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鵜磯小学校よ、いつまでも....☆

2014-03-29 23:24:51 | Weblog
....またまた空いてしまったわ(汗)。




いかんいかん。




さて。
東京は、昨日今日のあたたかさで、目黒川沿いの桜並木は9分方満開に.... 。
ウチの近くのね、善福寺川沿いは、まだそこ迄咲いてないんだよ、同じ東京でも、都心の方はやっぱり、気温上がるのね。




ほんの一週間前。
先週末、岩手県は宮古市~重茂の大雪の中を突き進んだことが嘘のような陽気。。。

昼間から雪景色の中、ひとり半ズボン(爆)スタイルでさ、こどもたちより薄着だったんだよね(苦笑)。






先週の木金で降り続いた雪で、宮古市は51センチという、この時期では記録的な大雪に。






そんな中、重茂でご縁をいただいた、鵜磯小学校の閉校式~思い出を語る会に参列させていただきました。

この日は雪の影響で、宮古市内での移動が、遅れ気味に。
盛岡からバスで宮古迄、約2時間。
でも、コチラはほぼ定刻通り。

いつもの、区境と云う峠を越えてゆくのですが、宮古市内の方が積雪多いくらいでした。





無事、宮古に到着後、そのまま浄土ヶ浜旅館へ向かい、荷物を置かせていただいて、、、市役所からの参列の方と共に、市役所発のマイクロバスに乗り込みまして、一路重茂を目指します。
しかしこの、市街から重茂迄の道のりは、、、うねうねのかなりの山道。
普通で行っても1時間弱かかるのです。





本州最東端の地、重茂半島は、宮古市の東側を太平洋に向かっておおきく広がる、断崖の半島なのです。
港や漁師町のある場所以外は、ほとんどが崖の上。
そこへゆくには、狭い山道をかなり登ってゆかなければならないのです。




普段でも車のすれ違いが大変な山道、この日は、路肩に寄せられた雪の山が更に道を狭くし、更には閉校式の会場へ向かう車が普段より多く通っていたため、すれ違いのときは、プチ渋滞状態。
レンタカーで直接向かう、と云う無謀な作戦を取らずにすんでよかったわ(苦笑)。





まず向かったのは、式典が行われる、合併先となる「重茂小学校」。
そう、ここは、昨年12月、鵜磯小の皆んなと一緒にウクレレを弾いた、思い出深い場所でもあります。。。

4月から、鵜磯小のみんな、そして、もうひとつ、から千鶏小学校の在校生は、あらたに、重茂小学校、の生徒として新年度を迎えることになるのです。










クリスマス前、一緒にウクレレを弾いたみんな、卒業した6年生も一緒に。


















5~6年前から始まり、小学校の名物出し物になった「鵜磯ソーラン」。
生徒みなで気持をひとつに、大漁祈願、元気を送る、力強いソーランです。






この日は、式典の最後に、これで本当に最後となる、ソーランを披露してくれました。
ちょっと、言葉にならないものが、こみ上げて来てしまって。








全国紙の記事にもなった、鵜磯ソーラン、とは、このことだったんですよ。


みんな、すてきなソーラン節を、本当に、ありがとう。。。




みんなで、描いたんだよね、この横断幕。












全校で14名。











鵜の鳥と、海をあしらった、鵜磯小学校の校章。

古い体育館にも。











....いったい、どうして自分がこの場に居るのか....時折、そんな想いも、頭をよぎりながら。
しかし、言葉にならない想いに、涙を抑えることが出来ずに。







地域ぐるみでいつも風通しよく、運動会も、学習発表会なる、文化祭?も、いつもいつも、地域をあげてのお祭りだったそうです。

地元の反対を押し切っての決断だったことも、伺いました。





もともと合併の動きがあり、議論されていた中での、震災。
校舎の一階部分迄波が襲ったそうです。

津波の影響で、避難、そして、そのまま子供たちは、重茂小学校での暮らしを余儀なくされる状況になり、その後の議論の末、重茂小学校への編入、となったのだそうです。







険しい山道を通う子たちの、通学ひとつとっても大変だったことでしょう。







130年あまりの歴史ある、小学校。

卒業生の皆さんの想いは、いかばかりだったことでしょう。。






鵜磯小の閉校が動かせない状況となってしまった時、最後のPTA会長を務めていらしたのが、昨年6月の浄土ガ浜旅館落成記念祝賀会でお会いすることになった、漁協の、こなりさん。









そう云えばこのときね。
祝賀会がお開きになってから、それまで出番もあり、席に戻れずに居たので、ようやくゆっくりご飯をいただけた(笑)どぶゆきは、皆さんが帰られた後も、モリモリ美味しい食事をいただいていたのですが....この時、最後迄残っていたのが、このこなりさん、だったのです。。。

♪オモエサンライズ、を、出し物で披露したことで、その時に声をかけてくださったのが最初。





「これに歌が有ったらいいのになぁ、これにさぁ、校歌とかから少し歌詞を拾ったりして、歌作ってくんねぇかなぁ....?」





そんなお話をその時して居られて(笑)、まー、そんなことが実現するのかどうか解らんけど....




「何か、子供たちの記念に、のこしてぇんだ」




と。









その言葉の裏には、ずっと鵜磯で育って来た、OB、OGの皆さんの想いがあったことをその時はまだよく解って居りませんでした。








先週ね。
途中からこなりさんが車で荷物を運んで下さって、車に便乗させてもらったんですが....その時、語って下さったことが、とても、心に残っています。







「ヘタしたら、最後にPTA会長をやってた俺まで、学校をつぶしたヤツっていわれかねねんだ。最後迄反対してたにもかかわらずだ。だから、なにか、残したかったんだ。そして、歌にしてくれたら、学校はなくなっても、その歌を歌ってくれるときは、そこに鵜磯小学校が、ずっとに残るんだ。だから、なんとしても、お願いしたかったんだ。」





と。





式典終了後、全員、最後のお別れとして、小学校の校舎に向かったのです。
その途中のお話。





復興だ、被災地だ、と、メディアでもことあるごとに議論や話題となってきた、3年前の震災。
そして、すこしずつ、時間と共に、世間の関心はうすれるばかり。
そう、まるで、もう皆が皆、普通の暮らしを取りもどすことが出来たかのように。。。




テレビで映ることなんて、本当に本当に、わずかなひとにぎりの出来事だと、ずっと、ことあるごとに、伝えて来たつもりです。
それは、我々の活動が、そんなメディアとは関係のないところで、ずっと続けて来られたから、ですね。




いったい、この、会長の言葉のような気持を、我々は想像することが、できたでしょうか。。。
メディアは、知っているのでしょうか。









いろんな出来事がいっぺんにひっくり返され、そして、ふかくふかく、つながってゆき、本当に繊細に、そこで暮らす方々のココロに影を落としているのです。







音楽ってね。
本当に、何の役にも立たなくて、あの震災後、本当に本当に、迷い悩み、こんなことに一生の大部分の時間を捧げ、命を削って来た自分は、一体なんだったのか、と、自問自答を繰り返して来ました。。。
そう云う想いをした音楽家も、きっと、たくさん居たのではないかとおもうのです。

でもさ、そんな自分のことアレコレちっちゃく考えるゆとり有ったら、それより先に出来ること、あるんじゃないかと、常に思い、そして、偶然出会うことが出来た素晴らしい仲間達と、こうして活動を続けさせていただく中から、自ずとその答えも、そして、この先走ってゆける勇気までも、分けていただくことが、こんな風に、いま、実感としてこの体で感じられるなんてことは....想像もできないことでした。




そして、こんなちっちゃな音楽が、それでも、ひとつひとつ、小さな花を咲かせてゆく様を、いままで、何度も、何度も、どぶゆきは、見て来ました。





どぶゆきの一方的な気持から始まった、このメロディ~オモエサンライズ。

しかし、それが、こうして、今度は、重茂からのリクエストとして....確かにまた、ひとつの小さな花となって咲いたことを....どぶゆきがどれほど感慨深く感じているか、ちょっと、うまくお伝え出来ませんが。。。

こなりさん、鵜磯のみなさん、そして、重茂の、宮古の、東北の皆さん、そして、、、活動に賛同して下さっている、全国の皆さん。
本当にありがとう。。。






音楽には、やっぱり、力があるんですよね。





それは、お家が建てられるとか、なくなってしまった財産が戻るとか、町が蘇るとか、そんな力は全くないのですが....そんなんとは違う、確かに、見えないところに、見えないココロに効く、何かとして....そして、いつかそれが、そこで暮らす方々の元気の、一瞬かもしれませんが、源として。。。

どぶゆきは、いまでは、確信しています。

信じています。





そして、そんな元気を人が感じた時。
その時こそ、何かが動き始め、変わり始める、その時、かも知れないのですから。。。








だいぶ脱線しました、笑。

この二年半、ずっと折に触れ活動して来たことが、いろんないろんなご縁を紡ぎ、またパワーをいただく出来事となり、こうして今があること....もううまく言葉では言い表せません。。
あまりに、いろんな出来事が、ありすぎて。。。





ただただ、出会って下さったみなさんに、感謝の想いがあるばかり。。







さて、式典後。






向かったのは、前述の通り、鵜磯小学校。
















一階部分は、波で貫通。
ガラスの部分に張られたベニヤ板に色をつけたのは、画家さんだそうです。








懐かしむ、地元のみなさんの、声。

何十年ぶりとかで、校舎に入られた方もいらっしゃるのかもしれません。。















最後の想いを、黒板に。












時計は、津波到達の時刻を指したまま、眠っています。






















この窓から、以前は海はこんなに見えなかったのだそうです。
前は林で木に覆われて居り。
それらはすっぽりと、波にさらわれて。。









港の正面に、大きな岩山が見えますよね?
海にある大岩なのですが....この岩が、最初の波の力をかなり軽減してくれる役割を果たしたのではないかと、話してくれました。

いちどここにぶつかった波が左右に力割れて、、、次に両側の山に当たってその後、港に押し寄せたことにより、幾分、威力を落とすことになったのでは、ということです。






事実、ここより高い場所ある、もうひとつの閉校となる小学校~千鶏小学校にも、被害をもたらしたとのことですから。。。






最初は地震後、校庭に子供たちもいったん避難していたそうです。
その後、校舎裏の、少し高い体育館に移動。

その後、窓から、大きな波が押し寄せてくるのを発見した先生が、急いで、体育館の裏の戸を蹴破り、山をのぼって皆を避難させたのだそうです。





















小さな古い体育館。

思い出もいっぱいつまっているようです。








様々な想いがこの短い時間に、光の矢のように交錯してゆくさまが、目に見えるような、そんなひとときでした。











ここでバスを待つ人も、少なくなるのかな。











このブランコで遊ぶ子の姿は、もう見られないのかもしれません。












まるで、いつか、いっしょに通ったことがあるような。。。













この後、今度は、浄土ガ浜にある、パークホテルの広間へ移動。




















雪道のお陰で、随分予定が押したようです。。。
























さ。
どぶゆきの出番はここから☆











歌版~♪オモエサンライズ、を、披露。
そして、
小学校のおだせんせ、そして、浄土ヶ浜旅館の若女将~宮古復興娘、ちはるちゃんと、一緒に鵜磯小校歌を。。

なんと。

この日、校歌の旧バージョンが存在することが発覚(笑)。

冬にいただいた楽譜は、旧バージョン。
いま子供たちも含め、みなさんが唄われているのは、新バージョン!



そんなことも、いい話題になったひととき。







いったい、どんな風に響いたのかしら....ぜんぜん解らんけど(苦笑)。







おだせんせいは、12月の訪問の際、子供たちに混じって、すごく盛り上げてくださった方!
以来、すっかりウクレレにハマり!?自分で楽器を購入、息子さんまでウクレレを始めてしまうと云う事態に(笑)。

宮古復興娘、そして、せんせいと一緒にウクレレでうたった校歌は、きっと、どぶゆきも忘れません。。。







演奏後、こなりさんが、思いあまって!?ステージに登場(笑)。

オモエサンライズの経緯等、熱く語って下さいました。。。









本当に喜んで下さったようで....嬉しいような、ホッとしたような、、笑。









レレサポ山本の一言がとても印象的でしたよ。









「宮古以外の人でこの場に居るのって、どぶさんだけじゃね?」








始まりの式典に、様々な人が参列することはあっても、締めの式典に、それまで関わりのなかった人が参列させていただくことも、確かに、なかなかないことかもしれませんね。。。


....不思議なご縁に、想いを馳せながら。


























翌日曜は、またまた、全力投球!?の訪問演奏、でしたよ、それはまた次のブログで....☆








ありがとう、鵜磯小学校。






いつまでも、いつまでも。。。

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