生前、父が乗っていた車は、乗り換えたり、ぶつけられて廃車になったりで、何台にもなるけれど(皆そんなもんかと思うのだけれども…)、印象に残っている車って、ほとんどない。。。
ただ、
物心ついた頃に父が乗っていたのが、この、大ヒット?した「ケンメリ」のスカイラインで…この車だけはとっても強く印象に残っているのです☆
といっても、ずーっと忘れていたようなことだけどね(笑)。
本を読んでいて、ふと、思い出したんだよ。
スカイライン、といったら…GTRとかね、スポーツカーのイメージがとても強いけれども、いつの時代のラインナップにも、自家用乗用車クラスのラインナップは存在していたのです。。。
丸いテールランプがあまりにも強烈なイメージを与えるためか、とても印象薄いと思うけれども、、、父が乗っていたのは、そのクラスの車だった。
1800GL、とかいうクラスだったよ。
それでも、ボディの側面にサーフィンのような、波のようなイメージをデザインした「サーフィンライン」もあしらわれていたし、何より父は当時はまだそれほどたくさんはなかったオートマチック車を選んでいて、それをとても自慢していたんだよね。。。
今のように「オートマ」といわずに、父は「トルコン(トルクコンバータ、の意味らしい)」と呼んでいたよ。それも、とても印象的だった。
テールランプは、あの強烈な丸いやつではなかったけれども、、、小さな四角いランプを6つ並べたデザインは、子ども心にも、なかなか印象深かったんだよね。。
長い間、どうして2000GTに乗ってくれなかったのかなぁって思っていたけれど…今になってみてみると、いや、味わい深くて、いいデザインだね!
ぼくもいま買うとしたら…1800もいいなぁなんて思うんじゃないかなぁ(笑)。
…幼少の頃、弟が川崎病という難病にかかった時期があって、母が付ききりで一緒に入院して付き添ってたんだよね。
そして、父が仕事終わって晩を食べてから見舞いに行くのに、いつも一緒に連れて行ってもらって…病院の駐車場で、ぼくは入れないから待っていてさ、すると母が入れ替わりでやってきて、父が戻るまでしばらく車の中ですごしてね…そのときの車も、このスカイラインだった。
…その後、それほど年月経ってなかったと思うけれども、叔父さん(父よりすこし歳が離れた弟にあたる)が免許取り立ての頃?かな?祖父母を乗せて事故起こしてさ(汗)、幸いみな骨折程度で済んだけれども、車はあえなくおシャカ。。。
板金屋さんに引き取られたこの車を、一度見に行ったことがあったけれど(今にして思えば処理の相談に行ったんだと思うけど…ついていったんだね、きっと)、フロントガラス粉々で顔も分からなくなってしまっている様子は、なんだか可愛そうだったよ。一枚の写真のように、記憶に残ってたわ。。
それ以降、父はしばらく、商用車に毛が生えたくらいのクラスの車ばかりに乗るようになったんだよね。
だから、余計印象に残ってるのかな(笑)。
…このスカイラインも、コロナ篭りの中で思い出した風景のひとつだね。
ずっと、忘れてた。
ずっと、忘れてたけれど、思い出してみたら…とっても強く印象に残っていたんだ。
父は人付き合いがとても良くて、気のいい人だったと思うけれども…
子どもの頃、父は…いつも不機嫌な印象しかなくて。
いまでもハッキリしない印象だけれども…
この車はなんだか、とってもいい思い出の風景みたいで…せっかく思い出したのだから…曲を作ってみているよ(笑)。
形になるかなぁ(苦笑)。
ま、
ライブでお披露目できるのは一体いつになるのか…こちらはあまり期待できないけどね(笑)。
ただ、
物心ついた頃に父が乗っていたのが、この、大ヒット?した「ケンメリ」のスカイラインで…この車だけはとっても強く印象に残っているのです☆
といっても、ずーっと忘れていたようなことだけどね(笑)。
本を読んでいて、ふと、思い出したんだよ。
スカイライン、といったら…GTRとかね、スポーツカーのイメージがとても強いけれども、いつの時代のラインナップにも、自家用乗用車クラスのラインナップは存在していたのです。。。
丸いテールランプがあまりにも強烈なイメージを与えるためか、とても印象薄いと思うけれども、、、父が乗っていたのは、そのクラスの車だった。
1800GL、とかいうクラスだったよ。
それでも、ボディの側面にサーフィンのような、波のようなイメージをデザインした「サーフィンライン」もあしらわれていたし、何より父は当時はまだそれほどたくさんはなかったオートマチック車を選んでいて、それをとても自慢していたんだよね。。。
今のように「オートマ」といわずに、父は「トルコン(トルクコンバータ、の意味らしい)」と呼んでいたよ。それも、とても印象的だった。
テールランプは、あの強烈な丸いやつではなかったけれども、、、小さな四角いランプを6つ並べたデザインは、子ども心にも、なかなか印象深かったんだよね。。
長い間、どうして2000GTに乗ってくれなかったのかなぁって思っていたけれど…今になってみてみると、いや、味わい深くて、いいデザインだね!
ぼくもいま買うとしたら…1800もいいなぁなんて思うんじゃないかなぁ(笑)。
…幼少の頃、弟が川崎病という難病にかかった時期があって、母が付ききりで一緒に入院して付き添ってたんだよね。
そして、父が仕事終わって晩を食べてから見舞いに行くのに、いつも一緒に連れて行ってもらって…病院の駐車場で、ぼくは入れないから待っていてさ、すると母が入れ替わりでやってきて、父が戻るまでしばらく車の中ですごしてね…そのときの車も、このスカイラインだった。
…その後、それほど年月経ってなかったと思うけれども、叔父さん(父よりすこし歳が離れた弟にあたる)が免許取り立ての頃?かな?祖父母を乗せて事故起こしてさ(汗)、幸いみな骨折程度で済んだけれども、車はあえなくおシャカ。。。
板金屋さんに引き取られたこの車を、一度見に行ったことがあったけれど(今にして思えば処理の相談に行ったんだと思うけど…ついていったんだね、きっと)、フロントガラス粉々で顔も分からなくなってしまっている様子は、なんだか可愛そうだったよ。一枚の写真のように、記憶に残ってたわ。。
それ以降、父はしばらく、商用車に毛が生えたくらいのクラスの車ばかりに乗るようになったんだよね。
だから、余計印象に残ってるのかな(笑)。
…このスカイラインも、コロナ篭りの中で思い出した風景のひとつだね。
ずっと、忘れてた。
ずっと、忘れてたけれど、思い出してみたら…とっても強く印象に残っていたんだ。
父は人付き合いがとても良くて、気のいい人だったと思うけれども…
子どもの頃、父は…いつも不機嫌な印象しかなくて。
いまでもハッキリしない印象だけれども…
この車はなんだか、とってもいい思い出の風景みたいで…せっかく思い出したのだから…曲を作ってみているよ(笑)。
形になるかなぁ(苦笑)。
ま、
ライブでお披露目できるのは一体いつになるのか…こちらはあまり期待できないけどね(笑)。
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