2024年の記録
G.W.の旧足尾町内散策の記録。
銅鉱石の採掘、製錬、その光と影の象徴でもある旧足尾製錬大煙突と緑化の進む山々。
居宅ある足尾駅前から北方。個人的な好き好みで記録を残しているので、観光地、史跡を網羅している訳ではない。例えば、重要文化財指定・日本最古の鋼橋梁の古河橋・・・・。
居宅前にある古河掛水倶楽部。
古河掛水倶楽部は、足尾銅山の隆盛期に貴賓客の接待や宿泊施設として利用されていた迎賓館である。大正初期に改築され、外観は洋風、内部は和洋、それぞれの様式を用いた2階建ての建造物で、鹿鳴館や古河庭園などを設計したジョサイア・コンドルの影響を受けている。(G.W.から11月までの土、日曜日、祝日のみ一般公開となる。)
僕が入社直後のハナタレ小僧の頃に足尾に出張したとき、掛水倶楽部で夕食と宿泊をした記憶がある。2006年(平成18年)に国の登録有形文化財に登録される以前のことだ。
古河掛水倶楽部に隣接する旧古河鉱業幹部社宅。映画のロケ地として、度々使用されている。
公害のイメージのある足尾だが、現在の足尾の空は、四季を通じて、驚くほど美しい。居宅から。
春から秋の観光シーズンになると、ディーゼル機関車に牽引されたトロッコ列車が、桐生・足尾間で運行される。(トロッコ型のディゼルカーは、終点の間藤まで運行。)
5月5日のこどもの日には、足尾駅に留置されているディーゼル機関車も走行する。
一般旅客営業区間は、JR足尾線時代から間藤駅までだったが、その先、足尾製錬所まで専用線が続いていた。現在、線路は、一部区間を残し、撤去された。
足尾銅山閉山後も輸入鉱石の製錬を続けていた旧古河鉱業足尾製錬所であったが、1989年(平成元年)操業を停止した。
これをうけ監督官庁の経済産業省から解体・撤去するよう指導を受けたが、その解体事業が本格化するのと同時期に、足尾銅山の世界遺産登録を目指す取り組みが動き始め、これを受ける形で日光市側は文化財としての価値を損ねないような保存を古河側に要請し、古河側は同製錬所のシンボル的な存在であったこの大煙突を含む11施設・機器を残すことにした。
大煙突の高さは48メートルあり遠目からでもその巨体を見る事ができる。施設内は(鉱山施設として扱われることから)鉱山保安法の制約を受けており、一般人の立ち入りが認められず、観光施設としては法整備を待つ段階にある。
“足尾のビバリーヒルズ”と呼ばれる上ノ平、急な坂道の上にあり、冬季の通行には、難儀しているが、居住者は意外に多い。住み心地が良いのだろうか?
上ノ平から本山方向を眺めると、既視感を覚えた。大内宿(福島県南会津郡下郷町)の光景だろうか?違う。南大夕張だろうか? 今から、30年以上むかし、大夕張炭山閉山直後に訪問した街だ。街全体を眺められる高台など、あったっけ? すべてが、曖昧な記憶の中でのこと。
【メモ】
まだ、梅雨の真っ只中のはずだが、連日の猛暑。幸い、足尾は、比較的冷涼、かつては、エアコン要らずと言われていたが、近年は、そうとも言っていられなくなった。暑さに滅法強いので、余程の暑さでないとエアコンを使わないのだが、家族、友人、部下から「エアコン、使って!」と警告された。まぁ、ありがたい話である。室温31℃、基準としている30℃オーバー、素直にエアコンをONにした。
旅は続く
過去記事は、
古河掛水倶楽部、鹿鳴館の匂い有りますね。
室内は、どんな感じなんでしょうね??
ディーゼル機関車、煙突、歴史感じますね。
僕自身、空の美しさに驚き、しばしば、スマホで記録に残しています。
古河掛水倶楽部、内部はこんな感じです。↓
https://www.furukawakk.co.jp/ashio/club/
館内撮影禁止です。
歴史の光と影、感じます。
では、また。
絶景感じますよね。残したい気持ちわかります。
古河掛水倶楽部 まさに 迎賓館 という感じですね。
銅も扱ってました。
古川金属(鉱山)はお得意様。
父は、「お山」と呼んでいたように覚えてます。
掛水倶楽部も1度は、訪れていただきたいと思いますが、この青空を眺められるのは、運次第、住んでいるから眺められる。
では、また。
古河の山一マーク「への下に一」は、山一筋です。
これも、また、不思議なご縁、大切にいたします。
では、また。