DD会-(ギザギザハートのアスペルガー応援ブログ)

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ツツジの木から、「助けて」のサインを考える

2023-05-06 19:32:00 | 日記

躑躅の木

花がら此方に

差し出せり


つつじのき はながらこなたに さしだせり


「花がら」は、フラワーモチーフの方の花柄ではなく、咲き終わり、萎れてしまった花のこと。

俳句に「花がら」の事を読む事が正しいのかどうか私には分かりませんが、実家にあるツツジの花がらを取り除いてやりながら、ふと歌にできないかと思ったのでした。


両親が高齢になり、あまり手入れができなくなっている、庭のツツジの木。葉にもウイルスでもついてしまったのか、もう何年も前から変なフ(模様)が入ってしまっています。

それでも、たくさんの美しい花で彩ってくれる、健気なうちのツツジです。

ツツジの花は比較的大ぶりだけど花びらは薄く軽いためか、桜のように散ることも、椿のように落ちることもなく、その場で「がく」についたまま枯れてしまいます。

美しい花の盛りと、枯れた花が葉や萼にへばりついた状態。盛者必衰という言葉を思い出させます。


花がらを放置していると、またそれがウイルスや虫の温床になってしまいそうなのです。ただ、なかなか取ってやれてない我が家。

たまたまGWに実家に帰った際に、ツツジの花が咲き終わったツツジの花を見ました。普段は私も見ないふり……なのですが。今年は、ツツジの木が花がらを取って欲しそうに枝をこちらに伸ばしているように見えて、手の届く範囲、少しだけではありますが花がらを落としてやりました。

「手を貸して」というサインが発せることって大事かもな……などと植物相手に思ったのでした。そして、サインを受け取る側にも多少の余裕がないと、手助けはなかなかしきれないかもなー、とも。(なにしろその時の私は暇だったのです)


「手を貸して」「助けて」も声を上げないと他人にはなかなか届きません。眼に見えること、例えば、目の前で重い物を力の弱い人がが動かそうとしている、という状況であれば手伝う人もたくさんいると思います。

でも、壁の内側で何か持ち上げようとしていても、壁の外からはわからなかったりする。

ましてや、リアルタイムに存在する物でもなく、眼に見えない心の中のことは、声を上げなければ、手を差し伸べるのは非常に困難ですよね……

助けてほしい、と声に出せることはとても大事ですね。そして、必要な手助けをちゃんと求められるように、子どもの頃から練習が必要なのかな、と思いました。大人は、子どもがちゃんと助けてのサインが出せるように成長させてやらないといけません。安心して助けてと言える環境を作ること。「助けて」を発したことががちゃんと報われるよう、子どもを裏切らないように対応すること。こう言ったことが大切なのだと思います。

大人も心身に余裕がないと大変ですけどね……だからこそ、大人も助けて、が言えるようになる必要があるわけですが。大人は手助けを受けつつ、自分で自分の「助けて」を言う力を育てないといけないので、難しい。けど「助けて」は言えるに越したことはない。

私も、もっと練習していかないといけません。皆さんはいかがでしょうか。



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