きみの靴の中の砂

自称芸術家

 

 

 1970年代、日本の文芸が最後のひと花を咲かせていた頃、小説家が小説家として認知されている証明は、毎月どこかの文芸誌に短篇か中編を掲載することだった。その後の時代は読者の減少 —— 文芸の人気離れ —— もあり、文芸誌の休刊・廃刊・発行部数の削減が続いた。そんなこともあって、今では小説家の肩書きだけでは生活が困難になった。それは小説家に限らず画家や写真家なども例外ではない。いずれも、生活するには副業が必要になった。

 他にも肩書きを付けるにあたり、ほとんど存在を証明できなくなった職種もある。例えば映画監督などは、肩書きはおろか職業としてなり立っていないものもある。かつては、どんなにヒット作がなくても、製作費の安い併映用の二級作品を一、二年に一本、生涯十五本程度撮らせてもらえると、現役をリタイア後も映画監督として肩書きは残せた。しかし、今、数本の作品を監督したからといって、生涯を通じて監督を名乗れるわけじゃない。老後、下手に名乗ると『自称映画監督』と揶揄されかねない。これは前述の小説家、画家、写真家、或いは歌手も同様に、人々の記憶から遠ざかると不名誉な『自称』という肩書きを世間から付けられてしまう。

 芸術家が、教師などの副業を持つのが当たり前の時代になった以上、加齢と共に本業が振るわなくなったら、それまでの副業を本業として、また、それまでの本業は『趣味』として続ける努力をするのが楽しい人生の過ごし方だろう。過去の栄光に浸って生きるだけでは、精神衛生にも悪いし、寂しいことだ。

 

 

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