かたすみ時間

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本佐倉城趾見学会

2014-06-30 14:58:44 | 日記

2014/06/28、酒々井町で開催された本佐倉城趾見学会に出かけました。雨がぱらついていたりして、出遅れてしまいましたが、酒々井ふるさとガイドの会の齊藤進さんにマンツーマンで案内をしていただきました。齊藤さん、山本会長、ありがとうございました。

酒々井町は文化財の保存と活用に熱心な自治体なのですが、中央公民館には「酒々井まちづくり研究所」という表札の掛かった部屋があったりして感心し ました。

下のイラストは酒々井町教育委員会生涯学習課文化財班が作成した鳥瞰図です。その昔は東山虎口という城の入り口の近くまで印旛沼の水域あるいは湿地帯が迫っていたのだそうです。本佐倉城は1469年に千葉市中央区亥鼻に居城を構えていた千葉市の子孫(千葉輔胤)がこの地に平屋建物群を築造し、1590年に豊臣秀吉に千葉市が滅ぼされるまで、当主9代100余年の間、下総の首府として栄えたのだそうです。

平成10年9月に国史跡に指定され、発掘調査が行われ、最近でも調査・保存がなされているそうです。

城は印旛沼に接する標高約36mの台地に築かれ、東西約700m、南北約800m、面積約35万㎡に及ぶのだそうですが、城趾であることを示す案内標識があり、雑草が生い茂る草むらですから、芭蕉の「奥の細道」の中の「夏草や兵どもが夢の跡」という句を思い出してしまうのは私一人ではないだろうと思います。

史跡のあちこちに、案内板が掲示してあります。発掘調査の様子が記録されているものも少なくありません。城趾ということですが、当時の建物の基礎に使われたであろう礎石、玉石のたぐいが類が残っていないのが意外に思いましたが、万里の長城では地元の人たちが自宅の建築資材として煉瓦等を搬出してしまったという話を思い出したりしました。

城趾の一角に山門があり、小さな神社がありますが、地元の氏子の方達が維持管理しているということで、残念ながら歴史的建造物とは言えない建物でした。

酒々井町教育委員会は本佐倉城趾に関して様々なパンフレットを作成しています。中央公民館で手に入れることが出来ます。インターネットで見られるようにサイトの整備も充実しています。例えば本佐倉城散策マップのURLはこちらです。
http://www.town.shisui.chiba.jp/kanko/road_and_guidepost/motosaku/motosakurajo_sansaku.pdf
城趾の一角、かって建物が建っていたという区画の中に切り株が残っていますが、年輪から樹齢100年前後の切り株と分かります。

「・・・兵どもが夢の跡」の思いを強くしますが、ふるさとガイドの会の皆さんが植えたのかも知れませんが、きれいな花に心が和みます。


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