Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

ココロに水を少しかけてやればいい♪

2013-10-22 20:13:14 | 日々の徒然
こんばんは

今日は、
また
「あなたへ」の
Music Videoを見ていました。

だいぶ
落ち着いて(?)
見られるように
なりました。。。

これから、
また
何度も見る

思います。


宮本さんの

清流の水のような
冷たく
澄んだ
歌声を聴いて

心を
きれいにしよう。


ココロに水を
少し

いや、
たくさん
いただきます。

このMusic Videoの
宮本さんの
真正面の映像も好きだけど、

やっぱり
歌う宮本さんの
姿も
とても
素敵。


語りかけるように

切実に

宮本さんは
歌っていて。


その姿に

悲しみが
漂っていて

それが
やさしくて
透明な空気に
なっている。

洗浄された光。


全ての
はじまりの朝の光の
ように

ぴん
とした
空気が
張りつめている。


メンバーと一緒の

ふとした
ときの
宮本さんの
笑顔が
やわらかい。


その笑顔を見て
私も、
つい
笑顔になる。


ふふ。

思い出したら
また
見たくなった。

後で
また
見ようっと。



Officialで
インタビュー記事のお知らせあり。


「音楽と人」
「Rolling Stone」

ふたつとも
いつも読み応えのある記事だから
楽しみです。

そうだ。

今月末は、
「JAPAN」のインタビューも
ありますね。

宮本さん
もう走り出してますね。

前へ。

前へ。


私も
こうしちゃいられねぇ。


Rolling Stoneのサイトで
 「MASTERPIECE」の頃のライブレポートを発見。
   →コチラ

立川談志の『芝浜』の話を軸に
「芸で狂った芸人」とは、という話があって
とてもおもしろかった。

ライブはやっぱり、いろんな人によって
いろんな受け止め方があるんだな
と思う。
個性的で魅力的な人の文章はおもしろい。

自分が考えなかったこと、知らなかったことを知ることは
他の人のライブレポートを読む醍醐味と思う。


今日は、「MUSICA」のインタビューを見ていて
鹿野さんの熱いインタビューも
おもしろかった。

特に印象に残ったところは、
「宮本さんは、今のバンドの方向性を、
 どれくらい批評的に考えてやっているんですか?」
という質問のところ。


宮本さんとバンドの関係について、
“友達のときからこれまで一緒にやってきた仲間”
“バンドの絆”
ということは、
今まで、ずっと言われていて
それでも、今のメンバーで「バンド」としてやっていく
宮本さんの想いは、
みんな知っているようで、実は、知らない。

それを、敢えて聞いたところ。

宮本さんの「・・・・」というのは、
(ここの沈黙を残したところもすごい)
やはり、鹿野さんの質問の意味を
どうとらえるべきか、
宮本さんが、一瞬考えたことの
表れだろうと思う。


そして、鹿野さんは、丁寧に
まっすぐ、自分の考えているところを
宮本さんに伝える。

そして、宮本さんは
自分の考えていることを
きちんと答えている。

その答えを見ると、
宮本さんが自分とバンドの関係を
いかに冷静に客観的に見ているか
わかる。

宮本さんの言葉で言うところの
“居心地”というのは、
“環境”という言葉と
置き換えていいのではないかと
思うけれど、

宮本さんの音楽を実現するためには、
やはり、今のメンバーじゃなくては
駄目なのだということを
“絆”や“仲間”という言葉に頼ることなく
明確に語っている。

当たり前の話だけれど、そのことについて
一番考えているのは、
やはり、宮本さんなんだと思う。

宮本さんは、どこまで自分が、或いは
自分の音楽が到達できるか
常に考えている。
そして、私たちが考える以上に
とてもシビアな目で
自分を、仲間を
いつも見ているのだということが
改めてよくわかった。


たぶん、いつものインタビューだったら
この答えを引き出すことは、
なかなか難しいことだろうと思うけれど、
それができたのは、相手が
宮本さんが信頼してきた
鹿野さんであったということと、
鹿野さんの熱意とまっすぐさだったのだ
と思う。


宮本さんの答えを読んでいて、

ふとあることを思い出した。


私は、たまに、フェスなどで
他のアーティストの方の演奏を聴くことが
あるのだけれど、

その中で、とても演奏のテクニックが凄くて、
でも、ライブが終わったあと
どうしても私は耳を傷めてしまうアーティストさんがいて。

あるとき、その方々が、音合わせを
ステージで自らやっているところを見る機会があって
それを見ていたら、
それぞれが、自分の求める音を真剣に調整して
おられたのですが、
みんな、人差し指を上に向けて
指示を出しているのですね。
「自分の音を、もっと上げて」
と言っているのだと思ったのですが。

おそらく、それぞれがそれぞれ個々の思う
最高の音にしようとしていて、
実際、ライブでそれを聴くと
やはり、すごいな、と思うのです。
でも、私は、やっぱり、その後
耳が痛くなってしまうのです。
でも、耳が痛くなる理由が、
その音合わせを見ていて
なんとなくわかったような気がしました。

それが、いいんだという人もいると思う。
爆音がいい、悪い、どうこう、というわけではなくて
それぞれの音楽に対する考え方
なんだと思うのですけれど。
一人一人が、いかに技巧的にプロフェッショナルであるべきか
そして、それを音楽の究極として目指すのも、
それが、ひとつの音楽のやり方であるだろうし、
でも、エレカシは、そういうのを目指しているんじゃないんだろうな、
と思うのです。

ちょっと、うまく言えてないと思うんですが、
音楽をやるからには、自分の思う音楽を
やりたいと普通は思うじゃないですか。

例えば、7月に公開されたエレカシのドキュメンタリー映画で
横山さんが「自分がエレカシに入っても3日で辞めると思います」
といわれたのは、あんなに怒鳴られるのは怖くていやだ、
ということをジョークにして、言われていたけれども、
同時に、きっと、もっと自分の音楽をやりたいという気持ちが
あって、ああいう風に上から押し付けられたら耐えられない
という気持ちがあることは、間違いないと思うのです。
アーティストなら、当然だと思います。

でも、エレカシのメンバーは、ただひたすらに
宮本さんが思う音楽を実現しようとしている。
ただ、ひたすらに。
それこそが、まさに奇跡だと、私は常々思います。
そんなアーティストは、とても稀なんじゃないかな
と思うのです。
そうして、そういうメンバーの中でこそ、
宮本さんは自分の音楽を実現できる。
他にないくらいの個性を、そこで発揮できる。

友達だったから、仲間の絆があって、
それはもちろん、ある。
でも、それだけで、やっていけるほど、
音楽の世界はやさしくないのではないかと。
だから、宮本さんの音楽を信じて、
宮本さんの音楽を実現するということが、
その世界で生き残っていく手段でもあるのだと
思いました。
そして、そういう音楽が起こす奇跡を
私たちは、何度も目撃してきた。
それは、とりもなおさず、彼らの信じてきた音楽
すなわち、宮本浩次という人間を中心として
作り上げた音楽が、間違っていなかった
ということを物語っている。

だから、やっぱり、プロなんだな
と当たり前のことを思ったのですが。

宮本さんの
“皿を曲げる中国人と日本人の違いの話”を
読んで、そんなことを考えていました。


また、ちょっと、長くなった。

そんなわけで、また
エレカシのインタビューを楽しみにしたいと
思います。


あとね。

やっぱり、
「MUSICA」は写真が良かった

この四人組の楽しそうなこと

あとね。

宮本さんのアップも

私は、
右側が好き

髪の毛をくしゃっとやって
なんだかちょっとだだっ子っぽい
宮本さんの表情。


かわいすぎる。。。

なでなで
したくなる。

ぎゅーって
したくなる

あ。
また
こんなことを
書きはじめたら、
長くなりますね


というわけで、
ひとまず、
これにて。

今日こそ、
また、
大阪野音の感想の
続きを
書く。。。。


がんばる


ではでは、またー