おはようございます。
今朝の東京は、小雨模様です。
昨日は、目黒不動尊に行ってきました。
説明
境内は台地と平地の境目に位置し、仁王門などの建つ平地と、大本堂の建つ高台の2段に造成されている。仁王門をくぐると正面に大本堂へ至る急な石段がある。石段下の左方には独鈷の滝(とっこのたき)、前不動堂、勢至堂などがあり、右方には書院、地蔵堂、観音堂、阿弥陀堂などがある。
仁王門
三間一戸の朱塗りの楼門で、昭和37年(1962年)再建の鉄筋コンクリート造である。
野村宗十郎銅像
仁王門を入って左手にある。野村宗十郎(1857 - 1925)は、築地活版製造所の社長で、日本に明朝体活字を普及させた人物である。
独鈷の滝
本堂へと登る石段下の左手に池があり、2体の龍の口から水が吐き出されている。伝承では、円仁が寺地を定めようとして独鈷(とっこ、古代インドの武器に由来する仏具の一種)を投げたところ、その落下した地から霊泉が涌き出し、今日まで枯れることはないという。
前不動堂
独鈷の滝の左方にある宝形造朱塗りの小堂。江戸時代中期の建築で、東京都の有形文化財に指定されている。
勢至堂
前不動堂のさらに左方にある宝形造の小堂。江戸時代中期の建築で、目黒区の有形文化財に指定されている。付近には甘藷先生(青木昆陽)碑、北一輝碑、本居長世碑などがある。
大本堂
急な石段を登った先の一段高い土地に建つ。入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和56年(1981年)再建の鉄筋コンクリート造建築。傾斜地に建っており、室生寺金堂や石山寺本堂のような懸造(かけづくり)風のつくりになっている。天井には日本画家、川端龍子の「波涛龍図」が描かれている。
大日如来像
大本堂の背後にある露座の銅製仏像。膝前で印を結ぶ胎蔵界大日如来像で、天和3年(1683年)の作。
青木昆陽墓
本堂裏手の道を右方へ進んだ先の飛地境内の墓地内に立つ。青木昆陽(1698 - 1769)は江戸時代中期の儒者で、サツマイモ(甘藷)の栽培を普及させた人物として知られる。墓は簡素な墓石に「甘藷先生墓」と刻まれたもので、昆陽が生前に立てさせたものという。国の史跡に指定されている。
水かけ不動明王








本堂

お金を洗います。






裏手です。




夜は、菜々笑です。




御馳走様でした。
今朝の東京は、小雨模様です。
昨日は、目黒不動尊に行ってきました。
説明
境内は台地と平地の境目に位置し、仁王門などの建つ平地と、大本堂の建つ高台の2段に造成されている。仁王門をくぐると正面に大本堂へ至る急な石段がある。石段下の左方には独鈷の滝(とっこのたき)、前不動堂、勢至堂などがあり、右方には書院、地蔵堂、観音堂、阿弥陀堂などがある。
仁王門
三間一戸の朱塗りの楼門で、昭和37年(1962年)再建の鉄筋コンクリート造である。
野村宗十郎銅像
仁王門を入って左手にある。野村宗十郎(1857 - 1925)は、築地活版製造所の社長で、日本に明朝体活字を普及させた人物である。
独鈷の滝
本堂へと登る石段下の左手に池があり、2体の龍の口から水が吐き出されている。伝承では、円仁が寺地を定めようとして独鈷(とっこ、古代インドの武器に由来する仏具の一種)を投げたところ、その落下した地から霊泉が涌き出し、今日まで枯れることはないという。
前不動堂
独鈷の滝の左方にある宝形造朱塗りの小堂。江戸時代中期の建築で、東京都の有形文化財に指定されている。
勢至堂
前不動堂のさらに左方にある宝形造の小堂。江戸時代中期の建築で、目黒区の有形文化財に指定されている。付近には甘藷先生(青木昆陽)碑、北一輝碑、本居長世碑などがある。
大本堂
急な石段を登った先の一段高い土地に建つ。入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和56年(1981年)再建の鉄筋コンクリート造建築。傾斜地に建っており、室生寺金堂や石山寺本堂のような懸造(かけづくり)風のつくりになっている。天井には日本画家、川端龍子の「波涛龍図」が描かれている。
大日如来像
大本堂の背後にある露座の銅製仏像。膝前で印を結ぶ胎蔵界大日如来像で、天和3年(1683年)の作。
青木昆陽墓
本堂裏手の道を右方へ進んだ先の飛地境内の墓地内に立つ。青木昆陽(1698 - 1769)は江戸時代中期の儒者で、サツマイモ(甘藷)の栽培を普及させた人物として知られる。墓は簡素な墓石に「甘藷先生墓」と刻まれたもので、昆陽が生前に立てさせたものという。国の史跡に指定されている。
水かけ不動明王








本堂

お金を洗います。






裏手です。




夜は、菜々笑です。




御馳走様でした。
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