああ,ミッシェル!
12月のある日 家々の屋根には雪が降り積もっていた
その晩ぼくたちは はじめて二人一緒に眠った...
時はゆっくりと過ぎてゆき 「素敵な王子サマ」は失墜した
雲のなかを二人して旅するはずだったのに
人づてに聞いた 君が去年の春に結婚したことを
そして今はパリに住んでいるという
ああ,ミッシェル!
すべては遠い過去の出来事になってしまった
街路も 楽しかったカフェも 郊外電車さえも
君にとっては もうドーデモイイことか
ぼくにとっても もうドーデモイイことなのか...
かなり安直に訳してしまったので,元歌の詩情をだいぶ損ねてしまったかも知れない。スンマセン。けれど肝心なのは心意気,ではなかった,募る想いをいかにして伝えるか,なのだと思いたい。いやしくも男子たるもの,若かりし頃のホロ苦い失恋の思い出の一つや二つはございましょう(数の多少はさておき)。若き日の恋はなかなか成就しないものだ。それは決して個人的資質のせいばかりではなかろうと思われる(己が貧しき経験はさておき)。それは,大層な言い方をすれば,人類の歴史において古来より現在に至るまで連綿と受け継がれてきた,青春という未熟な精神がいちどは通り過ぎねばならぬ里程,永遠に続いてゆく《巡礼の道》ないしは《遺伝子の川》を歩むがゆえの必然なのである。青春歌謡の存在理由はまさしくそこにある。いわばDNAの魂の遍歴,そういったものを我々に問いかけ,「いま生きてあることの意味」なんてぇものを改めて省みるよすがとなっているのだ。 それゆえに,ク・ル・タン・パッス・ヴィット! いくつになっても,ひとは青春時代を振り返るたびに自らの涙腺が刺激されるのを止めることはできない。 オーイ,オイオイ。 アナタだってワタシだって昨日は二十歳だった。 オーイ,オイオイ。 いいかげんミットモナイけど,それが現実,それが人生。