Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

2013.10.14 大阪野音 3.「四月の風」

2013-10-22 23:42:58 | 日々の徒然


「四月の風」

この曲が始まったとき、
客席から
嬉しそうな歓声が上がった。

大阪
と言えば
先日のドキュメンタリーでも
挿入された
「四月の風」のエピソードを
思い出す。

きっと、
大阪野音で
演奏されると
楽しみにしていた人も
多かったのだろう

思う。

そして、
宮本さんは
ちゃんと
この曲を
やってくれる。

そんな、あたたかな空気に満ちた
曲のはじまりだった。


日比谷野音が開催される以前の
復帰インタビューで
「四月の風」と
「悲しみの果て」は
できるかどうかわからない、
ということを
宮本さんは
しきりに言っていて。

なんだか
今まで
難しいことを
自然にやっていたみたいで

言っていたのを
パブリック・ビューイングのときも
思い出しながら
聞いていたのだけれど、

大阪でも
宮本さんは
ちゃんと
やってくれたんだな、

思った。


できるかどうか
わからない

というのは

それは、
技術的なところで
そうなのか

それとも

そうではない部分で
そうなのか

わかりかねるところは
あったけれど。

でも、
なんとなく
後者のような気が
私は
していた。

「ファイティングマン」なら
寝てもできるんだけど。


宮本さんは言っていた。


いつでも

もしかしたら
無意識でも
戦い続けることのできる
宮本さんだからこそ、

「四月の風」や
「悲しみの果て」というものを
今までのように
自然に歌うことは難しい
というのは、


技術ではなくて

宮本さんが
歌を歌う人として

それを
その歌であるように歌うことが
難しい
という意味なのではないかと
私は思った。

それは、
なんとなく
そうなのかな
と思う。

(追加:書いてしまったあとに、
 そう言えば、技術的なことも言ってたような
気がしたけれども、でも、まぁ
私は、そう思ったのです。)


「四月の風」を歌うとき
宮本さんは

「何かいいことが
 起こるんじゃないか
 という歌です。」

説明することもある。


“何かが起こりそうな気がする
 毎日そんな気がしてる
 ああ うるせい人生さ
 そう 今日も
 何かが きっとはじまってる”


「四月の風」の

あの始まりの季節の
風の感じ。

春から夏へと
向かう高揚する気持ち。

わくわくするような。

それを自然と歌うことが
難しいと言う
宮本さんの気持ちは、

きっと、
新曲の
「はてさてこの俺は」や
「なからん」に
あらわれている通りだったのだろう

思う。


この曲は、
エレカシが契約期間終了を
乗り越えて

実際に
復活したときの
エレカシに刻まれた
曲でもある。

そのときの
経験があっても、

復活のインタビューに至っても、

尚、この曲が難しいというほどの
宮本さんの心の内は
いかなるものだろう
と、
私は、想像しながら
その記事を読んだものだ。

そして、
その想いが、
私は、なんとなく
わかる気がしていた。

“このまま 全てが
 叶うような そんな気がしてた”


それを、
私は、そう
思うことができなくなっていたから
なんとなく
わかる気がしたのだ。


でも、
宮本さんは、

日比谷でも、
大阪でも

この歌を
歌ったのだ。


大阪で、
目の前で
歌う宮本さんは

“毎日何処かで 町の空
 仰ぐ俺がいた”

と、言って
また、空を見上げる
しぐさをした。


大阪でそれを歌ったとき、

インタビューのときに
迷っていた宮本さんの姿は、
既に過去のものであるように
私には、写った。

日比谷の切実さとも
また、少し違う。

もちろん、今だって
その状況は
変わらないかもしれない。

でも、宮本さんは
確実に歩き出していた。

そして、
私たちに
そのことを
教えてくれているような
気がした。


“ああ 何処へ行くのやら
 明日は何があるのやら
 ああ 教えてくれ
 風が ささやく気がした”


私は、そこに
光を感じた。

宮本さんの歌声は
私にとって
その歌にある
風みたいだと
思った。

何気なく
私にそよぐ風。

ふと
気づくと
そこにある風。


大阪でも
この歌を歌ってくれて
嬉しかった。

「四月の風」を歌う
宮本さんの姿を見ることができて
とても
嬉しかったです。


風が誘いに来た。


季節は
秋なのに、

ココロに
春のそよ風が
吹いていた。


“明日もがんばろう

 愛する人に捧げよう



 ああ 君に会えた

 四月の

 四月の風 ”