大河ドラマ『義経』
今日、最終回を迎えました。
何回か観れないこともありましたが、第1話から毎週楽しみに観てきたドラマでした。
大河ドラマは、いつも“壮大”なものを感じさせますが、私がそれを感じるようになったのはまだ少し前、記憶に新しい、人気番組『新撰組!』を観てからでした。『新撰組!』で、大河ドラマに目覚めたのかは分かりませんが、今年1年を通して放送された『義経』は『新撰組!』に劣らず、いつも感動しながら観ていました。
(可哀想という表現は、合わないかもしれないと思ったのですが)初めは、義経のお母さん「常盤(ときわ)」を可哀想に思い、次には、父だと慕っている「平清盛(たいらのきよもり)」が実の父ではないことを知り悩んでいく義経がまた可哀想になりました。
青年になった義経に訪れる出来事も絶えず、でもそんな中、一人、二人と仲間が出来、お金では作れない友情や絆で結ばれていく義経主従は、本当に“仲間”でした。
源氏に生まれたことによって、尊敬し父と思いたくとも、傍にはいられなかった清盛への想い。
源氏に生まれたことによって、死か寺入りを余儀なくされ、幼いうちから母と離れなければならなかった子供時代。
源氏でいる限り、相容れることが出来ないとされてしまった平家への複雑な想い。
同じ源氏の兄弟であり、一時は念願の対面を喜び共に戦うことを誓ったのに、時代の為か二人を取り巻く周囲の波の為か、信じていた兄「源頼朝(みなもとのよりとも)」と戦わざるを得なくなった悲しいやりとり。
そして、平和を、あたたかく争いのない[新しき国]の実現を願った、ただそれだけの純粋な想い。
全ての出来事一つ一つに悩み、苦しみ、ある時は誰かに支えられ、ある時は心で乗り越えてきた義経。
一視聴者として、喜ぶことより、「どうして?」と思うことの多いお話でした。
今まで、何度も俳優さんの演技に笑ったり、話に切なくなったり、泣いたりしましたが、今日の最終回は、涙がツーっと流れ出ました。私は、何があっても義経を主とし、守り付き従ってきた彼等は、家来というよりも仲間・友達と呼べると思っていたので、今日の最後は本当に悲しくて何度も涙が溢れました。また、私は歴史をあまり知らないので、まさか義経もあんな最後を遂げると思っていなく、驚き、実際の義経達はどうだったのか、何よりも、皆が本当に生まれ変わってまた一緒にはしゃぐことが出来るといいのに、とそればかり思っていました。
義経を取り巻く恋愛風景も、初めはうつぼが可哀想で可哀想で、どうして義経はうつぼじゃ駄目なのと歴史もののドラマに、切なくなったり憤りを感じていたりしましたが(笑)、やがてうつぼと静の対面、やりとりを見ていて、
うつぼが義経に「静の様子をみて世話をする」と言ったこと。静がうつぼの気持ちを感じつつ、うつぼと接する場面。
初めはやっぱり嫉妬することや、“誰がいても義経の傍にいたい”と思う、ただそれだけの気持ちもあったかもしれないけど、「私は見守るぞ」と勝手に二人の気持ちを汲んでいたりもしてました
やがて頼朝の下からやってきた萌が、頼朝の政略的な考えで決められた義経の結婚相手<正室>だという回の時には、義経には静がいるんだ~!!と怒っていて、また、愛されなく正室にもなれないうつぼがまた可哀想になってしまいました・・・。
でも、この萌も静の存在を認め、そのうえで正室になると言ったので良かったのですが、
義経が戦に出ているある日、
うつぼと静が義経のことを話している時に、
「自分にも義経様のことを教えて下さい。それにもっとお二人と話をしたい。」と言った萌も、政略のためによこされて義経に愛されることもなく、友達もいないんじゃ淋しかったんだな・・・と、また切なくなってしまいました。彼女も義経に恋心を抱いていたのでしょうか・・・。
そんなこんなで、上記の恋愛事情が気になったり、頼朝の誰にも言えない“兄弟・義経への想い”に切なくなったり、北条政子(ほうじょうまさこ)の様々な策や、夫の周りの女性への激しい嫉妬心に怖くなったり、いよいよの兄弟の決裂の時には虚しかったり・・・と、実に書ききれないほど数々の出来事に涙させられました。
綺麗な音楽もまた涙を誘い、 『義経紀行』ではその日の回を頭に置きながらも、心を静めながら、少しは歴史を学んでいたでしょうか
今年の大河ドラマ『義経』、本当に良かったです。
母とも、「ついこの間始まったばかりだと思っていたのに・・・。」と話していましたが、それほどあっと言う間のドラマでした。
『新撰組!』に続き、とても素晴らしい作品に出会えることが出来ました。
願わくば、義経主従の彼等がどこかの時代で生まれ変わって、どんな形でも、また“仲間”でいて欲しいと思います。
今日、最終回を迎えました。
何回か観れないこともありましたが、第1話から毎週楽しみに観てきたドラマでした。
大河ドラマは、いつも“壮大”なものを感じさせますが、私がそれを感じるようになったのはまだ少し前、記憶に新しい、人気番組『新撰組!』を観てからでした。『新撰組!』で、大河ドラマに目覚めたのかは分かりませんが、今年1年を通して放送された『義経』は『新撰組!』に劣らず、いつも感動しながら観ていました。
(可哀想という表現は、合わないかもしれないと思ったのですが)初めは、義経のお母さん「常盤(ときわ)」を可哀想に思い、次には、父だと慕っている「平清盛(たいらのきよもり)」が実の父ではないことを知り悩んでいく義経がまた可哀想になりました。
青年になった義経に訪れる出来事も絶えず、でもそんな中、一人、二人と仲間が出来、お金では作れない友情や絆で結ばれていく義経主従は、本当に“仲間”でした。
源氏に生まれたことによって、尊敬し父と思いたくとも、傍にはいられなかった清盛への想い。
源氏に生まれたことによって、死か寺入りを余儀なくされ、幼いうちから母と離れなければならなかった子供時代。
源氏でいる限り、相容れることが出来ないとされてしまった平家への複雑な想い。
同じ源氏の兄弟であり、一時は念願の対面を喜び共に戦うことを誓ったのに、時代の為か二人を取り巻く周囲の波の為か、信じていた兄「源頼朝(みなもとのよりとも)」と戦わざるを得なくなった悲しいやりとり。
そして、平和を、あたたかく争いのない[新しき国]の実現を願った、ただそれだけの純粋な想い。
全ての出来事一つ一つに悩み、苦しみ、ある時は誰かに支えられ、ある時は心で乗り越えてきた義経。
一視聴者として、喜ぶことより、「どうして?」と思うことの多いお話でした。
今まで、何度も俳優さんの演技に笑ったり、話に切なくなったり、泣いたりしましたが、今日の最終回は、涙がツーっと流れ出ました。私は、何があっても義経を主とし、守り付き従ってきた彼等は、家来というよりも仲間・友達と呼べると思っていたので、今日の最後は本当に悲しくて何度も涙が溢れました。また、私は歴史をあまり知らないので、まさか義経もあんな最後を遂げると思っていなく、驚き、実際の義経達はどうだったのか、何よりも、皆が本当に生まれ変わってまた一緒にはしゃぐことが出来るといいのに、とそればかり思っていました。
義経を取り巻く恋愛風景も、初めはうつぼが可哀想で可哀想で、どうして義経はうつぼじゃ駄目なのと歴史もののドラマに、切なくなったり憤りを感じていたりしましたが(笑)、やがてうつぼと静の対面、やりとりを見ていて、
うつぼが義経に「静の様子をみて世話をする」と言ったこと。静がうつぼの気持ちを感じつつ、うつぼと接する場面。
初めはやっぱり嫉妬することや、“誰がいても義経の傍にいたい”と思う、ただそれだけの気持ちもあったかもしれないけど、「私は見守るぞ」と勝手に二人の気持ちを汲んでいたりもしてました
やがて頼朝の下からやってきた萌が、頼朝の政略的な考えで決められた義経の結婚相手<正室>だという回の時には、義経には静がいるんだ~!!と怒っていて、また、愛されなく正室にもなれないうつぼがまた可哀想になってしまいました・・・。
でも、この萌も静の存在を認め、そのうえで正室になると言ったので良かったのですが、
義経が戦に出ているある日、
うつぼと静が義経のことを話している時に、
「自分にも義経様のことを教えて下さい。それにもっとお二人と話をしたい。」と言った萌も、政略のためによこされて義経に愛されることもなく、友達もいないんじゃ淋しかったんだな・・・と、また切なくなってしまいました。彼女も義経に恋心を抱いていたのでしょうか・・・。
そんなこんなで、上記の恋愛事情が気になったり、頼朝の誰にも言えない“兄弟・義経への想い”に切なくなったり、北条政子(ほうじょうまさこ)の様々な策や、夫の周りの女性への激しい嫉妬心に怖くなったり、いよいよの兄弟の決裂の時には虚しかったり・・・と、実に書ききれないほど数々の出来事に涙させられました。
綺麗な音楽もまた涙を誘い、 『義経紀行』ではその日の回を頭に置きながらも、心を静めながら、少しは歴史を学んでいたでしょうか
今年の大河ドラマ『義経』、本当に良かったです。
母とも、「ついこの間始まったばかりだと思っていたのに・・・。」と話していましたが、それほどあっと言う間のドラマでした。
『新撰組!』に続き、とても素晴らしい作品に出会えることが出来ました。
願わくば、義経主従の彼等がどこかの時代で生まれ変わって、どんな形でも、また“仲間”でいて欲しいと思います。