Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

FILT

2008-11-21 22:18:52 | 日々の徒然
FILT 昨日ゲットしましたよ。

”ぴあ”のテーブルの台の上のラックに、
ちゃんと宮本さん(の表紙のFILT)が、いました。

写メで撮りたい感じの光景でした(←変・・。)

まず、写真が
カッコよすぎです

表紙の、強い眼差しの宮本さん

物憂げに煙草を吸う宮本さん

そして、
東京湾を背に しっかりと立つ4人の姿
(思い出の場所、潮風公園にて)

公園の欄干に持たれかかり、
遠くを見つめる 4人の姿。。。

どの写真も、とても良かったです


話の内容は、
潮風公園での乾布摩擦によるバンドの結成式の話
から始まり、
4人で続けてきた音楽活動をふりかえって
その長い歴史の中の一場面を話してくれた、
という感じでした。

主に、
今回の雑誌の特集である、”たまり場”について。

4人の”たまり場”は、
中学の頃は、地元赤羽の「ピクニック」という喫茶店。
練習後には、板橋にあった「コットンテイル」という、
これも喫茶店。

店選びの条件は、

とにかく静かなこと

らしいです。

「席が近いと隣の客の話し声とかが気になるんですよ。
自分は大声で話すくせに(笑。)」
と、宮本さん。

他には、
成ちゃんの家のお風呂屋さんに、
デビュー前、頻繁に遊びにいっていた、という話。

成ちゃんのお母さんにビンの牛乳もらったり、
番台に座らせてもらったりしたこと。

この話も、ファンにはおなじみですが、
「番台に座らせてもらったり。」のところで、
「あ、もちろんお客さんがいない夜中にですよ。」
と、宮本さんがフォローをいれていました

そこで、すかさず成ちゃん。
「風呂はお客さんがいるときも入ってた。(笑。)」
と。

なんか、話しぶりが微笑ましいです。
4人の仲の良さが伝わってきます

それから、
コンテスト前日の話。

4人で(成ちゃんの家に?)泊まって
「俺達はかっこいい!」
「だから、絶対勝つんだ!」
という話をしていた、とのこと。

自分達を信じて、
さらに、自分達を鼓舞して
コンテストに挑んでいたんですね・・・

そして、
プロデビュー後の話。

その頃は、
信濃町のスタジオで練習を終えてから、
東京プリンスホテルのカフェラウンジに
毎回行っていたそうです。
(この頃は、石君がみんなを車で送っていて、
その途中で寄っていたそうです。)

事務所から給料(当時8万円)をもらうと、
なんとなくぜいたくな気分になっちゃって、
(当時にしたら高かったけど)
500円で何杯でもお代わりできたから、
行っていた、とのこと。

「広くて庭もきれいで、
ウェイトレスさんも感じがよかったなぁ。」
と、宮本さん。

ちなみに、
「ホテルオークラなんかも入り口まで行ってみたんですが
ビビって入れませんでした。(笑。)」
と、おっしゃっていました。

カワエエ

コーヒーだけでも2,3時間話すのが通例。

話の内容は、
(↓以下、記事より抜粋。)

< 石森「世間話とか、たとえば野球の話なんかも。」>
という石君の話は遮られ(?)
< 宮本「基本的にだいたい僕が一方的に喋ってますからね。(笑)
    若かったから、やっぱり政治の話とかしたいんです。
    普通の友達には嫌がられるけど、
    この人たちは黙って聞いてくれますから。
    気分が良くなってとうとうと。」>

なんとなく、
想像できます


「あとは、曲の話が多かったかな。
 女性の話はあんまりしなかったよね?」
と、宮本さん。

ストイックだったんですね。。。

音楽だけに集中してたんだなぁ、
と改めて感じました。

そういうストイックさも、
エレカシの魅力ですよね


「とにかくウマが合うから同じ場にいるだけで面白い。
 4人での音楽の話は”聖域”でしたね。」

やっぱり、
この言葉が、一番重みがありました。

20年以上続いてきた、この4人の関係には
他人には踏み込めない、
絶対的な不可侵の部分がある、
と思いました。

それが、この4人の歴史なんだ、
とも。

だからこそ、
4人での音楽の話は”聖域”なんでしょうね。

契約会社打ち切りのとき、
メンバーを集めて、
音楽やバンドに対する気持ちを確認し合った、という。

『本気でやれんのか』

しかし、バンドを抜ける者は誰一人としていなかった。

この時期のことは、
今まで様々なインタビュー等で聞いてきたことだったが、
改めて、「バンドを抜ける者は誰一人としていなかった。」
という言葉を聞くと、
やはり、4人が自分達の可能性を強く信じていたこと、
4人がお互いに人間として信頼し合っていたのだなぁ、
ということを
思わずにはいられない。

あるとき、
宮本さんはインタビューで
「この時期に、成ちゃんが結婚してすごいな、と思った。
 ある意味、逆に、自分達を信じてこの時期に結婚したんだろうな、
 と、感じた。」
とおっしゃていた。
そして、
「そんな状況だから、
 自分が先頭にたって、精力的にプロモーション活動を行った。
 契約が取れたときは、肩の荷が下りた気がした。」
と。

成ちゃんの結婚も
宮本さんの行動も
お互いとお互いの将来のことを信じていなければ、
絶対できないものだ。

それほど、強い繋がりだったんだろうな。

ほんとに、家族みたい。

いや、家族以上なのかも。

宮本さんは言う。
「以前は『売れてやる』という気持ちが強くて、
 4人で過ごす時間にも今とは違う緊張感がありました。
 同じものを見て、同じものを感じて、
 それを共有したいというか。
 恋人同士にも似た感じですかね。
 コンサート会場の楽屋やホテルの部屋に集まって
 麻雀やトランプに興じたりして」

”売れる”ためには、
4人で結束して信じてやっていかなければならない、
という思いが強かったのか。

だからこそ、
同じものを見て
同じものを感じて
それを共有したいという気持ちが強かったのか。

それが、
今とは違う緊張感を生み出していた、
ということなのだろうか。

しかし、
4人の結束が強ければ強いほど
排他的になってしまうことも
あったかもしれない。

ストイックな4人であるからこそ、
特に。

以前、動画で
宮本さん達4人が、
ライブ終了後に、すぐ麻雀をはじめる、
という映像を見たことがある。

正直、ちょっと怖かった。

他を寄せ付けないような雰囲気、というか。

それは、
逆に、
「思いを共有」しなければバラバラになってしまうのではないか、
という不安感があったからではないのか、
と、ちょっと思った。(→勝手な推測、ゴメンナサイ。)

※↑と、このときは思ったけど、
4人はウマが合うからいつも一緒にいたわけであって、
そんな不安はなかっただろうな、と思い直したので
(これまた勝手な推測ですが。)
ココの部分はスルーしてください。
(そんときの感想なんで、一応、このままにはしておきますが。)
4人は一緒にいることが、自然で、
いつも意識せずに、いつも4人だったのだろう。
その結束の固さが、他を寄せ付けないことも
あったのだろう、と思った。 (以上、11/22 追記)


でも、今は、
あえて、そうした”場”を作る必要はない、
という。

以下、記事より、本文抜粋。
<宮本「信頼関係がより深まったんでしょうかね。
    『今日はヘアスタイルが決まっているね』
    『最近、シワが増えたね』
    とか他愛もない会話の方が多い(笑)」>

”場”を作らなくても、
同じ時間と場所を、常に共有しなくても
離れていても
思いは共有できる。

信じられる。

そういう関係になったということか。

まるで、
恋人同士から、家族へ。
家族以上の関係へ。

エレファントカシマシの長い歴史には
バンドとしての紆余曲折の歴史があったことも事実だ。

そのことも、考え合わせると
やはり、
今、
4人の絆がすごく強固な
それでいて、自然なものに
なっている気がした。

インタビューの終了間際に宮本さんが呟いたという。

「そういえば、曲自体もたまり場なんだよね。
 みんなの音が詰まっているわけだからさぁ。」

メンバーの4人が、
普段、それぞれの時間を過ごしていたとしても
音楽を作るという作業を通して、
曲を作るという作業を通して、
思いが共有できている、ということなのだろう。

最近、
宮本さんがよく言われることに

音楽、曲というものを通して、
自分達(4人)と
曲を聞いてくれている人の間で
思いが共有できることがある、
というのも、

同じことなのだろうか、
と思った。

最近、
「思いを共有する」
ということについて
よく考える。

難しいことのようで、
簡単なことのようで、
私には、まだ良くわからない。

エレファントカシマシの4人は
彼らの長い歴史の中で
”そこ”に到達することができた。

誰も途中で諦めず、
信じてやってきたから、
辿りつけた。

私にも、そんなときが来るだろうか・・・。
ふと、考えてしまう。

4人の歴史は、
ここで終わりではない。

記事の最後に、
こうあった。

<ニューシングル「新しい季節へキミと」には
 彼らがともに過ごしてきた22年という時間が響き合っている。
 ここから何かが始まる予感とともに。>

これからのエレファントカシマシにも期待したい、
と思った

(今日も、長いね・・・。)