自動車について,あるいは場所と時間と人格のテレポーテーション装置としてのいささか邪悪な乗り物についての感想(いや,そげん大層なものではございませぬが)。
現在,我が家族が住まうこの地域のあたり一帯を広く見渡してみると,大部分のお宅が自家用車を2台所有しており,なかには3台所有している家も少なくない。断っておくが,この界隈は決して目を見張るほどの高級住宅街でも,あるいは旧家が立ち並ぶ御屋敷町でもない。平均して築15~20年くらいの少々草臥れた家々が目立つ,極めて普通の郊外住宅地である(客観的に評価すれば「中の下」くらいか)。1戸当たりの平均的な敷地面積は,やや控えめに見積もって40~50坪程度と申告しておこう。家族構成も大体3~5人程度の単世帯がほとんどだ。恐らく30~40年前には,あたり一帯が畑と野原と雑木に覆われたごくごくありふれたイナカの土地であったと思う。
これがもう少し丹沢山麓方面に近づくと旧来の農村的な集落景観が主体となっており,その歴史を遡れば古くは鎌倉時代の昔から現在に至るまで連綿と続いているであろうと思われる敷地面積数百坪(なかには数千坪!)の古い家々が,大山往還ともいわれる旧街道沿いや谷戸谷戸に点々と立地している。そこらの家はだいたいが南関東地方の農家に特有の大きな寄棟造りのゆったりした母屋が奥まったところにあり,敷地内には小規模な菜園を有していたり,別棟として離れや作業小屋が建てられていたり,家によっては牛小屋(!)なんぞがあったりもする。なかには長屋門を有する立派な屋敷もまれにではあるが見られる。要するに富裕農家の目立つ典型的な大都市近郊地域なわけです。それらの家々においては家族構成も二世代,三世代の大家族制を維持しているのが一般的だ。そのようなお宅が自動車を2台,3台,4台,あるいは5台所有するのは,当然といえば当然だろう(農作業用の軽トラックなども含めればネ)。
しかしながら,歴史にも伝統にも農業にも全く無縁の我らがコンペイトウ・ハウスに居住する人々にあっても,この地域における日常生活は基本的に自動車を中心にして成立しているというのが現状だ。仕事に行くにも,遊びに行くにも,買い物に行くにも,病院に行くにも,○○に行くにも,△△に行くにも,とにもかくにもクルマがなくっちゃ話にならない,ゼンゼン・マトモニ暮らしてゆけないんだから! という次第で,「生活の利便性」なる幻想的概念を錦の御旗として,当然のごとくに2台目,3台目のクルマを自家に受け入れている。結果として,車を所有していない一部のマイノリティ世帯は,独居老人か身体障碍者か海外からの出稼ぎ者か,あるいは単なる変人か,それらの人々が含まれるところの「社会的弱者」の烙印を押されることになる。
ところで現実問題として,それぞれのコンペイトウ・ハウスは概ね1台分の駐車スペースしかない(あっても,せいぜい2台分)ものだから,当該住宅地域内のあちこちにパッチ状に分布している放棄畑,放棄水田,造成地,工場・住宅跡地,路傍空地,荒れ地,自然裸地などの雑種地が当面の青空私営駐車場として活用されている事例が多い。空き地,大人気である。あまり人気過ぎて,なかには都心部並みに家から駐車場まで徒歩5分以上などという御苦労様なヒトビトも出てくる(そんなにまでして2台目のクルマを持ちたいか!) そのようなクルマ事情,土地利用事情は恐らく首都圏エリアにおける共通現象であり,サイタマ方面でもチバ方面でも似たような状況が見られるに違いない。本来の用途から逸脱した,なかなかに難儀で不幸な土地利用形態ではある。
社団法人日本自動車工業会によると,2002年度における我が国の自動車保有台数は,軽自動車を含めた乗用車が約5,200万台だという。日本全国の総世帯数は4,700万世帯ほどだから,1世帯当たりの自動車保有台数はほぼ1台という計算になる。これはホントの話だろうか? 統計数値操作の内情に疎い私としてはにわかに信じがたい(単純に考えるとそれだけ単身者の占める割合が多いということなのかな?)
ここで卑近な例を持ち出せば,現在我家が属する住民自治会の末端組織である「組」は計10世帯から構成されているが,その10世帯(世帯員数33人)が所有する自動車の合計台数は19台である。すなわち,1世帯当たりの平均所有台数は2台弱で,1.7人に対して1台の自動車が所有されている計算になる(当然,ジジババやアカンボを含めての話だ)。だいたいこんなところが当地方における平均的なクルマ普及事情ではないだろうか。ちなみに,拙宅の自家用車は今年で8年目になる草臥れた小型車が1台のみ,つまり4人に対して1台のクルマ所有率であり,モータリゼーション・レベルは非常に低い。
まあ,自動車の普及率云々はどうでもいい。ここで問題にしたいのは,この地域における自動車をとりまく環境について,クルマという確かに便利ではあるが同時に少々物騒な輸送機器の拠って立つところのフィールド,すなわちクルマが日常的に走行する道路網及び駐車施設(公的・私的を含めた)の敷設・配置ならびに整備状況が,ここでは極めて貧困かつイイカゲンであるという現実だ。それを,大都市圏周縁部を構成する弱小自治体の基本都市計画においてしばしば見られる道路整備事業の恒常的な立ち遅れ,インフラストラクチャーの脆弱さ,といってしまえば話は簡単だ。しかしながら,そもそも地域社会の歴史的形成過程がすぐれて自然発生的であり,クルマの存在などハナッから抜きにして集落が立地分布してきたにもかかわらず,現状における地域の生活は,いつのまにやら誰もがクルマを無条件で受け入れ,クルマを抜きに日々の暮らしを全うすることができないといった逆説的な歪んだ社会構造が暗黙の了解のもとに成立している。そのことに対して,右も左も富める者も貧しき者も一様に何ら異議申し立てをしないのは,少々ズルイのではないか。誰もが歴史を振り返ることなく,誰もが伝統や慣習をないがしろにしている。毎年,お座なりの実績作りとして数10m単位でのツギハギ的な道路改修が少しずつ実施されていったり,あるいは逆に,第二東名や国道246号バイパスなどの大規模事業だけに大上段に反対したりしていればそれで良かれというものではなかろうに。
再び卑近な例を示すと,現在,ウチの子供らは小学校まで約3km近くの道のりを,毎日毎日,片道40分ほどかけて徒歩通学している。比較的幅員の広い表通り沿いに通学路が設定されているのだが,何分にもイナカゆえ,その表通り自体が登校班の子供らが行列をなして歩くには実に危なっかしい道路である。センターラインで上下分離された片側一車線の車道部分については,一応はごく標準的な地方道であるといえる。しかし道路端の歩道部分を見ると,ガードレールがあったりなかったり(大部分は無い),場所によって極端に狭くなったりあるいは広くなったり(大部分は狭い),急なカーブがあったり坂道があったり凸凹なども各所にあったりする。加えて,ところどころに接続する脇道からの見通しも概して悪い。要するに,歩行者用通路として完全に(安全に)車歩道分離されているとは決して言えない中途半端な通学路なのだ。だいたい,道端に沿った幅60cm程度のドブにコンクリで蓋をして嵩上げ段差を施したガードレールもない心細い通路を「歩道」と称して,一体誰が納得するのだろうか?
さらに,そんな表通りから少し入ってみれば状況は一層厳しさを増すのであり,見通しが極めて悪くクネクネの,対向車がすれ違うのさえ非常に苦労するような狭い生活道路がいたるところに網目状に張り巡らされている。それらの多くは建築基準法からすると「道路」とはいえない閉鎖的な回廊であるが,一方で,人がノンビリ歩くには,あるいは自転車で走ったりするにはなかなか楽しい「道」である(クルマが走っていなければネ)。そのような道を気の向くままに歩いてゆくと,やがて車一台も通れなくなり,人と自転車とせいぜいリアカーくらいしか通り抜け出来ない道に行き当たることしばしばである。認定道路というのだろうか,いわゆる「畑の畦道」レベルなわけだ。
こういった道が迷路のように組み合わさっている地域を,巨大ミニバン,軽自動車,派手派手スポーツカー,小型トラック,豪奢な車,ボロ車などなど,実に玉石混淆,現代日本を代表する多種多彩なクルマの数々が,日々右往左往している。彼らは決してサーキットを疾走しているわけでもサーカスのスタントを見せつけているわけでも私道や私有地を移動しているわけでもない。コンペイトウ・ハウスの敷地境界のすぐ辺縁の公共の道を,あるものはビュンビュンと,またあるものはオソルオソル走り抜けてゆく。当然,その同じ道にはバーサンが手押し車を押しながらヨロヨロと動いているわけであり,ジーサンが右往左往しながら犬の散歩をしているわけであり,覚束ない操縦の小学生自転車がフラフラと走っているわけであり,ケータイに夢中の茶髪オネーチャンがタラタラと歩いているわけであり,ときには幼児が駄々をこねて寝転がったり(!)もしている。これはもう「車・歩道分離」云々以前の問題である。生活圏崩壊の状況である。インベーダーによる人権侵害の危機である。
では,かくのごとき「今そこにある危機」に対して,我ら人民は一体どうすればよいのだろうか?
答えは簡単。人々がクルマに対する認識を改めることだ。僭越ながら具体的対応策なんぞを多少とも示唆しておくと,まず第一に実施すべきは,地域レベルでの交通体系を根本的に変えることだろう。そんなにヤヤコシイことではない。例えば手っ取り早い方法として,裏道はすべて「車両一方通行」にしてしまえばいい。道のまん中をぶらぶら歩いていたり,道端で井戸端会議していたり,あるいは道の傍らで遊んでいたりする脆弱無垢の人々に対して,剣呑なインベーダー(=クルマ)が接近して来る方向が常に一定であるように設定する。ちょうど川に棲むアユやウグイ,ナマズやメダカ,カゲロウやユスリカ,ゲンゴロウやミズスマシ,ハリケイソウやビロウドランソウなどなど,なべての水生生物に対して河水が常に上流から下流へと流れてゆくように。たったそれだけのことで,町なかの道という道が,大小さまざまな空間がどれだけ風通しが良くなり,人々はどれほど気持ちよく毎日の生活を送れるようになるか,想像するに難くない。経絡のルネッサンスみたいなもんだろうか。 え?ウチまでのクルマの距離が遠くなって面倒だって? 単に御自慢のクルマをブイブイさせてちょいと迂回すればよいだけのことではないか! ガソリンが無駄になるし大気汚染も進むだろうって? いやいや,それを言うなら,大部分のクルマの存在自体が大いなる無駄であり環境への高負荷を生じせしめている元凶であるというのが実状ではないか!
さらに申せば,主要幹線道路はひとまず置いて,裏道や脇道や細道などについては「車両通行止」,「進入禁止」のゾーンを積極的に次々と設けていったらよいと思う。少なくとも住民車両以外は原則として立入禁止とする。道路の主要分岐ポイントに踏切式ゲートを設置したりバリケードを築いたり虎ロープを張ったり路面段差を作ったり,あるいは縁台を置いて閑な年寄りに囲碁でもやらせたり,まあ,その方式は何だって構わないですけどネ。なおその場合,車両通行禁止ゾーンの設定と並行して,現在は大小さまざまな規模であちこちの空き地に虫食い状に作られ続けている青空駐車場を統合・再編成し,拠点的にまとまった形での地域内共同駐車場を何箇所かに整備すべきだろう。
ただし,基本的人権の保障,人間らしい暮らしの復権ということを改まって考えてみれば,本来ならばコンペイトウ・ハウス・エリアにおいては住民利用を含めて裏道や細道は全面的に車両通行禁止にしてしまうのが一番なのだ。自宅の近所に安全な駐車場が別途確保できるのなら,わざわざ狭い敷地内に駐車スペースを設けなくたっていいではないか(いわゆる自動車オタク,マニア,コレクターの存在なんて微々たるものだろうし)。そうすれば地域内の裏道,細道が全てオープンスペース(散策路,公園,緩衝地,etc.)に変貌する。加えて,駐車場が不要になったコンペイトウには多少の空間的ゆとりが生じ,その結果,生活にウルオイ(ガーデ,ニング?とか)なんぞも生まれてくるかも知れません。
クルマなんてぇものは陸に上がったヤドカリが背負い込んでいる貝殻みたいに不便で厄介なものである。そのことを人々がもう少し理解する必要があるのではないかと思う。クルマが未だ存在しなかった時代,あるいはクルマがごく一部の特権階級のステイタス的所有物であった時代,大部分の人々は当然のように徒歩で移動し,バスや電車に乗り,あるいは自転車に乗り,あるいは荷車を引いていたのだ。それはそんなに遠い昔のことではない。再々度卑近な例を引っぱり出してしまうが,私自身の過去を一寸顧みれば,幼少年期,家には自動車なんてものは当然ありはしなかった。まわり近所の家にもほとんどなかった。初めて我が家で自動車を所有するようになったのは私が11才のときで,それも家の商売用に使われるためのペコペコの軽自動車だった(1960年代の話ですけど)。当時,一般的な社会通念としては自動車イコール商用車であり,クルマというものは仕事上の負担を軽減し労働生産性を高めてくれる有り難い,しかし大層高価な道具と見られていた。純粋に「自家用車」と呼べるクルマなど,恐らくは骨川スネ夫くんの家にしかなかったはずだ。そしてその他大勢の世帯にあってはスネ夫くんちの「自家用車」の存在を羨ましいなどとは決して感じていなかったし,そもそも「自家用車」の必要性自体をほとんど認めていなかった。羨んでいたのは,せいぜいスネ夫くんちの資産であり家柄であり階級であったわけで(叶わぬ夢とは知りながら)。なお,自動車はなかったけれど,モーターバイクは比較的ポピュラーな存在であった。それとてやはり商売用が主だったような気がする。自転車については各家庭にかなり普及していた。もっとも,ウチにはその自転車だって1台しかなかった。3人兄弟でそれを毎日奪い合うようにして交代で乗ったものだ(ま,単なるビンボーなんですけど)。ああ,思えば遙か彼方まで来つるものかな。
話が少々それた。この手のヨタ話はいくらでも続いてゆくから困ってしまう。さてさて,忌々しきクルマに対する防衛策として第二になすべきこと,そしてこちらの方が絶対本命だとは思うのだが,自動車の台数そのものを減らすことだ。コンペイトウ・ハウス・エリアにおいては1世帯あるいは1住宅が所有すべき自動車は原則として1台あれば十分ではないか。よくよく考えてみれば至極アタリマエなそのことを社会的コンセンサスとして定着させるべく,住民自身による意識改革が強く求められる所である。2台目,3台目がどうしても欲しいというゼータク者に対しては,行政サイドからの強権発動としてシンガポールみたいに税金をタンマリ掛けてやればよろしい。単純計算すればそれだけで自動車の台数は半減するではないか。自動車が売れなくなることは即ち経済破綻,社会不況に直結するだって? でもしかし,その考えはちょっとオカシイんじゃないか。自動車産業の浮沈動向が我が国の経済の指標であり将来の産業発展を左右するだなんて,そんな馬鹿な話があるものか。だいたい空間移動の手段が汎世界的に考えられる必要はまったくないのであって,そんな風に歪んでしまったこの国の社会構造や商品経済や生活様式は,さぁ,今すぐ見直さなくっちゃ。「暮らし」のクオリティが経済原理によってなし崩し的に引きずられてゆく(まさに「その日暮らし」的に!)のではなく,アナタやワタシの日々の暮らしのなかから本当に必要な「経済」をひとつづつ探り出してゆく(ちょうど「理想郷」を目指すがごとくに!)そのことが今まさに求められているのだ。宮澤賢治はそれをイーハトヴ → イーハトーブ → イーハトーボ → イエハトブと称した。試行錯誤が必要な所以です。
ということで,貧相なネタはあらかた出尽くしたようだ。当初の目論見(もしそんなものがあれば,の話だが)とは大分異なり,結局のところ尻切れトンボで夢物語的な戯言,自動車万能社会に対する凡庸で雑駁な異議申し立てになってしまった(毎度お恥ずかしい)。言いたいことは,ヲイ,そこのクルマ,アブナイじゃないか! と,単にそれだけなんだけれどもネ。それだけのことではあるが,そのことを毎日毎日,繰り返し繰り返しワタクシは言い続けたいのだ(あー,疲れる)。 なお,この話題には何となく続編がありそうな気がする(あー,ホントに疲れる!)
現在,我が家族が住まうこの地域のあたり一帯を広く見渡してみると,大部分のお宅が自家用車を2台所有しており,なかには3台所有している家も少なくない。断っておくが,この界隈は決して目を見張るほどの高級住宅街でも,あるいは旧家が立ち並ぶ御屋敷町でもない。平均して築15~20年くらいの少々草臥れた家々が目立つ,極めて普通の郊外住宅地である(客観的に評価すれば「中の下」くらいか)。1戸当たりの平均的な敷地面積は,やや控えめに見積もって40~50坪程度と申告しておこう。家族構成も大体3~5人程度の単世帯がほとんどだ。恐らく30~40年前には,あたり一帯が畑と野原と雑木に覆われたごくごくありふれたイナカの土地であったと思う。
これがもう少し丹沢山麓方面に近づくと旧来の農村的な集落景観が主体となっており,その歴史を遡れば古くは鎌倉時代の昔から現在に至るまで連綿と続いているであろうと思われる敷地面積数百坪(なかには数千坪!)の古い家々が,大山往還ともいわれる旧街道沿いや谷戸谷戸に点々と立地している。そこらの家はだいたいが南関東地方の農家に特有の大きな寄棟造りのゆったりした母屋が奥まったところにあり,敷地内には小規模な菜園を有していたり,別棟として離れや作業小屋が建てられていたり,家によっては牛小屋(!)なんぞがあったりもする。なかには長屋門を有する立派な屋敷もまれにではあるが見られる。要するに富裕農家の目立つ典型的な大都市近郊地域なわけです。それらの家々においては家族構成も二世代,三世代の大家族制を維持しているのが一般的だ。そのようなお宅が自動車を2台,3台,4台,あるいは5台所有するのは,当然といえば当然だろう(農作業用の軽トラックなども含めればネ)。
しかしながら,歴史にも伝統にも農業にも全く無縁の我らがコンペイトウ・ハウスに居住する人々にあっても,この地域における日常生活は基本的に自動車を中心にして成立しているというのが現状だ。仕事に行くにも,遊びに行くにも,買い物に行くにも,病院に行くにも,○○に行くにも,△△に行くにも,とにもかくにもクルマがなくっちゃ話にならない,ゼンゼン・マトモニ暮らしてゆけないんだから! という次第で,「生活の利便性」なる幻想的概念を錦の御旗として,当然のごとくに2台目,3台目のクルマを自家に受け入れている。結果として,車を所有していない一部のマイノリティ世帯は,独居老人か身体障碍者か海外からの出稼ぎ者か,あるいは単なる変人か,それらの人々が含まれるところの「社会的弱者」の烙印を押されることになる。
ところで現実問題として,それぞれのコンペイトウ・ハウスは概ね1台分の駐車スペースしかない(あっても,せいぜい2台分)ものだから,当該住宅地域内のあちこちにパッチ状に分布している放棄畑,放棄水田,造成地,工場・住宅跡地,路傍空地,荒れ地,自然裸地などの雑種地が当面の青空私営駐車場として活用されている事例が多い。空き地,大人気である。あまり人気過ぎて,なかには都心部並みに家から駐車場まで徒歩5分以上などという御苦労様なヒトビトも出てくる(そんなにまでして2台目のクルマを持ちたいか!) そのようなクルマ事情,土地利用事情は恐らく首都圏エリアにおける共通現象であり,サイタマ方面でもチバ方面でも似たような状況が見られるに違いない。本来の用途から逸脱した,なかなかに難儀で不幸な土地利用形態ではある。
社団法人日本自動車工業会によると,2002年度における我が国の自動車保有台数は,軽自動車を含めた乗用車が約5,200万台だという。日本全国の総世帯数は4,700万世帯ほどだから,1世帯当たりの自動車保有台数はほぼ1台という計算になる。これはホントの話だろうか? 統計数値操作の内情に疎い私としてはにわかに信じがたい(単純に考えるとそれだけ単身者の占める割合が多いということなのかな?)
ここで卑近な例を持ち出せば,現在我家が属する住民自治会の末端組織である「組」は計10世帯から構成されているが,その10世帯(世帯員数33人)が所有する自動車の合計台数は19台である。すなわち,1世帯当たりの平均所有台数は2台弱で,1.7人に対して1台の自動車が所有されている計算になる(当然,ジジババやアカンボを含めての話だ)。だいたいこんなところが当地方における平均的なクルマ普及事情ではないだろうか。ちなみに,拙宅の自家用車は今年で8年目になる草臥れた小型車が1台のみ,つまり4人に対して1台のクルマ所有率であり,モータリゼーション・レベルは非常に低い。
まあ,自動車の普及率云々はどうでもいい。ここで問題にしたいのは,この地域における自動車をとりまく環境について,クルマという確かに便利ではあるが同時に少々物騒な輸送機器の拠って立つところのフィールド,すなわちクルマが日常的に走行する道路網及び駐車施設(公的・私的を含めた)の敷設・配置ならびに整備状況が,ここでは極めて貧困かつイイカゲンであるという現実だ。それを,大都市圏周縁部を構成する弱小自治体の基本都市計画においてしばしば見られる道路整備事業の恒常的な立ち遅れ,インフラストラクチャーの脆弱さ,といってしまえば話は簡単だ。しかしながら,そもそも地域社会の歴史的形成過程がすぐれて自然発生的であり,クルマの存在などハナッから抜きにして集落が立地分布してきたにもかかわらず,現状における地域の生活は,いつのまにやら誰もがクルマを無条件で受け入れ,クルマを抜きに日々の暮らしを全うすることができないといった逆説的な歪んだ社会構造が暗黙の了解のもとに成立している。そのことに対して,右も左も富める者も貧しき者も一様に何ら異議申し立てをしないのは,少々ズルイのではないか。誰もが歴史を振り返ることなく,誰もが伝統や慣習をないがしろにしている。毎年,お座なりの実績作りとして数10m単位でのツギハギ的な道路改修が少しずつ実施されていったり,あるいは逆に,第二東名や国道246号バイパスなどの大規模事業だけに大上段に反対したりしていればそれで良かれというものではなかろうに。
再び卑近な例を示すと,現在,ウチの子供らは小学校まで約3km近くの道のりを,毎日毎日,片道40分ほどかけて徒歩通学している。比較的幅員の広い表通り沿いに通学路が設定されているのだが,何分にもイナカゆえ,その表通り自体が登校班の子供らが行列をなして歩くには実に危なっかしい道路である。センターラインで上下分離された片側一車線の車道部分については,一応はごく標準的な地方道であるといえる。しかし道路端の歩道部分を見ると,ガードレールがあったりなかったり(大部分は無い),場所によって極端に狭くなったりあるいは広くなったり(大部分は狭い),急なカーブがあったり坂道があったり凸凹なども各所にあったりする。加えて,ところどころに接続する脇道からの見通しも概して悪い。要するに,歩行者用通路として完全に(安全に)車歩道分離されているとは決して言えない中途半端な通学路なのだ。だいたい,道端に沿った幅60cm程度のドブにコンクリで蓋をして嵩上げ段差を施したガードレールもない心細い通路を「歩道」と称して,一体誰が納得するのだろうか?
さらに,そんな表通りから少し入ってみれば状況は一層厳しさを増すのであり,見通しが極めて悪くクネクネの,対向車がすれ違うのさえ非常に苦労するような狭い生活道路がいたるところに網目状に張り巡らされている。それらの多くは建築基準法からすると「道路」とはいえない閉鎖的な回廊であるが,一方で,人がノンビリ歩くには,あるいは自転車で走ったりするにはなかなか楽しい「道」である(クルマが走っていなければネ)。そのような道を気の向くままに歩いてゆくと,やがて車一台も通れなくなり,人と自転車とせいぜいリアカーくらいしか通り抜け出来ない道に行き当たることしばしばである。認定道路というのだろうか,いわゆる「畑の畦道」レベルなわけだ。
こういった道が迷路のように組み合わさっている地域を,巨大ミニバン,軽自動車,派手派手スポーツカー,小型トラック,豪奢な車,ボロ車などなど,実に玉石混淆,現代日本を代表する多種多彩なクルマの数々が,日々右往左往している。彼らは決してサーキットを疾走しているわけでもサーカスのスタントを見せつけているわけでも私道や私有地を移動しているわけでもない。コンペイトウ・ハウスの敷地境界のすぐ辺縁の公共の道を,あるものはビュンビュンと,またあるものはオソルオソル走り抜けてゆく。当然,その同じ道にはバーサンが手押し車を押しながらヨロヨロと動いているわけであり,ジーサンが右往左往しながら犬の散歩をしているわけであり,覚束ない操縦の小学生自転車がフラフラと走っているわけであり,ケータイに夢中の茶髪オネーチャンがタラタラと歩いているわけであり,ときには幼児が駄々をこねて寝転がったり(!)もしている。これはもう「車・歩道分離」云々以前の問題である。生活圏崩壊の状況である。インベーダーによる人権侵害の危機である。
では,かくのごとき「今そこにある危機」に対して,我ら人民は一体どうすればよいのだろうか?
答えは簡単。人々がクルマに対する認識を改めることだ。僭越ながら具体的対応策なんぞを多少とも示唆しておくと,まず第一に実施すべきは,地域レベルでの交通体系を根本的に変えることだろう。そんなにヤヤコシイことではない。例えば手っ取り早い方法として,裏道はすべて「車両一方通行」にしてしまえばいい。道のまん中をぶらぶら歩いていたり,道端で井戸端会議していたり,あるいは道の傍らで遊んでいたりする脆弱無垢の人々に対して,剣呑なインベーダー(=クルマ)が接近して来る方向が常に一定であるように設定する。ちょうど川に棲むアユやウグイ,ナマズやメダカ,カゲロウやユスリカ,ゲンゴロウやミズスマシ,ハリケイソウやビロウドランソウなどなど,なべての水生生物に対して河水が常に上流から下流へと流れてゆくように。たったそれだけのことで,町なかの道という道が,大小さまざまな空間がどれだけ風通しが良くなり,人々はどれほど気持ちよく毎日の生活を送れるようになるか,想像するに難くない。経絡のルネッサンスみたいなもんだろうか。 え?ウチまでのクルマの距離が遠くなって面倒だって? 単に御自慢のクルマをブイブイさせてちょいと迂回すればよいだけのことではないか! ガソリンが無駄になるし大気汚染も進むだろうって? いやいや,それを言うなら,大部分のクルマの存在自体が大いなる無駄であり環境への高負荷を生じせしめている元凶であるというのが実状ではないか!
さらに申せば,主要幹線道路はひとまず置いて,裏道や脇道や細道などについては「車両通行止」,「進入禁止」のゾーンを積極的に次々と設けていったらよいと思う。少なくとも住民車両以外は原則として立入禁止とする。道路の主要分岐ポイントに踏切式ゲートを設置したりバリケードを築いたり虎ロープを張ったり路面段差を作ったり,あるいは縁台を置いて閑な年寄りに囲碁でもやらせたり,まあ,その方式は何だって構わないですけどネ。なおその場合,車両通行禁止ゾーンの設定と並行して,現在は大小さまざまな規模であちこちの空き地に虫食い状に作られ続けている青空駐車場を統合・再編成し,拠点的にまとまった形での地域内共同駐車場を何箇所かに整備すべきだろう。
ただし,基本的人権の保障,人間らしい暮らしの復権ということを改まって考えてみれば,本来ならばコンペイトウ・ハウス・エリアにおいては住民利用を含めて裏道や細道は全面的に車両通行禁止にしてしまうのが一番なのだ。自宅の近所に安全な駐車場が別途確保できるのなら,わざわざ狭い敷地内に駐車スペースを設けなくたっていいではないか(いわゆる自動車オタク,マニア,コレクターの存在なんて微々たるものだろうし)。そうすれば地域内の裏道,細道が全てオープンスペース(散策路,公園,緩衝地,etc.)に変貌する。加えて,駐車場が不要になったコンペイトウには多少の空間的ゆとりが生じ,その結果,生活にウルオイ(ガーデ,ニング?とか)なんぞも生まれてくるかも知れません。
クルマなんてぇものは陸に上がったヤドカリが背負い込んでいる貝殻みたいに不便で厄介なものである。そのことを人々がもう少し理解する必要があるのではないかと思う。クルマが未だ存在しなかった時代,あるいはクルマがごく一部の特権階級のステイタス的所有物であった時代,大部分の人々は当然のように徒歩で移動し,バスや電車に乗り,あるいは自転車に乗り,あるいは荷車を引いていたのだ。それはそんなに遠い昔のことではない。再々度卑近な例を引っぱり出してしまうが,私自身の過去を一寸顧みれば,幼少年期,家には自動車なんてものは当然ありはしなかった。まわり近所の家にもほとんどなかった。初めて我が家で自動車を所有するようになったのは私が11才のときで,それも家の商売用に使われるためのペコペコの軽自動車だった(1960年代の話ですけど)。当時,一般的な社会通念としては自動車イコール商用車であり,クルマというものは仕事上の負担を軽減し労働生産性を高めてくれる有り難い,しかし大層高価な道具と見られていた。純粋に「自家用車」と呼べるクルマなど,恐らくは骨川スネ夫くんの家にしかなかったはずだ。そしてその他大勢の世帯にあってはスネ夫くんちの「自家用車」の存在を羨ましいなどとは決して感じていなかったし,そもそも「自家用車」の必要性自体をほとんど認めていなかった。羨んでいたのは,せいぜいスネ夫くんちの資産であり家柄であり階級であったわけで(叶わぬ夢とは知りながら)。なお,自動車はなかったけれど,モーターバイクは比較的ポピュラーな存在であった。それとてやはり商売用が主だったような気がする。自転車については各家庭にかなり普及していた。もっとも,ウチにはその自転車だって1台しかなかった。3人兄弟でそれを毎日奪い合うようにして交代で乗ったものだ(ま,単なるビンボーなんですけど)。ああ,思えば遙か彼方まで来つるものかな。
話が少々それた。この手のヨタ話はいくらでも続いてゆくから困ってしまう。さてさて,忌々しきクルマに対する防衛策として第二になすべきこと,そしてこちらの方が絶対本命だとは思うのだが,自動車の台数そのものを減らすことだ。コンペイトウ・ハウス・エリアにおいては1世帯あるいは1住宅が所有すべき自動車は原則として1台あれば十分ではないか。よくよく考えてみれば至極アタリマエなそのことを社会的コンセンサスとして定着させるべく,住民自身による意識改革が強く求められる所である。2台目,3台目がどうしても欲しいというゼータク者に対しては,行政サイドからの強権発動としてシンガポールみたいに税金をタンマリ掛けてやればよろしい。単純計算すればそれだけで自動車の台数は半減するではないか。自動車が売れなくなることは即ち経済破綻,社会不況に直結するだって? でもしかし,その考えはちょっとオカシイんじゃないか。自動車産業の浮沈動向が我が国の経済の指標であり将来の産業発展を左右するだなんて,そんな馬鹿な話があるものか。だいたい空間移動の手段が汎世界的に考えられる必要はまったくないのであって,そんな風に歪んでしまったこの国の社会構造や商品経済や生活様式は,さぁ,今すぐ見直さなくっちゃ。「暮らし」のクオリティが経済原理によってなし崩し的に引きずられてゆく(まさに「その日暮らし」的に!)のではなく,アナタやワタシの日々の暮らしのなかから本当に必要な「経済」をひとつづつ探り出してゆく(ちょうど「理想郷」を目指すがごとくに!)そのことが今まさに求められているのだ。宮澤賢治はそれをイーハトヴ → イーハトーブ → イーハトーボ → イエハトブと称した。試行錯誤が必要な所以です。
ということで,貧相なネタはあらかた出尽くしたようだ。当初の目論見(もしそんなものがあれば,の話だが)とは大分異なり,結局のところ尻切れトンボで夢物語的な戯言,自動車万能社会に対する凡庸で雑駁な異議申し立てになってしまった(毎度お恥ずかしい)。言いたいことは,ヲイ,そこのクルマ,アブナイじゃないか! と,単にそれだけなんだけれどもネ。それだけのことではあるが,そのことを毎日毎日,繰り返し繰り返しワタクシは言い続けたいのだ(あー,疲れる)。 なお,この話題には何となく続編がありそうな気がする(あー,ホントに疲れる!)