ヨーロッパ漂流記

このブログは、ポーランドとイギリスでの生活を中心に、
私ナガシマが異国の地で感じたことなどを綴っていくものです。

今後の予定

2006-06-29 00:34:44 | ポーランド
僕は今日で、2ヶ月住んだビドゴシチを離れることになりました。
今後の予定ですが、
スーツケースをアダム・ヘレン邸で預かってもらえることになったため、
しばらくは身軽になってウクライナなどをブラブラした後、
8月3日木曜日にここへ戻ってきて一泊し、
翌4日のバスに乗って、5日朝にはロンドンに着く、という予定です。
ちょうど5週間くらい東欧で完全にフリーという贅沢な時間が得られたので
まずは今夜の夜行でポーランド南部の町クラクフへ行き、
おそらく2日くらいは滞在して近くにあるアウシュビッツなどを見た後、
ウクライナへ入り、リヴィヴ、キエフ、オデッサ、ヤルタ
などの町をまわりながら、黒海沿岸にしばらく滞在して、
久々に集中的にロシア語を自習しようかと思っています。
(ウクライナ南部はロシア人が多い地域なので)
モスクワに住むデニスというロシア人の友達が、
もしかしたらウクライナにこれるかもしれないとのことなので、
もしそこで再会できれば楽しいかなとも思っています。
そして最後の10日くらいで、ルーマニア、ハンガリーなどを見ながら
北上し、ポーランドへ戻ってこようというのが、
今のところの大まかな計画ですが、
まあこれは1ヶ月も先のことだし、お金が足りなくなれば必然的に
物価の安いウクライナに留まらざるを得なくなるかもしれないので、
今のところどうなるかはよくわかりません。
いずれにせよ8月3日にビドゴシチに戻ってくることだけは
確かであります。

ということで、このブログの今後の更新はかなり不定期になる見込みです。
まあウクライナというのは日本人の旅行先としてはかなりマイナーだと思うので
なにか面白いことがあったらできるだけ書き込みたいとは思っていますが。
それでは、皆さんも元気でお過ごしください。



終了パーティー

2006-06-23 22:33:04 | ポーランド
今日は、高校の今年度最後の日であった。
とはいえ先週でどの科目も期末試験が終わっていたこともあって、
今週は実質的に授業がなく、生徒たちはだいぶ飲み歩いていたようである。
僕も昨日、招待されていたパーティに行ってきた。

パーティは、18歳になった人たちを祝うものだった。
僕の行っている第一高校以外の生徒もたくさん来ていて、
一つのディスコのようなところを借り切ってかなり盛大に行われた。
こっちのパーティというのは、日本の飲み会とはかなりスタイルが違う。
まず日本のように特に誰かが計画して人数集めてというようなものではなく、
各自がどんどん自分の友達を誘い、招待券をもらった人がなんとなく
集まってくるというようなシステムである。
だから、知らない人もいっぱいいるし、逆に知り合いがそんなにいなくても
友達に誘われて行って気まずくない。
人の流れがかなり流動的で、適当なかんじである。
そして日本のように誰かが音頭をとって乾杯、というようなこともせず、
各グループが勝手に飲みはじめる。
僕は、クラス旅行に誘ってくれた例のクリスとマルティンらと行ったので、
彼らの輪の中で飲みはじめた。
そして酔って盛り上がってくると、周りのグループとからんで騒ぐ、
というような感じであった。
それから細かいことだが、こっちの人は酒を飲むときにあまり食べない。
これは多くのパブでもそうなのだが、ちょっとしたスナック菓子のようなものを
つまみながらひたすらビールやら何やらを飲む。
日本だと、お通しが出てきて、それから料理、となるところだから、
これは僕にはちょっと不満である。
そして決定的な違いは、飲むと必ず踊ることである。
そもそも会場がディスコなので、大音量で音楽がかかっていて、
中心にダンスホールがある。
その周りにテーブルとかカウンターがあって、酒を飲み、踊り、
また戻ってきて飲む、というのを繰り返す。
だから、日本のようにゆっくり話でも、というような雰囲気ではない。
まあ僕は踊るのは好きなので、こういうのは結構楽しい。
ただ酒を飲んで踊ると、どんどん酔いが回る。
昨日など、僕が踊っていると、周りの人たちがどんどんビールを飲ませてきたので
調子に乗って飲んでいたら、かなり意味不明になってしまった。
何も無くさずに家に帰れたのは、奇跡としか言いようがない笑。

そんなこんなで、今日はみんな二日酔いで終了式を迎えた。
朝9時から運動場にみんなが集まり、プーチン似の校長先生を中心に
表彰式のようなものをやる。
こうしてみんなが集まったところを見ると、ずいぶんと知った顔がたくさんある。
何の縁もゆかりもないポーランドのビドゴシチに、こうしたなじみの空間が
できたことは、なんとも不思議な気分だ。
その後、クラス毎に教室に戻り、成績表の配布。
成績がよかった生徒には、先生から本がプレゼントされることもある。
マルティンは、日本の文化に関する小さな辞典をもらっていた。
僕がこの学校に来たことで、日本を身近に感じる人が増えてくれれば
僕としては嬉しいかぎりである。


というわけで、終了式について書くつもりが、大部分が飲み会の話に
なってしまいましたが、こうして無事に僕のインターンは終了しました。
こういう貴重な機会を提供してくれたアイセックのみなさん、
本当にありがとうございました。


写真:ビドゴシチの夏祭り



すき焼き?大会

2006-06-21 01:58:51 | ポーランド
僕が行っている高校は、今週いっぱいで授業が終わり夏休みになる。
僕のインターンも、今度の金曜日が最後である。
ということで、残りもわずかになった今日、
高校の食堂に協力してもらい、大々的に日本食を作ることになった。

メニューは、考えた末すき焼きを作ることにした。
まあ特別な理由はないのだが、比較的作るのが簡単だし、
こっちでは知られてなくて、日本ではすごくメジャーな食べ物だからである。
ずっと前にモスクワで作ったときに、ヨーロッパの人もおいしいと
言ってくれたので、これなら大丈夫だろうと思ったというのもある。
とはいえ、材料については結構難がある。
まず豆腐とシラタキが手に入らないのはかなり痛い。
それから、生卵につけて食べるというのも、ちょっと想像すればわかるのだが、
これは箸が使えないと無理である。
ヨーロッパ人の食事には、ああいう動作はそもそも存在しない。
ということでこれもあきらめ。
結局材料は、牛肉、白菜、ネギ、ニンジン、きのこ、になった。
作るのはおよそ80人分。
食堂のおばちゃん達がいっしょに作ってくれることになったのだが、
彼らはすき焼きがどんな物かをまったく知らないし、
僕は一度にこんなに大量の食事を作ったことなどまったくない。
なので、実際かなり不安だった。

朝8時にキッチンへ行く。
用意された牛肉は8キロ。
とりあえず薄く切ってください、ということを伝え、
みんなで切る。
それから白菜、ネギと切っていくが、いちいち量が多い。
これはかなり重労働である。
でもおばちゃん達はさすがにプロで、歌を歌いながらかなり手際よく切っている。
そのあと、大きいタライのようなフライパンに火をつけて、材料を入れる。
味付けは、醤油と砂糖とウオッカ。
最初に肉を入れた段階で味付けしないと、肉がおいしくならないことを
直前に思い出し、結構あせる。
味付けはヘルプを求めるわけにもいかず、結構難しくて、
一つ目のフライパンでは、ああでもないこうでもないとやっているうちに、
白菜がほとんど融けてしまった。
うーむ、火を消せばよかった。
二つ目は少し慣れたのか、そこそこうまくいったものの、
買ってきた醤油が少し足りなくて、全体的にうす味になってしまった。
ともあれ、それら二つを混ぜてみると、それなりにすき焼きっぽい味だ。
まあ良しとせねばなるまい。。
ただ、やっぱり豆腐とシラタキのないすき焼きはちょっと物足りない。
ってゆうかすき焼きとは言えないかも。
で、ご飯は、僕は短い粒のやつで!と主張していたのだが、
食堂にあったのは長いものだけだったので、僕は炊きかたがわからず、
これについてはポーランド流でやってもらうことにした。

最後に、これにポーランドのスープを一品加えて、
無事?「すき焼き定食」完成。
盛り付けはというと、僕が気づいたときにはもうおばちゃん達は
平たい皿にご飯を盛り、その上からすき焼きをかけていた。
これではすき焼きというより、むしろ平たい牛丼である。。
うーむ。。でもまあこうして、
ポーランド人のプロフェッショナル達と、日本人の素人の僕の
共同制作による「すき焼き丼」ができたわけだ。
はじめに想像してた形とは結構違うけれど、僕はかなり満足だった。
そして、彼らが炊いた米が塩とバターで味付けされていたのが、
結果として僕のすき焼きのうす味を補って、程よい味付けになっていた。

食事の時間は、12時半から3時。
日本のように、昼休みにまとまって食べるというようなことはせず、
授業の空いている生徒や先生が思い思いに来て食べるという感じだ。
今週は最終週ということで、クラス旅行に行っているクラスが多く、
あまり生徒が来てくれなかったのが残念だったが、
食べた人たちは大抵みんなおいしいと言ってくれたし、
中にはまたやって欲しいという人までいて、結構嬉しかった。
もっとも他人の作った食事をまずいとは言えないので、
かなりお世辞が入っているものとは思うが。
ともあれ、こうして一大イベントが無事に終わったのだった。
いやー、楽しかったけど疲れた。

写真:食堂のおばちゃんと記念撮影
   (ほんとはもっとたくさんいたのに写ってくれなかった)



縮まらない日本との距離

2006-06-19 03:43:50 | ポーランド
以前にも少し書いたが、ポーランドでは日本の文化について
意外によく知られている。
空手や柔道といった格闘技、漫画やアニメや映画、
寿司をはじめとした日本食、着物などの伝統衣装、
漢字やひらがな、日本人形や和紙などの品物。
日本につながる様々なものが、こうして受け入れられて、
それが日本好きな人々を生んでいることは、
日本にとって大きなプラスであると思う。
日本は優れた技術を持った経済大国であるだけでなく、
いろんな「面白い」文化を持った国らしい。
そんな好奇心が、こちらの人にはあるようである。

昨日は、トルンで開かれた日本文化フェスティバルに呼ばれて行ってきた。
そこでは上に挙げたような様々な日本文化が紹介されていた。
けれど、どうも僕は違和感を拭い切れなかったのが事実だ。
そこでは、空手をやっている部屋に行けば、人々は日本人は皆
何かしらの格闘技をやっているものと思っていた。
囲碁をやっている部屋に行けば、日本人なのに囲碁のルールを
よく知らない僕を、信じられないといった目で見てくる人々がいた。
現地に住む日本の方も来ていて、巻き寿司の作り方の実演をやっていたが、
今の日本で自分で巻き寿司を巻く人は何パーセントいるのだろう。
アニメおたくでコスプレをやっている人たちもいて、
彼らはアニメグッズを嬉しそうに買っていたが、
日本人の僕がそこに来ても、注意も払わなかった。

結局のところ彼らが楽しんでいるのは、日本の中の特に異質で興味深い部分
だけであって、ナマの日本の姿ではない。
そして、日本人が海外に来て日本文化を紹介するときも、
やはり異質な部分だけをクローズアップして紹介してしまう傾向があることも
否めないだろう。
こうして、いくつかの「日本文化」が伝わったとしても、
依然として「遠くて不可思議な国」のままの日本に興味を抱かせることに
なってしまうのではないか。
こちらにきて何度も聞いた「日本はエキゾチックで面白い」
というポーランド人たちの言葉が、何よりもそのことを物語っている。

とはいえ、多くのヨーロッパの人々が、そのような一部の文化以上の
日本の姿を知るようになるべきだというのは、ちょっと酷な話であろう。
日本人だって、どこまでヨーロッパについて知っているというのか。
日本とヨーロッパとの距離は、そう簡単には縮まりそうにない。

クラス旅行

2006-06-15 19:30:26 | ポーランド
月曜から水曜まで、二泊三日の高校のクラス旅行に参加し、
ビドゴシチの北の方にある森の中のキャンプ場に行ってきた。

このクラスは、高校2年のクラスで、生徒はだいたいみんな18歳である。
クラス全員が来たわけではなく、この旅行に参加していたのは20人強だった。
僕を誘ってくれたのは、クリスとマルティンという二人で、
彼らは僕の日本語クラスに参加している人たちである。
こっちの高校では、日本のように全学年みんなで行く修学旅行のようなものはなく、
各クラスで年に一回か二回、このような小旅行に出かける。
しかも全員が強制参加というのではなく、行きたくない人は行かなくてもいい
というかなり自由なものである。
僕は、何百人の生徒がいっしょにゾロゾロ旅行する日本の修学旅行が
あまり好きではなかったので、これはかなりいいなと思った。

月曜の朝に学校の前に集合して、バスで出発。
途中森の博物館に寄り、昼過ぎにはキャンプ場に到着。
宿泊施設の近くには湖があり、午後はそこでカヌーをやる。
カヌーは、高校のときに友達と長瀞でやったとき以来だ。
僕は運動不足だったので、腕がかなり痛くなった。
そして夜は夕食の後、たき火を焚いてバーベキューをやる。
生徒の一人がギターを持ってきていて、
たき火を囲んでみんなでポーランドのフォークソングを歌う。
まあ僕は歌を知らないので、聞いているだけだったものの、
なかなか楽しいバーベキューだった。

翌日は、バスで昔の田舎の生活が展示された公園のようなところに行き、
帰ってきてからは湖でしばらく泳ぐ。
こっちは、先月はかなり寒かったのだが、
今月に入ってから急に気温があがり、この三日間もかなり暑かった。
だから、泳ぐには絶好の気候だったわけだ。
そして夜は、クリス、マルティン他何人かと深夜までトランプやら何やらをやる。
こういった典型的な修学旅行の夜は、どの国でも変わらないのかもしれない。
僕は、ここではじめてチェスを教えてもらい、何度かやってみたのだが、
将棋もろくにできない僕にはかなり難しく、負けっぱなしであった。

メンバー全員を知っていたわけではないので、
旅行の始めの段階では何人かと話すだけだったのだが、
その後徐々にいろいろな人と仲良くなっていくことができ、
僕としては非常に楽しい旅行だった。
先生も2人来ていたが、旅行の雰囲気は「学校の旅行」というよりは
ちょっとしたグループ旅行という感じだった。
帰りのバスは、学校への道の途中に住む生徒を少しずつ降ろしていき、
最後は流れ解散であった。
日本の修学旅行なら、なかなかこういうことは許されないのではないか。

このクラスでは、来週の木曜にパーティをやることになっており、
僕もそこに行くことになった。
ポーランドでの時間も残り少なくなったが、
だんだん名残惜しくなっていきそうである。








日本史を教える

2006-06-08 03:05:46 | ポーランド
こっちの高校に来て以来、何度か歴史の授業に参加させてもらっている。
僕が発表することもあれば、講義を聞いてるだけのこともあるのだが、
言葉はわからなくても、世界史ならなんとなく何をやっているかわかるので
それなりに楽しめる。
実はポーランドの高校の歴史教科書は、分厚い日本語訳が出版されていて、
(物好きな人がいるものだと思うが笑)
僕はこちらに来る前にざっと目を通してみた。
詳しく読んだわけではないものの、気づいたのはほとんどがヨーロッパと
アメリカの歴史のみで、アジアとかその他の地域についてはほとんど触れられて
いないということだ。
ポーランドでは日本のように自国の歴史と世界史とにわかれていないので、
基本的にポーランドの歴史とそれに関連する周辺の世界の歴史
というかんじの書かれかただったように思う。
実際、こちらの歴史の授業に参加して、生徒にアジアの歴史について
何を知っているか尋ねても、みんな驚くほど何も知らない。

ということで、僕は自分のプレゼンテーションを通じて、
なるべく日本とアジアの歴史の輪郭を知ってもらおうと考えた。
そして第一回では、「サムライが消えたのはなぜか」と題し、
明治維新から日本が西欧化を進めて近代化に成功し、
その後植民地主義に走って敗戦を迎えるまでの近代史をざっと説明した。
このテーマだと、日本は西欧の進出に脅かされる存在でもあり、
その後西欧諸国のまねをしてアジアに侵略していく存在でもあるので、
西欧とはちょっと違う視点から世界史が見られて面白いのではないかと
思ったわけだ。
サムライとかカミカゼとかいう言葉が浸透していることもあり
これは各クラスで結構受けがよかった。(カミカゼはカクテルの名前になっている)
映画ラストサムライを見ていた人が多かったことも、大きな助けになった。
そして、ポーランドが隣国ロシアやドイツと歴史問題を抱えているということも、
東アジアの歴史問題を身近なものとして考えられる要因だっただろう。

そして今日は第二回だったので、ちょっと時代を変えて源平の合戦をやってみた。
題は、「サムライの時代はいかにして始まったか」とした。
話を単純化するために、登場人物は平氏側は清盛のみで、
源氏も義朝、頼朝、義経に絞り、
さらにインターネットから彼らの肖像画をダウンロードして印刷しておいた。
そして第一幕は、平治の乱で源氏が敗れてから壇の浦で勝利を果たすまで、
第二幕は、頼朝の義経征討、そして「義経はチンギスハンになった伝説」
までである。
ただ残念ながら、さすがに話が日本ローカルすぎるため、
第一回に比べると途中で飽きてくる生徒が多かったのが現状であった。
そもそもチンギスハンすら知らない人もいる中で、
この話は彼らからするとあまりに遠い世界の話だったのだと思う。
ただし、物語としてはそれなりに楽しんでくれた人もいたようで、
事実を覚えるだけの歴史の授業に比べてずっと面白いという声がいくつか
あったのは嬉しかった。

やはりプレゼンテーションというのは、聞いている側をいかに話に
巻き込んでいけるかが勝負である。
そういう意味で、第一回の話は、西欧世界の拡大と植民地主義という
ポーランドにも関係のある話だっただけに、両国の歴史をつないで
話を進めることができたのだが、
今回は、やや一方的な物語りになってしまったのが難点だったと思う。


さて、今週末は金曜から日曜まで、ポーランド南部の町ヴロツワフに行ってきます。
その後、来週は月曜から水曜にかけて高校のクラス旅行に参加するため、
しばらく更新が滞る可能性がありますがご心配なく。
みなさんも元気でお過ごしください。




ビドゴシチの日常

2006-06-07 02:17:31 | ポーランド
このブログは、日記調ではなくトピックごとにコラムのような感じで
書くことにしているので、なかなか僕の生活が見えにくいかもしれません。
だいたい僕は、早いときは朝7時前に起きて、バスで学校へ行き、
8時から授業に参加しています。
最近はそこまでやることもないので、9時か10時くらいから行くことも
多くなっていますが、朝はだいたいそんな感じで、午前の授業は12時か1時くらいで
終わり、その後ぶらぶらして、3時半から4時半まで日本語の授業をやっています。
日本語クラスは2クラスあって、はじめはあわせて50人以上いたのですが、
今ではだいぶ減って、合わせて20人強になっています。
それでもみんな、ひらがなはほぼマスターしつつあるので上出来と言えるでしょう。

授業が終わってからは、友達と飲みに行ったりすることもありますが、
何もないときはそのまま家に帰ります。
家に帰ると、例によってヘレンがものすごい勢いで僕に話しかけてきて、
まあ90パーセントはわからないのですが、なんとなく会話らしきもの?をした後、
インターネットカフェに行ったり、食事を作ったり、本を読んだりしてすごす
わけです。
酒を飲む回数は、このブログで「飲みすぎ注意」という記事を書いた後は、
なるべく減らすようにしております笑。

週末は、アイセックの人たちと遊びに行ったり、あるいは別のイベントがあれば
そちらに行ったりします。
こないだの日曜は、例の日本語のうまいマルティンさんとドライブに行った後、
夜は僕の行っている高校の生徒たちのパーティに招かれたので
そこに行きました。
高校生とは言え、18才くらいでそれほど年の差も感じないので、
楽しくすごせます。

、、という感じの毎日です。
そういえば「ダ・ヴィンチ・コード」という映画は日本でもかなり流行ってる
みたいですね。
僕も先月の末にこっちで見に行ったのですが、
字幕は当然ポーランド語で、英語がなかなか理解できず、
しかもところどころフランス語がかなり混じってきて、
かなり萎えました。
外国でわざわざ映画館に行って、内容が理解できないというのは、
かなりの挫折感があります。
まあ英語は勉強するしかないですが、
この映画に関しては、日本帰ったらツタヤでレンタルして見ようと思ってます。

僕のビドゴシチ滞在もあと3週間ほどになりました。
その後、7月は1ヶ月暇なので、何をするか考えているところです。
まあ選択しはあまりないのですが。。
というわけで、今後もしばらくはこのブログを更新していこうと思います。
ではでは。。


写真:ビドゴシチの路地と教会

ポーランドの食事

2006-06-05 21:17:47 | ポーランド
今日は食事について書こうと思うが、
はじめに言っておくと僕はいまいちこのネタについては自信がない。
ポーランドに住みはじめて1ヶ月になるが、
まだ知らないポーランド料理はたくさんあるし、
ポーランド人の食生活について知らないこともたくさんあると思う。
それでもとりあえず、今の段階での感想を書いておこうと思う。

ポーランド人は日本人と同じように一日に主に3回食事を取るが、
その食事のサイクルはかなり日本とは違ったものである。
まず朝起きて、7時くらいに朝食。だいたいパンとチーズとハムというかんじらしい。
それからしばらくは食事を採らず、ちょこちょこサンドイッチをつまんだりして
過ごし、午後3時にディナーとなる。
この食事が一日のメインで、スープを中心にジャガイモやらパンやらを食べる。
そして夕方7時あたりに夕飯となるが、これはそれほど豪華なものではなく、
もう一度軽くパンと何かおかずを少し食べる程度のようだ。
このような食事のサイクルだから、学校では日本のように昼ご飯の時間というのは
無く、休み時間にサンドイッチを食べたりする程度で、
生徒たちは家に帰ってから家族と食事をするようである。
習慣というのは恐ろしいもので、僕など時計の針が12時を指しているのを
見るだけでお腹が空いている気がしてくるので、
ポーランド人と一日すごしていて一番落着かないのはこのお昼の時間帯
ということになる。

また外食について言うと、レストランでの食事は、概して値段が安くて、
量も多いため、かなり満足できる。
食堂のようなところだと、スープとパンとポテトなどをめいっぱい食べても
300円くらいである。これはかなりやすい。
また日本だったら2000円近くしそうな巨大なピザが600円くらいで食べられ、
しかも食べきれない分は気軽に持ち帰れる。
これはかなり便利だ。
僕がビドゴシチに着いた最初の晩に、こっちの学生に連れていってもらったのは、
「マネキン」というポーランド料理店で、そこでナレシュニキというパンケーキ
を食べた。これはポーランドの名物料理らしく、大きなパンケーキの上に
いろいろなソースをかけて食べるもので、かなりおいしい。
そして量が多くて食べきれない。
僕はナレシュニキがかなり気に入って、新聞のインタビューでどの料理が気に入ったか
と聞かれたときも、真っ先にこれを挙げた。
だから僕の記事のタイトルは、
「ナレシュニキは味噌の代わりになる」というものだった。

ただし、ポーランド料理が日本食に代わりうるかと言われれば、
やはりノーと答えざるを得ない。
思うに、こっちの食事は日本に比べてバラエティに乏しいと思う。
まず野菜が少ない。
スープにはある程度野菜が入っているし、サラダもあるにはあるのだが、
日本のように野菜炒めにしたり、煮物にして食べるということがないので、
やはり食べている量は圧倒的に少ないと思う。
ときどき野菜をどんぶり一杯食べたいような衝動に襲われる。
それからこっちの人はサンドイッチを食べ過ぎである。
以前、週末にアイセックの人たちとキャンプ場のようなところに行ったときなど、
朝と夜はパンにちょっと肉を挟んだだけのサンドイッチのみで、
昼だけがスープとパンというちょっと豪華な食事だった。
これは日本食にたとえれば、朝と夜はコンビニのおにぎり、
昼だけちょっと豪華にラーメンと半チャーハンというような感じだろう。
米かパンかというのは選択の問題だとしても、食事の種類については
もっとこう、いろいろないの?と文句をつけたくなる。
だから僕は暇なときにはなるべく日本食を作って食べることにしている。

とは言え、実はポーランド料理でも気に入ったものがたくさんある。
ただ料理は文字情報だけで紹介しても面白くないと思うんで、
今回は割愛致します。

日本好き

2006-06-03 19:56:57 | ポーランド
昨日はトルン大学の日本語の授業にゲスト参加してきた。
講師をしているのは、ビドゴシチに住むマルティンさんという人だ。
大学に入ったときから日本語を始め、高知大学に一年間留学していた
ということで、実際かなり日本語がうまい。
こんな人がビドゴシチにいたとは驚きだ。
マルティンさんとは2週間ほど前に知り合った。
僕のインタビューがビドゴシチの新聞に載ったことは以前書いたが、
その記事を見て僕に連絡をくれたのである。

日本語クラスの生徒は5人だった。
まだ始めて半年ということで、ほとんど会話にはならない感じだったが、
授業が終わった後にみんなでビールを飲みにいき、
そこでは英語やらマルティンさんの通訳を介してやらで
いろいろと話をすることができた。
概してこっちで日本に興味を持っている人というのは、
サムライとか忍者とかそういう昔の日本文化か、
漫画やアニメといった現代のサブカルチャーに興味があるようである。
とにかく日本という国は、ポーランド人の目には「エキゾチック」と映るらしい。
マルティンさん自身も、平安時代の歴史に興味を持ったことがきっかけだと言い、
武術なんかにも興味があるようだ。
「滝に打たれたことがありますか」と聞かれたときは思わず吹き出してしまった。

日本語ができると、日系の企業で働けるというのも日本語学習の動機の
一つであるらしい。
最近ではシャープがポーランドに進出したと聞いた。
以前書いたように、ポーランドは経済状態が悪いため、
英語やドイツ語などの外国語を習得して、西ヨーロッパの国へ働きに出ようと
している人が多いが、そういう中で、日本語を使って仕事を見つけようとしている
人もわずかながらにいるということだろう。
マルティンさんも最近日本の企業で働き口を見つけ、
来月は通訳としてタイへ行くと言っていた。
もちろん日本語を身につけようとしている人たちは圧倒的少数派ではある。
ただ、マルティンさんによれば、中国語や朝鮮語を学ぶ人はほぼ皆無らしいので、
アジアの中では日本というのは魅力的に映る国なのかもしれない。


さて、余談ですが、
昨日ついに、我がビドゴシチからロンドンへ行く直行バスを発見しました。
ビドゴシチを昼の12時前に出て、ロンドンに着くのは翌日の12時。
たった24時間で、料金は1万円!
いやー、ヨーロッパは狭い!
これで飛行機のお世話にはならずに、8月上旬にイギリス上陸できそうです。


不便な話

2006-06-01 01:53:08 | ポーランド
現代の日本に生まれ育つと、蛇口をひねれば勢いよくお湯がでる、というのは
当たり前のことと思ってしまう。
しかし、お湯を出すというのは実はそれほど簡単なことではないらしいと
僕が初めて気づいたのは、高校2年の冬にベトナムを旅行したときのことだった。
安い宿に泊まると、シャワーが水しか出なかったり、
お湯が出ても水圧が安定しなかったりすることがよくあった。
そしてその後いろいろなところを旅行して、モスクワ留学中のおととしの年末に
カフカスのアルメニアとグルジアに行ったときは、真冬でも
基本的にお湯というものがまったく出ないことにずいぶん驚いた。
エレバンで一週間お世話になった家では、シャワーを浴びるときだけ
ガスをつけてお湯を出し、家族が一斉に交代で浴びていた。
グルジアとの国境付近の村ではそんな設備すらなく、
コンロで沸かしたお湯と水を混ぜて頭を洗っていた。
そんなカフカスで年を越し、年明けにモスクワに帰って熱いシャワーを浴びたときは
モスクワはなんて快適な町なんだろうと思ったものである。

ここビドゴシチではもちろんお湯は出るものの、水圧があまり強くないので、
シャワーとなると随分ショボショボとしか出ない。
おかげで風呂に入るときはいつも寒い。
そして今日は突然お湯が全く出なくなった。
お湯の栓をひねると、ボワッという音とともに赤い水が少し出て
あとは何も出てこない。
僕がお世話になっているアダムとヘレンにも原因は分からないようで、
事故だ事故だと言っている。
いつ復旧するのかもわからない。

突然止まると言えば、テレビもそうである。
テレビのチャンネルは20以上あり、CNNも入るので、
英語の勉強には重宝しているのだが、
見ていると突然バチンと切れて、あとは何も映らなくなる。
どうもアンテナの具合が悪いようだ。
先週末はローマ法王がポーランドに来たため、その様子を
ずっと生中継していたのだが、その途中でテレビが映らなくなり
アダムもヘレンもかなり残念がっていた。
そしてそういうときは彼らはたいてい映画を見てすごしている。

ポーランド全土でこういう状況なのかどうかはよくわからないが、
インフラの整備に関しては、この国はまだまだのようである。
道路の舗装状況もあまり良くなくてところによってはかなりガタガタしているし、
公衆電話も壊れているものが多い。
バスや路面電車も結構オンボロのが走っていて、
そういうのにポーランド人の友達と乗ると、たいてい彼らは
日本ではこういうのはないでしょう、と悔しそうに言う。
とはいえ、カフカスとか東南アジアとかを旅行してきた僕としては
そういうのはあまり気にならないのだが。

とりあえず僕としては、バスなんか古くていいから、お湯を出してほしい。
それからテレビもときどき消えてもいいから、キリのいいところで消してほしい。
あー、これはちょっと無理なお願いですね。。