まったく全く。
今月はアルフォンシーナと海
をつめます。と書いたのに・・・どうしても弾けない箇所が。ハーモニクス込みの和音。高音はハーモニクスで音4つ同時に鳴らせってさ。音が3個でもヒイコラしてたのに4つとなると右手の爪がひっかかるか、音が出ないか二択の世界。ふー。
メロディーはセカンド。同じくハーモニクスで奏でている。単音だけど。
「交換して」
「やだ」
「アタクシのほうがハーモニクスの音(単音なら)がでかいぞ」
「や~あああだ」
そーですかそうですか。実音で弾いてやる。ばーろー
ところでついに我が家の庭に犬
が登場。
しかもその犬は白と黒のぶちの中型犬・・・らしいのだが、驚いたことに腰から尻尾にかけてショッキングピンク(赤かな)の線が入っているのだった。
わああ。なんじゃこりゃ。とよく見るとそいつが入り込んだのはフェンスを隔てたお隣だった。しかもすかさず腰を下ろしてP00してるし。おいおい・・・そこの家にはゴールデンがいるんだぞ。反対側の庭につながれてるが。
そこに飼い主登場。犬をピンクに染める飼い主だからね。まあ、うちが害を受けたわけじゃないし、知らん振りしよ。くわばらくわばら。
ところで昨日の日経の竹内 洋(関西大学教授)によるやさしい経済学が印象に残る。
新しい大衆社会を解説している。
成熟した大衆社会におけるネガティブサイドについて触れている。
新中間大衆とは上下意識を持たず、エリートに追随しないという特徴を持つ。自足する大衆だが自分の道徳的・知的資産は十分だと思う「慢心した大衆人」の萌芽そのものだ。自分が凡俗であるのを知りつつ、「敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとする」
このへんからはオルテガの思想が多々引用されているようだ。保守的な思想家といわれているスペインの哲学者で政治家。
大衆人はニーチェのいう「畜群」へあと一歩の距離にある。畜群とは、隣人と同じ振る舞いを目指し、高貴なものをすべて引きずり降ろそうとする。こうした大衆人性は科学者や専門家にもあまねく浸透している。
・・・なんだこりゃ。中国の文化革命の批判か・・・
オルテガはこうもいう。大衆は「喫茶店の会話から得られた結論を実社会に強制する」。
ワイドショーのコメンテーターの発言をなぞって社会問題や政治問題に一家言を持ち、しゃしゃり出る大衆人を予期していたかのようだ。
・・・なるほど。サブタイトルのしゃしゃり出る大衆人という言葉に目を引かれて読んだコラムだったが・・・こう来たわけね。
日本社会でもこうした大衆人性は伏在してきたが、これまで露出することは少なかった。
・・・ここでちょっと読み戻って大衆の定義を見直すことに
大衆は現在中心の価値観で動くものであり、対するエリートとは手段的価値、すなわち将来中心の価値観を持った集団となるらしい。
日本型大衆社会の問題点は即時的価値しか重視しなくなってきた大衆が(従来持っていただろう←私の推測)勤勉や節約といった手段的価値観(将来中心の価値観)を弱め次第に手段的価値観を基に行動する行政エリートと齟齬を産み、エリートの正当性の背景を空洞化させていることにある。
学者の言っていることだからあくまでも総論であり、全部を肯定するものではないが、今のマスコミの報道の一元的なニュースの垂れ流しに歯止めをかけるきっかけにはならないものか。。。。。ならないだろうね。