まー、この年になるといろんなことに理由をつけたくなるんだよね。
自分の存在意義とか、使命とか、生きる意味とか…
無意味な事はなるべく避けているなと。
若い時は浅はかで良かった。
勢いだけで生きていけたからね。
その時の欲望のまま
気分が向いたら下らない事でもなんでも、すっげー意味があるかのように一所懸命だったな。
今は本当に特別な事しか情熱がわかないよ。
特にここ数年は、公益以外に興味わかないね。
だから、生業に関しても公益性のない事は考える気にもなれないな。
俺は革命を起こす事に熱中してる。
政治的革命ってゆーより
パブリックの意識革命だな。
今までは考えもしなかったことを、今後未来に向けて当たり前のセンスにしてゆくこと。
例えば、子供たち全員が海外留学するとか。
募金集めとかじゃないボランティア活動するとか。
じーさんばーさんまでみんな外国語ができるようになるとか。
どの店に入ってもメニューは多言語表記されてるとか。
全ての市町村で自治体が経営する企業が誕生するとか。
全ての海産物を養殖するとか。
農家から直接海外に輸出するとか。
ホントに沢山の非常識を常識に変えて行きたいんだよね。
まず俺の視点はアジアはひとつ。
すべての国とダイレクトに繋がること。
人も物も金も全て。
仕事も教育も全部アジア単位で考えるの。
日本の抱えるたくさんの問題も、アジアを一括りに考える事で解決できることが沢山ある。
その逆もしかりで、他の国が抱える問題もアジア単位で考えると解決策も見えてくる。
だからさ、欧米社会の思惑にハマって国と国がもめてる場合じゃない訳よ。
世界平和はアジアからって感じ。
本当は支那や朝鮮ともめた方がいい理由なんて何一つない。
大東亜戦争だって、蒋介石が欧米人にそそのかされて始まった事だし。
ま、あれは国内で陸軍が割れたのも原因の一つではあるけどさ。
日韓併合だって武力行使で無理矢理併合した訳じゃ無いじゃん。
併合後に現地人を奴隷化して開発したわけでもない。
支那も朝鮮も日本もちゃんとした教育しなきゃダメ。
憎悪をすり込む教育とか、自虐史観を植え付ける教育なんかしちゃダメだよ。
確かに、言い分はあると思うんだ。
その言い分もひっくるめて全部教えた方がいい。
善し悪しを判断するのは自由にすればいい。
考え方は多様性がある方が健全だしね。
その国その国で立場も言い分もあるじゃん。
それを全部教えたらいい。
例えば日本はこういう立場で、コレコレの事実に基づいてあーだこーだって言うのと併せて、支那はこういう立場でなになにの資料から~の様な歴史観を持っています。
って感じ。
別にその事で善悪を決めろって事じゃなく、あ互いの違った立場、違った歴史観、違ったアイデンティティをお互いが知る事により、もっと建設的な議論が可能になるじゃない?
結局行き着くところ、いがみ合ってても何一ついい事は無いっねことさ。
だから俺はアジアを一つにしたいんだ。
それぞれの国にいい所は沢山ある。
それをお互いにシェアし合えばいいだけ。
足りない所は補い合えばいい。
なんで今現在出来てない?
未来においても出来ないと思うでしょ?
できない理由は簡単。
誰もやらないから。
単にやらないのが当たり前ってゆー連鎖。
だから教育が必要なわけ。
子供たちは教育によりアジアを一括りに見る事が出来るようになる。
そして同時に問題解決に取り組んだり、いいものを共有するってことが未来において当たり前のセンスになってくる訳。
俺はねそーゆー事を目的にアジアを一括りにしたいわけなんだよね。
未来の子供たちのために
未来の世界平和のために
そして同時に一人一人の国民のために。
その為に俺はアジアの架け橋になりたいんだ。