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すきなもの ~気が向いたら追加

2010年07月05日 | 日記



●小説●

 異形コレクション アート偏愛 
井上 雅彦 (監修) 光文社文庫

  短編集です。

読書家のかたは、多分知っていると思います。

作者はアマチュアからプロまでさまざまです。

常連の作者もいらっしゃいます。

ハズレが少ないです。

表紙はホラー系ですが中身は傑作ぞろい。


「異形コレクション」の全シリーズを読んではいないのですが。

その中で好きなもの

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「死者の日」
  牧野修
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すこしだけネット検索をかけてみましたが、

ほとんどヒットしなかったので自分のPCを検索。

以下はわたしが、データ化した本編の最初(冒頭)の部分です。

(ルビなしバージョンは実家にあるようなので、よみづらかったらごめんなさい
そして、本書「アート偏愛」を読んでみて下さい)

人によって感じ方が違いますので、好きだ。ということだけいっておきます。

冒頭の部分だけですが、ホラー作品ではないことがわかります。

雰囲気のみ分かると思います。

あと、中盤から面白くなっていきます。




「死者の日」  牧野修

 諦めたことなら山ほどあった。
 秋だ。
 雑木林《ぞうきばやし》に枯れ葉が厚《あつ》く敷き詰められている。 くたびれたわたしの革靴《かわぐつ》がそれを踏《ふ》む。小鬼《こおに》の遺骨を踏《ふ》みしめるような音に、冷たい土の臭《にお》いが混ざる。誰かの墓の上を歩いている気分だ。
 枯《か》れ葉の間を、尾の切れたトカゲがあたふたと逃げていった。
 痩《や》せた枝の隙間《すきま》から黄《き》ばんだ太陽が精一杯《せいいっぱい》の陽光《ようこう》を投げかけている。 夏の日の暴力的だった陽射《ひざ》しは、病み衰《おとろ》えて弱々しい。
 まるで夢で見ている真昼だ。 現実世界の固く閉じた瞼《まぶた》の外では、闇がみしりとわたしを包み込んでいるに違いない。
 そんな日に、わたしは病院へと向かっているのだ。
 死と会うために。
 駅からかなりの距離がある上にここまではずっとだらだらした坂が続いた。老《お》いた身にはかなり辛《つら》い。膝《ひざ》が痛み踵《かかと》が疼《うず》き腿《もも》が張り、何度となく立ち止まり空を見る。晴天の空に雲が流れる。澄んだ空も白い雲も清々しいはずなのに、やたら不安を煽《あお》られるだけだ。小舟に乗せられ、どこか見知らぬ果てにまで流されているような不安と恐れ。
 還暦《かんれき》も過ぎた男が、林の中を怯《おび》えながら歩いている。
 歩こう。
 立ち止まれば二度と歩き出せない気がする。
 息が荒くなった。息苦しい。吸っても吸っても空気が入ってこない。高地《こうち》にでもいるようだ。
 落ち着こうとする。落ち着け落ち着けと自《みずか》らに言い聞かす。が、少しも落ち着くことなく、落ち着けないことで動揺《どうよう》したのか、心臓がよけいに激しく脈《みゃく》打ちだした。
 それでも、心臓が止まる前には林を抜けることが出来たようだ。
 唐突《とうとつ》に視界が開けた。
 樹木《じゅもく》どころか草一本生えていない砂地《すなち》に、その病院はあった。何かの呪《のろ》いであるとか、昔ここに危険な産業廃棄物《さんぎょうはいきぶつ》が埋められたからだとか、噂《うわさ》だけはたくさん聞いていた。真実は知らない。とにかくその建物の周囲だけ、不毛《ふもう》というタイトルで描かれた絵のように草一本生えていない。知っていなければ三階建てのその建造物《けんぞうぶつ》が病院だとはわからないだろう。何教《なにきょう》とも知れぬ異国《いこく》の寺院のようだ。それが幡羅《はたら》神経科《しんけいか》病院だ。幡羅浩三朗《はたらこうざぶろう》によって昭和十一年に建てられた。
 三十年近く前、わたしはこの病院に通っていた。正確にはこの病院の中にあるアトリエに。
      *********
 よほど水捌《みずは》けが悪いのか昨夜《さくや》の雨がまだ残っている中庭を、わたしは歩いていた。たちまち靴が泥だらけだ。何も好《この》んでこんなことをしているわけではない。彼女が庭に出たいと言ったから、こうして一緒に歩いているのだ。
 彼女は珍《めずら》しく楽しそうだ。
 何が面白いのか爪先《つまさき》で泥に軌跡《きせき》を描《えが》きながらにこにこ笑っている。十七歳の少女にしてはかなり幼《おさな》い。幼すぎる。
 「金魚金魚」
 彼女は言った。
 何が、と聞き返すと、
 「赤い金魚、金魚が泳いでるぞ」
 「靴だ」
 わたしが言う。泥にまみれた彼女の赤い靴《くつ》を指差《ゆびさ》して。
 「そうだろう? 金魚は君の靴《くつ》のことだ」
 「靴靴くっつく!」
 いきなり、ぎゅっとわたしの靴《くつ》を踏《ふ》んだ。
 思わず乱暴に彼女の足を退《しりぞ》ける。
 小さな悲鳴《ひめい》を上げて彼女が転《ころ》げた。
 教科書に載《の》せられていてもおかしくない見事な「尻餅《しりもち》」をつく。泥水《どろみず》が跳《は》ね上がり、わたしのズボンに汚《きたな》らしい斑点《はんてん》を作った。
 一瞬《いっしゅん》きょとんとしてから、彼女は身悶《みもだ》えして泣き出した。幼女《ようじょ》のように手放《てばな》しの号泣《ごうきゅう》。
 わたしは溜息《ためいき》をついた。ここに来た当初《とうしょ》なら、慌《あわ》てて彼女の機嫌《きげん》を取ったかもしれない。だがいい加減《かげん》わたしは彼女の奇矯《ききょう》な行動にうんざりしていたのだ。それでなくともわたしは十代の初めから美術関係者、いわゆる 「芸術家」 たちの相手をずっとしてきて、この手の人種《じんしゅ》には飽き飽きしていたのだ。人と異《こと》なったことをするために命を懸《か》ける目立ちたがり。個性的であることと非常識《ひじょうしき》をはき違《ちが》えたアンチモラリスト。会う人会う人、皆《みな》変人《へんじん》ばかりだった。彼女のように奇矯《ききょう》な行動をとる少女などというものは、一山《ひとやま》いくらの存在だった。彼女が本当の病者《びょうしゃ》でなければ、一時間と保《たも》たずに帰っていたかもしれない。いくらわたしが彼女の作品に惚《ほ》れ込《こ》んでいたといっても。



次回は「恐怖症」

これもたのしめます。

検索5分ほどかけたのにろくに見つからなかった・・・。しばらく記入無。




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