Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

JAPAN JAM 2011 感想 ⑤

2011-05-14 07:59:56 | 日々の徒然
宮本さんの歌声が

突如として切り込むような
勢いで、
はじまった。


「旅」

宮本さんの歌声と

それとともに
一気に鳴り始めた演奏に対して、


この曲が。

やはり。

という
観客の頷く姿が
見えた気がした。

私も、
そうだった。


必ず

この曲が
演奏されるに違いないと
思ったし、

来た!
と思った。


“俺の心に火を灯す 熱い思い探す旅路さ

 旅に出るのさ

 空の太陽 俺の心を照らしてよ”


「悪魔のささやき

~そして、心に火を灯す旅~」
から、

「旅」。



このアルバムが出されるとき
ロッキング・オンの山崎さんは

まさに
集大成的なアルバムと言った。


このアルバムを聞いて
わかることがある。

この世界は、

朝があって、
昼があって
夜がある。


太陽があって、
月があって、
雨が降って、
晴れの日もあって、

夜には、星が輝く。


人の心に
光があって、
闇がある。



生活に
ハレと
褻があって。


町があって

人がいて、


人も
町も

変わったり
変わらなかったりして、

その中で、

人は、
喜んだり
悲しんだりする。


彼がいて、

彼女がいる。


あなたがいて

私がいる。



そして、

はじまりがあって、
終わりがある。



それが、

それぞれが、
繰り返されて

この世界が成り立っている。

そして、
人は

その中で生きている。


そういうことが

我が身のこととして
わかる。


そして、
この「旅」という曲は、

そのアルバムを代表する曲。

私は、
この曲に

宮本さんの

今の想い、

これまでの想い、

これからの想い、

全てが集約されていると思う。


宮本さんは、
この日、

若き日に憧れを抱き、

今に続く
歌、そして音楽という道を歩く
きっかけとなった人たちの歌を

その人たちと
歌い、
演奏することにしていた。


だから、

この曲は、
絶対に
歌われるし、

演奏されるべき
ものだったと思う。



この曲は、

宮本さんの

生きることに対する想いが
集約された曲だと
書いたが、

それは、

とりもなおさず、

一人の人が、

今を生き、

これまでの生き様を省み

これからまた
旅立っていく

その姿を
歌う歌でもあった。


一人の人を

この世界で
生きる人、

というように

もっと普遍的に
考えられるかもしれない。


自然と自分自身の
境遇や想いと
重ね合わせることのできる

最たる曲だと

私は思う。


それは、

どんな人の心にも
重ね合わせることのできる曲だと

いうことである。

それぞれが、

それぞれの想いや
生き様を重ねて

この曲を聴く。


私は、

この日のライブの前に
この曲を、

熊本と

鹿児島で

聴いた。


私が、

そのとき
いちばん心に残った言葉は、

“ぶざまなツラで

 言い訳なんか

 したくないのさ

 やってやろうぜ”

という部分だった。



そのときは

宮本さんが心からそう歌っている
その言葉に

私は、身につまされる想いがした。


わからないことばかりある
この世の中で

途方に暮れながら

彷徨い、

つまずき、

そして
悲しみという感情を抱えたまま

私は、
地の底に沈んでしまいそうだった。

でも、

宮本さんの歌を聴いて、
思った。

ぶざまなツラで言い訳ばかりするのは

本当にブザマだと思った。

宮本さんは、
歌っていた。

“空に太陽 ぶざまな俺をさらしたいな”


同じぶざまな姿をさらすなら、

思いっきりやったほうが
いいと思った。

宮本さんが
そう歌っていて

それでいいんだと思えた。


まず、

立ち上がって、

歩き始めなければならない

そう思った。

それは、
意外と時間のかかる作業だったけれど、

でも、私は
ちゃんと立ち上がれたと思う。

そして
歩き出せたと思う。


JAPAN JAMの
この日のライブに間に合ってよかったと
思った。

宮本さんは

毎日が旅なんだと
繰り返し言っていた。

日々

一日、一日を
生き抜くことが

すなわち旅なのだと思う。

毎日を

精一杯

生きることが。


そして、

その旅の中で

日々の生活の中で
出会う人たちと

想いをやりとりしながら

ときに、

心を
きらきらと輝かせながら
人は生きるのだと

思う。

まさに、
心の旅だ。



ときに、

暗く消えてしまった心は
誰かの手によって
火が灯されたり、

或いは、

自分が誰かの心に
火を灯すこともあるだろう。


心の旅とは
何なのか。

心に火を灯す、

その意味を
私は、
この日のライブで、

漸くはっきりと
わかったように思う。


宮本さんが、
熊本のライブの時に

「なぜだか、俺は祷ってゐた」

を歌った意味も
やっとわかった気がする。



この日、

宮本さんは

出会った人たち

そして
これから出会う人たちへ向けて


改めて
旅立ちを宣言した。

“俺は旅に出る”

と。

また
世界へと飛び出してゆく
その姿を見せてくれた。



“行く先は定めず 定まる”



宮本さんは、

一人、

飛び出してゆく。


一人、

いや、

エレカシの仲間と

それから、

そこにいた人たち

志を同じくする人たち

それだけでなく

過去に巡り会った人たち

これから出会う人たちと。




“空に太陽 

 俺の行く先
 
 照らせsunshine ”


宮本さんの歌は、

自らが旅立つその姿を
示すことによって、


全ての人たちの
旅立ちを

祝福していた。


これから、また

はじまる

熱い想いを探す旅路へと

向う人たちを。



私は、

この日、

この先に輝く
太陽の光を

たしかに見た。