自作詰将棋と小説

5手詰めを中心に詰将棋作ることにしました。よろしくお願いしますヾ(_ _。)

ナニコレ珍百景

2014-04-18 21:01:26 | ノンフィクション
ご無沙汰しておりましたヾ(_ _。)

さてと今回は、みなみんさんからの頂き物ですが面白いネタがありますので紹介します。

ズバリこれです!



ナニコレ!

みなみんさんの街で祭りの時に出店されているそうですが...

ぼくの街では考えられないなあ。

この、ばなちんを可愛い女の子がくわえてるの想像したらなんか笑いが止まらなくなったよ。

みなみんさんが言うには皆くわえて歩いてたということだ。

買うのにも勇気いるよな。

「ばなちん下さい」

「はいよ。白人、日本人、黒人
があるよー。どれにする」

「中国人」(ないだろw)

「はいよー中国人あるねー」
(意外とノリの良いおばちゃん)

そんな感じで買って行くのだろうか?

それを食べる女の子達の会話も気になるなあ。

「中国人ちゅごく美味しい」

とか言ってるんだろうか?

あるいは、

「あっちゃんの彼氏のこれより大きいの?」

「いや、こんなに大きくないけど堅くて美味しいよ。」

とか言ってるんだろうか?

どうせなら練乳がけ500円でもいいから作っておいて欲しいな。

皆さんは

白人、日本人、黒人
どれがお好みですか?

やっぱ中国人ですかw

でわ、この辺でお開きにします。
またお願いしますヾ(_ _。)

ライスシャワー(2)

2014-04-05 22:56:13 | 競馬
皆様変態ブログの御訪問ありがとうございますヾ(_ _。)

今回はぼくの愛するライスシャワーのライバルの紹介をしたいと思います。

まずは

ミホノブルボン

無敗のまま皐月賞、ダービーを制し誰もが信じて疑わなかった三冠達成をライスシャワーに絶たれた二冠馬。

戸山調教師がとにかく丈夫で健康な馬をと探し求めて出会ったミホノブルボン。

わずか750万円のこの安い馬を戸山調教師の厳しい坂路調教によりスーパースターホースへと成長する。

JRAによるヒーロー列伝のキャッチコピーは「スパルタの風」

坂路の申し子、サイボーグなどの異名を付けられた努力の名馬。

その努力が多くのファンの心を掴んだ。

そして迎えた菊花賞。
勝てば三冠達成。

しかし、

勝ったのはライスシャワーだった。

競馬場にはブーイングが巻き起こる。
競馬で歓声がブーイングになったレースはこのレースしか知らない。

黒い刺客の誕生であった。

ミホノブルボンはその後足の具合が悪くなり引退する。負けたのはこのレースだけだった。

次に

メジロマックイーン

競馬を知らない人でもこの名前は知っていたスーパーアイドルホース。

祖父メジロアサマ。
父メジロティターン。
そしてメジロマックイーン。
父子三代天皇賞春制覇したステイヤー。

メジロマックイーンは足が弱くデビューが4歳と出遅れたが確実に成長し天皇賞春を2連覇して獲得賞金を10億突破させた。

天皇賞春三連覇達成へ迎えた1993年4月25日。

スタートして
逃げるはメジロパーマー。
有馬記念を単勝万馬券で逃げ切った伝説の逃げ馬。

中断待機で良い位置取りの鞍上武豊メジロマックイーン。

そのすぐ後ろに鞍上的場均ライスシャワー。

メジロパーマーはやっぱり強かった。
やっとの思いでメジロマックイーンは直線で追いつき追い越した。

と思いきや

またしても、やって来た黒い刺客。
ライスシャワー。

メジロマックイーンもさらに頑張った。

デッドヒート!

結局及ばず、ライスシャワーが勝った。

そのレース直後、鞍上武豊メジロマックイーンはベタッと地ベタで寝込む。

疲れ過ぎて立って居られないのだ!

レース後こんなに疲れ果てた馬を見たのは後にも先にもこれしかない。

死力を尽くしたメジロマックイーン。

ぼくはその姿に武豊は嫌いだがメジロマックイーンは好きになったのを覚えている。

4代目に期待していたが産駒の成績は今ひとつだったのは残念だった。

が!

オルフェーヴルの活躍でメジロマックイーンの血が蘇る。

母父メジロマックイーンの名前が光る。

今現在、もしメジロマックイーンが居たとしたらやっぱり今でもメジロマックイーンが天皇賞春を制覇出来ると思うのはぼくだけではないと思う。

強かったぞ!

メジロマックイーン!

ありがとう。

ライスシャワーのライバルの紹介はこれで終わる。

最後に大阪杯の予想で締めくくる。

◎メイショウマンボ

単勝勝負。

不安材料は騎手、武幸四郎だけだ。
やらかしそうだがやりそうだ!

大目標はやっぱり、凱旋門賞だろう。

兄武豊もキズナで凱旋門賞が大目標。

凱旋門賞での兄弟対決が楽しみだがこの2人本当の兄弟ではない。

父の武調教師が結婚した時に妻には連れ子がいた。それが武豊で、その後生まれたのが幸四郎。

母親は同じ兄弟。馬で言うと半兄弟。
まぁどうでもいいがw

凱旋門賞

この世界一のレースに勝つのは実力だけでは勝てない。

メイショウマンボに出会ったことにより強運を引き寄せた幸四郎が日本人初の凱旋門賞騎手になりそうな予感がしてならない。

健闘を祈る。