gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

菅総理の施政方針演説の前に一言言って欲しかった

2021-01-20 10:26:32 | 日記
日本の国民の生命と生活は私がどんなことがあっても守ります。それが総理としての仕事であります。だから国民の皆様も今のコロナ対策に全面的に協力していただきたい。そしてなんとしてもコロナを日本、否世界から撲滅しようではありませんか、コロナに打ち勝つ。それが今の私の絶対的使命です。明けない夜はありません。夜は長いかもしれませんが、日本の国民にはそれが出来る能力があります。勇気と知恵で今の難局を何としても乗り越えようではありませんか、そして過去にコロナという疫病神がいたと過去形で国民全部で言える普通の生活に早く戻れるようにしたいものです。私が一番願っているのは国民の命と健康です。それ以外に願う事はありません。この言葉を菅総理自らテレビで訴えて欲しいと思っているのは私一人ではないはずである。勇気を持って国難に立ち向かって欲しい。

半藤一利氏の死を悼む

2021-01-14 08:52:36 | 日記
半藤氏は生前から昭和史を探る探偵だと普段からいっていた。特に軍事関係では彼の右に出る人はあまりいないのではないか?遠い島ガナルカナル。ノモンハンの夏など彼が書いたノンフィクションの戦記物は多々ある。五味川純平氏の「人間の条件」や大岡昇平氏の「ルソン戦記、野火」と違う角度から鋭く昭和の軍部を批判して「というよりバッサリ切っている」今の若い人たちに戦争の悲惨さの警鐘を鳴らしてきた。戦前の「特に昭和に入り」軍人たちが政治にまで口をだし軍国主義の国家にしたことを彼は文章の中ですごく立腹している。駐在武官としてドイツやアメリカ、イギリス、ロシアを見てきた割りには世界情勢に疎い人間が多かった。ただ、半藤氏は自分が旧制長岡中学出身で先輩に山本五十六が居たという事をよく文章に書いていた。それに山本に関する本を何冊も書いている。同じ中学出身であるがためにだいぶ山本贔屓になっていた傾向がある。私事で恐縮だが私の祖父も旧制長岡中学出身であった。新潟には他に旧制新潟中学、高田中学があったが、長岡中学は一種独特の空気があったとよく祖父から聞いていた。江戸末期の戊辰戦争の時の長岡藩の戦いは後世に残るものであった。徳川四天王の高田藩や他の藩は簡単に薩長に手を挙げたが、河合継之助率いる長岡藩は最後まで抵抗した。だから新潟県でも長岡は他と毛色が違った。その血を引いた山本も昭和の軍人の中で異質であったようだ。話しは少し横道にそれたが、半藤氏が亡くなった事は本当に残念である。右でも左でもなく、戦前の軍部をきちんと批判しそれを文章に正確に残した数少ない文人であった。惜しい人を亡くしたものだ。本当の戦争の悲惨さを知っている最後の文人であった。

緊急時の政治家の発言と行動

2021-01-08 17:21:15 | 日記
先回は我慢の三週間、今回は勝負の一か月。この言葉はこの国で一様一番偉い総理大臣の言葉である。戦前もそうだが言葉で国民を鼓舞したり𠮟咤激励したりして国民を欺瞞してきた。国民にここまで犠牲を強いるなら私は何回も書いたが言葉を発した人間から行動で示すべきであろう。それなのに菅総理や橋本議員、他の国会議員は国民に犠牲を強いておきながらアンタたちはその逆をの行動をしている。それだから菅や他の議員の言葉が国民に届かないのである。政治家や日本国民も含めて今、非常時であるという事をもっと真剣に考えて貰いたい。日本人の大半は非常時と平時の区別がつかないというより敗戦後一度もこのような危機に直面したことがないので本当の意味の危機感が持てないと言うのが本音であろうか?そろそろ日本人も自分の国「軍事的、経済的、真の民主主義的」自分で守るという意識を持ちこの国難を国民みんなで共有して頑張っていこうではないか。もう真に国民や国家の事を考えていない国賊な国会議員なんか当てにしないで国民一人一人が行動を起こす時である。そうしないとこの国は本当に沈没する。