このブログの更新をこれをもって永久に終了しようと思う。
なぜならこのブログの最初の投稿で予告した通り、当時の「私」と当時から見た「未来形の『私』」の断絶が確認されたからである。
この「断絶」がいつ発生したのかは未だ断言を憚られる(現在の私が知るところではない)。しかし、それが「確認」されたのは今である。それは確かにこのブログを対象として観察/解釈する「未来形の『私』」の存在が確認されたからで . . . 本文を読む
この文章ではコミュニケーション論とメディア論の相対的位置づけについて論じる。言い換えれば、コミュニケーション論とメディア論は互いにどう違うのかということについてである。
この考察をしようと思うのは、当然のことだが、この2つの領域の境界が曖昧、あるいは混乱を起こすような状態にあるという現状であると私が考えているからである。
それではコミュニケーション論とメディア論はそれぞれどうあるべきなのか . . . 本文を読む
わけあって一泊入院した。
いつもの独房とは全く違う。もちろんだけれども。病室はひとつの部屋に6つのベットがある。それぞれカーテンを閉めると個室のようになる。向かいのベッドの人は明日が手術のようで、家族たちが面会時間ギリギリまで賑やかに話していた。右隣の人は明日が待ちに待った退院のようだった。来る人来る人に「明日、退院なんです。お世話になりました。」と声をかけている。こんなときに見せる相手の反応 . . . 本文を読む
この文章はメディア論の理論をとりまく様々な概念を定義しなおし、全体のなかに位置づけ直すないし確認することを目的とするものである。
メディア論といえばマーシャル・マクルーハンを古典として、70年代頃に始まり、現在までその論者を増やし続けている分野である。一般的には社会学ないし文学に包摂されている分野であるが、少なくとも日本においてはメディア論としてひとつの分野を独立して確立しつつある。
しかし . . . 本文を読む
この論考は近年(90年代以降)多くなってきている、若者論、サブカルチャー論、ネット文化論の論じられ方を整理し、その従来のあり方への批判を試みるものである。
サブカルチャー論といえば80年代アンダーグラウンド文化を分析する分野が出現し、それがカルチュラルスタディーズ、文化社会学、メディア論、都市社会学、広くは文学理論とも結びつきながら従来の社会学理論とは独自の、しかも加速度的な発展を遂げてきたよ . . . 本文を読む
あろむいたしがるど みおかんてんし。
うん、あれうぇーうい す むぐううおいてるおおおぬ!
んんんんんくぅくぅくぅくぅくぅくぅくぅくぅぽいける
あ
ゔぉうるにゅぐ だ;いいがいがうらがんゔぁかああ。 . . . 本文を読む
誰だって孤独になることはある。一方で、孤独になるということがどういうことかわからない。
完全に孤独になろうと意識した瞬間、その人は孤独な状態から逸脱する。
だからこそ(この3つの条件があるからこそ)、孤独になろうと思うのではないか。
とりあえずこのブログを設立した経緯を「つくって」みようとおもう。孤独とコミュニケーションというテーマで話していきたいが、その話に直接入らず、このブログを書くという . . . 本文を読む