ヨーロッパ漂流記

このブログは、ポーランドとイギリスでの生活を中心に、
私ナガシマが異国の地で感じたことなどを綴っていくものです。

計画性について

2006-05-30 00:42:24 | ポーランド
ポーランド人はあまり計画を立てない。
前に少し紹介した、こちらの会社でインターンをしているドイツ人の
女の子ネレが、ポーランドの印象の一つとして以前言っていた。
僕もこの1ヶ月、通っている高校でずいぶんそれを感じてきた。
何といっても僕の授業予定というものがない。
最初のころに渡された紙きれには、地理、英語、歴史
という順番に一日ごとに回れというようなことが書いてあるのだが、
同じクラスにばかり入って僕が毎回授業時間を奪うわけにもいかないし、
なにより他にもたくさん生徒はいるのに、そんなことするのは無駄だ。
ということで、すぐにその日の気まぐれで僕を招いてくれる先生の
授業におじゃまするようになったのだが、
こういうその日暮らし的なやり方では、どの授業にも招かれない
という事態も徐々に起こりはじめる。
そうすると僕は暇なので職員室でコーヒーを飲みながら本を読んでいる
羽目になってしまう。
周りの先生とか事務の人にヘルプを求めても誰も何も知らない。
どうやら、例のプーチン似の校長先生に相談に行くしかなさそうである。

授業計画のみではない。
先週のいつだったかに、6月に生徒を募ってポーランド南部の山へ
遠足に行くからおまえも来ないかと言われた。
僕は結構面白そうだと思ったので、予定が立ったら言ってください
と伝えておいた。
すると今日突然、あさってから一週間の予定で行くことになったから
来ないか、と言う。
うーむ、残念ながらすでに週末にははずせない予定が入っている。
生徒は20人くらい行くらしいのだが、
こういうの、もし日本だったらせめて1ヶ月くらい前から予定を立てるだろうし
高校のツアーだから、しおりなんか作って、事前説明会とかまでやっちゃうかも
しれない。
それに比べて2日前に決定というのはすごい話だ。
まあ6月中旬にも別のツアーをやるらしいので、
今度は早めに言ってくださいね、と伝えておいた。

こういった計画性についての感覚のズレは、先先週に開かれたアイセックの
会議のときにも感じた。
ポーランドの学生たちは、やたらと長い会議をやっているわりに、
今後どういった予定なのかを途中でいろんな人に聞いても、
ほとんどの人が知らないのである。
こういう感覚の違いは、やはり文化の違いと言えるのかもしれない。
まあ会議や遠足の件はともかく、授業計画については結構困っているので、
明日にでもなんとかしなければなるまい。
僕は、学生のインターンシップというある意味気楽な身分で来ているのでまだいいが
何か大きな商売とかでこういう文化の人たちと取り引きをしているような
人たちはさぞ苦労が多いことでしょう。

飲みすぎ注意

2006-05-27 02:37:15 | ポーランド
こっちに来て以来、生活のいろいろな面が変わったが、
その中の一つに酒を飲む機会が増えたということがある。
別に飲んだくれているわけではないのだが、
平均して2・3日に一回は飲んでいるように思う。
まず週末はだいたいアイセックのメンバーで何らかの集まりが
あり、そこで必ず飲むことになる。
ここでは書かなかったが、先週は金曜の夜から日曜にかけて、
トルンから北へ2時間ほどいったところのキャンプ場に行ってきたし、
その前の週は、僕とほか数人の歓迎パーティーがトルンで開かれた。
というわけで週末は大抵アイセックメンバーと飲んでいる。
また平日は平日で、先週の月曜以来ピョートルとマルティンという
飲み仲間ができたため、この二人とビドゴシチ市内のバーを飲み歩いている。
彼らは、僕が教えている学校の夕方のみの英語コースに通っている人たちで、
僕が一度その授業に参加したときに知り合い仲良くなったのだ。
去年高校を卒業して今度の10月から大学に入るそうだから、
日本でいえば浪人生みたいなもんだと思う。
なかなかいい奴らで、飲みに行くとたいてい彼らの友達も来るので、
僕としても交友範囲が広がって楽しい。
僕はあまり社交的な人間ではないが、外国にいるときはできるだけ
友達を増やしていろんな人としゃべろうとする。
そうすると、やはり飲み会に行くというのが一番よい機会になるわけである。
またこっちはビールが店で飲んでも160円くらいと日本よりははるかに安いし、
中心部の近くに住んでいるので(というか町自体が小さいので)
酔っても気軽に家に帰れるというのも、僕の酒の量を増やしている原因だと思う。

飲みすぎているのは、なにも酒だけではない。
まずコーヒー。
これは僕が通っている学校の職員室で、先生たちが休み時間になるとみんな
コーヒーを飲んでいるため、僕もつられて飲むようになった。
特に僕は、朝ご飯は高校の売店でパンを買って食べているため、
まずそこで一杯飲む。
そして日本語の授業が終わって学校を出る4時半までに2杯3杯と飲んでしまう。
こっちでは食事がパンばっかりで口が満たされないので、
こういう味の濃いものでまぎらわしているという理由もあるかもしれない。

それからジュース。
僕は日本にいるときはジュースなどほとんど飲まないが、
こっちではかなり頻繁に飲んでしまう。
理由は、外食をしたときにマックのハッピーセットのようなセットで
ファンタやコーラが付いてくることが多いからだ。
また外を歩いていて喉が渇いたときなども、日本のように渋いお茶は売っていないので
結局ジュースを買う確率が高くなる。
ミネラルウオーターを買えばいいのだが、家でもこれを飲んでいるため
水の味に飽きてくるのである。

というわけで、酒、コーヒー、ジュースどれをとっても実に体に悪い。
日本にいるときは僕は酒は週に一回くらいしか飲まないし、
家では麦茶を主に飲んでいる。
それに比べて、この生活は明らかに体をむしばんでいる気がする。
改善しなければ。
とりあえず明日は家でゆっくり日本食でも作って、
体を労ろうかと思います。

写真:飲み仲間たち

トルンの夕べ

2006-05-25 02:43:16 | ポーランド
昨日は高校での授業のあと、隣町のトルンに行ってきた。
ロシア人の学生がまもなく帰ってしまうというので、
お別れ会をやったのである。
ここには、トルンとビドゴシチでインターンをやっている外国人全員と
現地の学生数人が来たので、なかなか国際的な飲み会となった。

帰ってしまうのはヤナというロシア人の女の子。
ノボシビルスクというシベリアの街から来た人で、
ドイツ語が上手いため、高校でドイツ語を教えていた。
この日の飲み会では、ジャガイモと牛肉を炒めたロシア料理を
作ってくれた。
それから、ドイツ人の女の子ネレ。
この人は学校ではなく、トルンにある何かの会社で通訳の仕事を
しているみたいだ。
ネレはアップルパイみたいなケーキを作ってきたのだが、
これもかなり美味しかった。
日本人のマナさん。
この人はメキシコ留学中の空き時間にアイセックを利用してポーランドに
やってきたというものすごい行動範囲の人である。
マナさんはなんとにぎり寿司を作ってきて、
これは全員にものすごい好評だった。
僕は一応日本からチラシ寿司のもとを持ってきたのだが、
マナさんのにぎり寿司の前には、出番はなかったようだ笑。

次に、ブラジルから来たマルセロ。
彼はいかにもラテンなノリで、
常に女の子をなんぱし続けているようなキャラで、
僕のブラジル人イメージをそのまま体現したような人だ。
しゃべってるときは常に手を動かしていないと気が済まないらしく、
それがまたいえーいって感じのノリの良さを演出している。
ただこの人は、実はかなりまじめなアイセックの本メンバーでもある。
そして、オランダからきた二人。
実は名前を覚えてないのだが、一人は2メートルちかい身長である。
二人ともなんともやる気のないオーラが万々で、
こちらでも特に働くでもなくぶらぶらしているような感じらしい。
そしてビール片手にオランダ訛りの?英語で変なことをしゃべりつづけて
会話をリードしている。

さらに、アメリカ人のギータ。
シカゴから来た黒人の女の子で、常にハイテンション。
この人のしゃべる英語はうますぎるので(当たり前)
僕は半分くらいしかわからない。
小さいときに東京にも来たことがあるとか。
そして酔っ払うと手が付けられない笑。
最後はインド人のラヴィナ。
いかにもインド人!という風貌をした女の子である。
この人の時間感覚は恐ろしくゆるやかでマイペース。
きっとラヴィナの時計には短針しか付いてないに違いない。
ギータとラヴィナはビドゴシチで研修をしていて、一緒に住んでいる。
この二人の共同生活がどのようにして成り立ってるのか、かなり謎だ。

という感じの人々が集まって、夜7時くらいからビールやらウオッカやらを
飲んだ。僕は昔モスクワで韓国人の友達に教えてもらったツナと卵を油で揚げた
朝鮮料理を作って持っていったのだが、結構好評だったのでよかった。
こういう各自が料理を作って持ち寄るパーティというのは
日本にいるとなかなかやる機会がないので結構楽しいものだ。
結局ビドゴシチには深夜バスで戻ったので、
今日は寝不足の一日となった。

写真:テンション高いオランダ人2人組


西を向くポーランド人

2006-05-23 01:59:58 | ポーランド
ポーランドは東欧の国であり旧共産圏だ。
冷戦が終わったとはいえ、日本では今でもまだ遠い壁の向こうの
貧しい国というイメージを持っている人が多いのではないか。
でもここにきて思うのは、今やポーランドは圧倒的に
西側を向いた国だということである。

たとえば若い人が勉強している外国語。
英語はほぼ必修で、第二外国語でもっともメジャーなのは
ドイツ語である。それについでフランス語。
スペイン語を勉強している人も少数いるが、
僕の行っている学校でロシア語をやっているひとはほとんどいない。
このような外国語学習の背景には、ポーランド人の仕事の事情があると思う。
ポーランドは失業率が10数パーセントと高く、
賃金も低いので、多くの人がイギリスやアイルランド、ドイツ、オランダ
などで働きたがっている。
実際、2年前にEUに加盟してからは、ビザ無しで渡航して仕事ができる
ようになったため、親戚や友達がこのような外国で働いているという
話は何度も聞いた。
また面白いことに、こっちの大学生のバイト事情も、
日本のように授業の後に夕方から働くというケースよりは、
夏休みなどの長期休みの間にドイツやオランダへ行って働く
というパターンのほうが圧倒的にメジャーなようだ。
こっちのアイセックメンバーに、夏休みは何をするつもりか聞くと、
このように海外で働こうかと考えている人が実に多いことがわかる。
実際のところ、ポーランドとドイツなどの西欧諸国とでは
3・4倍の賃金格差があるらしいので、
そっちのほうがずっと効率的にお金が稼げるし、
語学などの面でも勉強になる。
このように、気軽に国境を越えて働きに行くというのは
日本人からするとかなり異質に映るが、
驚くほど国境のハードルが下げて東へ拡大しているヨーロッパが、
今やポーランドを飲み込みつつあることが肌で感じられる。
そしてポーランド人にとって外国語学習とは、
まさにそうした外国での仕事を得るためのかけ橋であるわけだ。

もうちょっと柔らかい話をすると、店員の愛想の良さがある。
僕はモスクワで1年近く暮らして、ロシアの店員の感じ悪さには
かなり苦しめられてきたのだが、ここではそういう不快感が
ほとんどない。
まあ日本の店員のサービスの良さにはかなわないが、
少なくとも物を買ったときに店員が「ありがとう」と言ってくれる
確率はロシアに比べて格段に高いし、
店で何かを探していて店員に尋ねても、
ロシアのようにニコリともせずに「ない」と突き放される
ということもない。
言葉がわからない僕に対しても常に親切に案内してくれる。
そういう意味でも、ここはロシアとはぜんぜん違う世界なんだなあと
日々感じるのである。


日本語クラス

2006-05-19 01:07:35 | ポーランド
今週の月曜日から、要望の多かった日本語講座を開講した。
週2回、放課後に1時間ずつ授業をすることにしたのだが、
予想以上に多い50人以上が希望したため、急遽2クラス作ることに。
ということで、月水と火木というカリキュラムで、
人生初の日本語教師生活?が始まった。

やはり生徒の一番の関心は文字のようだ。
僕は一時間の授業のうち前半を文法と会話、
後半をひらがなの練習に当てているのだが、
ひらがなを書く時間になると一気に目が輝く。
僕も一時期、アラビア文字に惹かれてアラビア語をやっていたことが
あるので、見慣れない文字に惹かれる気持ちはよく分かる。
まあ僕の場合はすぐ挫折してしまったけれど。
とにかく、6月末までというのは語学をやるには短すぎるものの、
ひらがなはすべてマスターさせることを目標にしている。
今日は第二回目で、た行までやった。
生徒たちは、さけ(酒)とすしが書けるようになって、
かなり満足していたようだ。
文字以外については、僕としては、
日本語で少しでも会話できるような気分になってもらうことと、
ヨーロッパ諸語とはまったく違う日本語の文章構造を味わってもらう
ことを目標にやっていこうと考えている。

そんなこんなで、こちらでの生活も軌道に乗り始め、
昨日はなんと、地元の新聞に僕のインタビュー記事が掲載された。
実は月曜日に地元の新聞記者が僕に会いに学校に来て、
英語でインタビューを受けていたのだ。
まあビドゴシチのローカル紙ではあるものの、写真も結構大きく載ったので
これは結構うれしかった。
はい、これは自慢です笑。

ただし、いいことばかりでもない。
この学校での僕の授業予定というのはかなりいい加減、
というより無いに等しく、いつもなんとなく今日はだれだれ先生の代わりに
入って、というような指示を受けて、各クラスを回っている状態だ。
だから、あるクラスにはすでに3回入ったが、まだ入ってないクラスもある。
そういう状態だから、やることも結構その時によってばらばらになり、
どこで何を話したかわからなくなってくる。
そもそもあと1ヶ月以上も、日本について話し続けるネタがあるのか、
というのも疑問だ。
今後どうなるのかは僕にも、そして多分あの学校の先生たちにもよくわからない。

日本語クラスにしても、僕は日本語の文法をよく知らないし、
日本語を教えることなど予想してなかったので、教科書も持っていない。
とりあえず、インターネットとかで調べつつ、
ポーランド語の文法も見ながら、彼らにわかりやすいように
授業計画を作っていこうと思っている。

そんなわけで前途多難?な予感もしないでもないが、
とりあえず新聞にも載ったし、日本語クラスも盛況なので、
良しとしておきましょうか。


互いの国のイメージとは

2006-05-17 01:40:58 | ポーランド
高校での授業も2週目になった。
今の時期、卒業を控えた3年生はすでに授業がないので、
僕が接しているのは1・2年生である。
ただし、ポーランドでは、小学校に入るのが日本より一年遅いので、
1・2年生というのは16-18歳という年齢層になる。
概して感じるのは、日本に対する関心はかなり高いということだ。
やはり日本文化がいろいろな面で紹介されていることが大きいだろう。
寿司をはじめとした日本食、柔道・相撲などのスポーツ、
着物・盆栽などの伝統文化もかなり知られている。
それから、日本の漫画やアニメはこちらでも結構人気があるようで、
セーラームーンとかドラゴンボール、GTOなどが有名なようだ。
僕は全然興味がないのだが、テレビゲームもかなり浸透している。
日本の伝統的なものが西欧でウケるというのは、ただの異国趣味なんじゃないの、
という気がして僕はあまり好きではないが、
アニメとかゲームみたいな現代の日本の文化が外国で受け入れられている
というのは、日本にとってはかなりの強みなんじゃないかと思う。

それからこちらに伝わっている文化以外での日本に対するイメージは、
真面目でよく働く、学校などでの規則が厳しい、子どもがよく自殺する、
物価が高い、旅行好き、カメラ好き、
といったところ。まあ大体想像の範囲内だ。
日本が西欧に比べて特に子どもの自殺率が高いのかどうかは、
よくわからないけれど、
制服があるということから規則が厳しいというイメージが生まれ、
受験戦争の厳しさから子どもが勉強しまくってて自殺する、
というイメージのようだ。
まあでも最近はだいぶ緩和されてるんじゃないかという気もするし、
ゆとり教育の論争なんかもあるから、一概には言えない気もするが、
こっちの高校生は、とくに「受験勉強」という形で塾に行ったりして
勉強するということはないようなので、
こちらとの比較という点からすれば、彼らの日本人に対する
イメージはだいたい当たってるんじゃないかと思う。

また、逆に日本人がポーランドのことをどれだけ知っているのか、
ということにもかなり興味があるようだ。
こちらに来て思うのは、彼らは自国についてかなり小国意識を持っているということで、
「日本の人はどうせポーランドのことなんて知らないでしょう」
と突っかかってきたりもする。
そして実際、僕も、日本人はポーランドのことは大して知らないと思う。
中年以上の人たちにとっては、ポーランドのイメージは
かつての貧しい東側諸国の一つ、のままであるかもしれない。
そして若い人は、、ヨーロッパの一つくらいにしか思っていないと思う。
僕自身、世界史をやったので歴史についてはある程度知っているものの、
文化とか現在のポーランドの有名人とかについては全然知らない。
ということで、ポーランドといえば何?とポーランド人に聞かれたときは、
「まあショパンとかキュリー夫人とかかな。」
と答えることにしている。
しかしながら、多くのポーランド人にとって彼らは昔の偉人に過ぎない。
たとえば、ショパンの曲などほとんど知らないという高校生がほとんどだ。
そして例えば、ここでは「ショパンなんとか記念コンクール」
とかいうような名前のピアノのコンクールが毎年開かれるらしいのだが、
優勝者はずっと日本人と中国人で、今年初めてポーランド人が
優勝した、というのが一つのネタになっていたりする。

遠い国に対するイメージというのは、ほんのわずかな情報で一色に塗られがちだ。
だからステレオタイプも生まれる。
でも日本に関する情報は、ここポーランドにも予想以上に多く伝わっている。
日本についての授業をするといってはるばる来たものの、
地元の高校生や大学生と話していると、
僕には教えることよりも教えられることの方がはるかに多いことを
日々感じている。

アダムとヘレン

2006-05-13 00:02:45 | ポーランド
僕は、ここビドゴシチではポーランド人の家にホームステイさせてもらっている。
家は一般的なアパートで、キッチンや風呂トイレのほか、三つの部屋がある。
そのうちの一つを借りて住んでいるのだ。

一緒に住んでいるのは、60歳前後の夫婦である。
おじさんはアダム、おばさんはヘレンという。
二人とも外国語はほとんど喋れず、会話はポーランド語のみ。
僕はポーランド語が喋れないので、基本的にコミュニケーションは
かなり困難である。
ただこの二人、性格がめっぽうに明るく、かなりいい人たちだ。
僕が言葉が通じないのをものともせずに、
毎日かなりアグレッシブに話しかけてくる。
僕の生活にもかなり気を配ってくれているようで、
昨日なども、僕の部屋の机と椅子の高さが合わなくて背中が痛い
というようなことを身振り手振りで言ったら、
いろいろ探し回ったあげく、バルコニーから新たな椅子を持ってきてくれた。
彼らの親切さのおかげで、言葉が通じないことはあまり気にならない。

ヘレンのほうは非常におしゃべり好きな人で、いつも絶え間なく喋り続けている
感じの人である。おまけにかなり声がでかい。
サッカー中継を見ているときはいつもかなり白熱していて、
ときどき隣の部屋から絶叫が聞こえてくる。
来月のワールドカップが今から楽しみだ。
それから彼女は僕に話しかけてくるときに、僕がよく分からない、
といった表情をすると、大抵さらに大きな声で捲くしたてる。
いやいや、大きい声で言われてもわからないものはわからないのですが。。
僕の方は 、非常に簡単なポーランド語の単語と、
ある程度単語を共有しているロシア語と、あとはジェスチャーで
なんとか意志を伝えようとする。
そういうわけで、我々の会話?は、通じている量が少ない割に
かなりエネルギーを使っている気がする。

彼らは生活費に関してはかなり切りつめているようである。
水道や電気の料金が高いからということで、
水は基本的にチョロチョロとしか出さないし、
暗くなっても電気はあまりつけない。
夜はだいたいテレビを見て過ごしているのだが、
いつも真っ暗な中でテレビを見ている。
僕はたいてい本を読んだり英語の勉強をしたりしているが、
部屋の電気は点けずに机の上のスタンドだけを点けている。
この町は、見たところすごくきれいな町並みをしているし、
僕が予想していた以上に裕福な雰囲気であるが、
こういうところで、少し貧しさを感じる。

写真:後ろのふたりがアダムとヘレン。僕のとなりの人はアダムの妹さん。

ビドゴシチ第一高校

2006-05-10 02:16:09 | ポーランド
月曜からついに高校での授業を開始した。
朝8時に職員室に行くと、校長先生をはじめ何人かの
先生たちが迎えてくれた。
校長はプーチンにものすごく似ていてびっくりしたが、
常ににこにこしていて感じがよく、一安心。
初日はまず地理の先生についてまわることになった。
この学校で僕がやるのは、日本全般についての授業。
内容に関してはとくに要求はなく、文化でも歴史でも
なんでも話してくれといった感じだ。
こういうのは初回の掴みが重要だろうと思ったので、
いくつかネタを用意していた。
まず僕が自己紹介したあと自分の名前を漢字で書くと、
それだけでかなりウケる。
こういうときはつくづく漢字文化というのは得だと思う。
予想以上に反応が良かったので、すこし日本語についての
解説をしたあと、日本から持てきた新聞を見せる。
漢字がいっぱいある上に、縦書きで右からページをめくっていく
というのはかなり面白く映るようだ。
僕らにとってのアラビア語みたいなかんじだろうか。
そのあとで、僕が渋谷やお台場、三重県、
そして韓国、台湾で撮影した写真をいくつかパワーポイントに
編集しておいたものを見せた。
まあ要するに僕は、日本に限らず、中国文化の影響を受けた
東アジアの世界をなんとなく感じてもらいたかったのだが、
うまく伝わったかはちょっとまだわからない。
でも全体として、生徒の反応はかなり良かったように思う。

翌火曜日の今日は、英語の授業に参加。
といっても僕に英語は教えられないので、
結局また日本についていろいろ話すことになる。
今日はネタを用意してなかったのでちょっとドキドキしたが、
なにせ生徒は好奇心旺盛。
ものすごい勢いで質問を浴びせてくる。
結果としては、文化に限らず、お互いの国の政治的な話なども
かなりできたので、非常に面白かった。
実際、この学校の高校生は、僕より英語がうまい人も何人もいるし、
興味の範囲も広くて、レベルが高いなと感じた。

形式面での日本の高校との大きな違いは、学科ごとに教室が決まっていて、
移動するのは先生ではなく生徒だということ。
だから僕は、初日は地理の教室、二日目は英語の教室に
べったりいることになった。
制服はなく、生徒はみな私服で来る。
それからこれは生徒の一人から指摘されたことだが、
日本の学校と違い、生徒は自分たちで部屋を掃除する必要がない。
小学校ですら掃除のおばさんがするらしい。
ま、僕も高校のときに教室を掃除した記憶は一度もないけれど笑。

それにしても、ずっと英語で話し続けるのはかなり疲れる。
それから、ずっと話してると、自分にいかに文章構造の持ち駒が少ないか
ということも露呈してくる。
語彙も少ないし、極端にいえばグッドとバッドですべてをかたずけざるを
得ないような稚拙なしゃべりかたになっている。
時制とかもめちゃくちゃ。
これはかなりの勉強が必要です。

ビドゴシチの休日

2006-05-08 03:16:09 | ポーランド
昨日土曜日は、こっちで僕の受け入れを担当してくれているアーニャという女の子の
家に招かれた。
ビドゴシチは大きな町ではないので、少しバスに乗ればすぐに町を抜けて
草原と住宅街が交じり合う風景になる。
30分ほどバスにゆられて終点で降りると、アーニャと小学生の妹が迎えに来ていた。
ここはいかにも裕福な郊外の住宅地という風景で、
僕の住む千葉とは違って
家の一つ一つが大きくて敷地も広く、俄然ゆったりしている。
なんといっても玄関からドアまでの空間がやたらと広い。
それから家の外観も、日本の一戸建てとは違い、カラフルでおしゃれだ。
アーニャの家はなんと4階建てだった。
正直言ってポーランド人がここまで豊かな生活をしているとは予想してなかったので
(失礼)、かなり驚いた。
出迎えてくれたのは、両親とお兄さん、おじいさんの4人。
さっそく家族そろっての食事になる。
ポーランドは、ロシアとかと同じで昼がメインの食事だ。
両親がいっしょに作ったというアーニャ家のディナーは、
まず前菜(?)がジャガイモとキャベツの入ったボルシチ。
その後のメインが、鳥肉とポテトとサラダだった。
これをワインを飲みながら食べる。
うーん、実に優雅な休日。
食後は、僕が今度の月曜から始める授業で使うパワーポイントを、
アーニャに手伝ってもらいながら作る。一応これがこの日のメインイベント。
実は僕はパワーポイントというものを使ったことがなかったので
これは結構勉強になった。
夕方5時頃には、再び居間に呼ばれておやつタイム。
お母さんが作ったケーキを食べながら、ウオッカを飲む。
彼らは、ウオッカと言えばポーランドが一番だ、と言っていたが、
やっぱりロシアで飲んだやつの方がおいしかった気もする。
まあウオッカはピンきりなので、これだけではなんとも言えないが。。
ちなみに、「乾杯」というポーランド語はナ・ズダローヴィエで、
これはロシア語と同じ。僕にとっては覚えやすい。
夜は、僕が持ってきたドリフのDVDを見せたりして(これは結構ウケタ)
最後は夕飯までごちそうになって、夜9時頃にお暇した。
いやーほんとにお世話になりました。
僕は一応日本で買ったテーブルクロスのような布切れを土産として持っていったのだが
これも結構喜ばれたので良かった。
それにしても、アーニャの家は、頼り甲斐のあるお父さんに料理上手なやさしい
お母さん、という絵に描いたような郊外の幸せな家族のように見えた。
お父さんは、平日は町の中心部に働きに出ていて、
アーニャも、平日は隣町のトルンで寝泊まりして大学に通っているので、
休日はこうしてかならず家族で集まるようにしているらしい。
ただ、ポーランドはやはり経済難であるらしく、
お兄さんは大学でもなかなかいい職が見つからないとも言っていたので、
見た目からはわからない厳しい部分もあるのかもしれない。
でも、あの生活はうらやましいなあ。。

さて、日曜の今日は、同じ町でインターンをしているインド人とアメリカ人の
学生に会って、なかなか楽しく過ごせた。
そしていよいよ明日からは、高校での授業が始まる。
さてさて、これからどのような出会いが待っているでしょうか。

写真:アーニャ家の人々とウオッカで乾杯(アーニャは写ってません)


ポーランド到着

2006-05-06 00:06:01 | ポーランド
昨日ようやく目的地のビドゴシチという町に着きました。
今はホームステイしている家の近くのネットカフェで書いています。

それにしても、おとといは最悪の出発でした。
出発の前夜、予定していたサークルのメンバーとの飲みは、準備が間に合わなくて
行けなかったのですが、その代わりに地元の友達と夕飯を食べに行きました。
と、そこまではよかったんですが、その後、これで日本ともお別れだという思いが
強まってか、むしょうに焼酎が飲みたくなって、近くのスーパーで買い込み、
その友人の家に行ったのです。
それで、家でビデオを見ながら焼酎を飲んでたら、止まらなくなって、
一人でほとんど一本空けてしまった(笑)
さらにその後、彼と自転車で近所の飲み屋に行き、たしかビールを飲んだ気が
するものの、もはやあまり記憶なし。
最後はロイヤルホストでだべって、結局家に着いたのは朝4時でした。
飛行機の出発は昼の12時なんで、朝8時には家をでなきゃいけないというのに。
まあ一言で言えばバカなんですね。
でも、朝7時に母親にたたき起こされて、頭がガンガンするなか成田に行き、
なんとか無事に出国いたしました。
酒がぬけたのは、飛行機がカザフスタンの北あたりに差し掛かったときでした。
僕のとなりにはいかにもジェントルマンな西欧人が座ってましたが、
さぞかし酒臭かったでしょうねー。ほんとに申し訳ない!
その後、懐かしのモスクワで乗り継いで、ワルシャワに着いたのは夜9時。
すでに日本時間では朝の4時です。
ほんとに身も心も疲れ果てていたので、予約していたホテルに着くと
速攻で寝てしまいました。

翌日は、ワルシャワ中央駅から3時間半ほど列車に乗って、
このビドゴシチにやってきました。
ラッキーなことに、列車の中でロシア人のビジネスマン二人と知り合い、
ビドゴシチまではずっと彼らと話していました。
駅に着くと、すでにこちらのアイセックのメンバー数人が迎えに来てくれていました。
みんな僕よりもずっとうまく英語を話すので、すごいなあと思います。
とりあえずみんなすごいフレンドリーで、色々と親切に案内してくれるので、
一安心。
まあそこから先のことは、また次回書きましょう。
今回はこのへんで。

写真:ビドゴシチで住んでいた家