■野口英世の博士論文を見た
科学・温故知新
日本医学の巨人といわれる野口英世は京都と意外な縁があります。それは博士号です。彼は日本の博士号を2つ得ていますが、1911年最初に得た医学博士号は京都大学(当時は京都帝国大学)からのものです。もうひとつは東京大学(同じく東京帝国大学)からの理学博士(1914年授与)です。京都大学附属図書館で野口英世の博士論文の実物が見られると聞き、早速見に行きました。下の写真は、その博士論文冒頭のコピーです。
京都大学附属図書館
京大・吉田キャンパスにある京大附属図書館で利用できるのは一般の図書・雑誌ばかりではありません。その貴重書庫には漢籍や日本古典、古地図、洋古書などいろいろ珍しいものが一杯詰まっています(手続きを経ないと閲覧は許されません)。その中に博士学位論文のコレクションがあります。旧制以来、京都大学のすべての博士学位論文を調べられるデータベースもあります(京都大学電子図書館)。「野口英世」で引いてみました。1件ありました。1911年2月21日に授与された「Uber eine lipolytische Form der Hamolyse.」という題名だといいます。う、ドイツ語だ……
京都大学附属図書館
図書館の特殊資料掛の方にお願いし、正式に閲覧申請をしました。指定された日に図書館を訪ね、貴重書閲覧室にいくと、小さな本が8冊出ていました。「これが博士論文なんですよ」。残念ながら、写真の撮影はできませんでした。
赤い表紙で製本された6冊は、1902年から1907年までの英語の論文が年別に綴じられています。表紙には「Original Works By Hideyo Noguchi M.D」とあります。青い表紙の1冊はフランス語、緑の表紙の1冊はドイツ語。全部で33編の論文が出されていたのです。データベースでのタイトルは、ドイツ語の冊子の最初の論文でした。野口英世は米国を主に活躍したのですから、英語論文が大部分なのは当然。フランス語のものはデンマーク・コペンハーゲンに留学していたときのものです。ドイツ語のものはいくつかの論文を独訳したものだそうです。
1907年7月の野口の手紙によると、ペンシルバニア大学から名誉学位を得たことから「日本の医学博士の学位でも請求したい」と思い立ちました。その次の年、日本在住時から世話になっていた血脇守之助(東京歯科大学の創立者で、日本での近代歯科医療の創始者)を通じて、野口はそれまでに書いていた論文を博士論文請求のために送りました。ほとんどは野口が米国で最初に取り組んだ蛇毒の研究に関する論文でした。蛇毒は、赤血球を溶かすという作用が免疫作用によく似ていたため、当時だんだん研究が盛んになっていたのです。
1900年12月29日。野口はいきなり一回しかあったことのないペンシルバニア大学の基礎医学者サイモン・フレクスナー教授のところに押しかけました。いきなり「助手にしろ」というのですが、フレクスナーもなんの業績もない男にそんな選択はできない。そこで、当時興味を持っていた蛇毒について調べてみろ、と野口に命じました。一種の就職試験だったのでしょう。三ヶ月の出張を終えたフレクスナーの前に250ページのレポートが置かれました。図書館などで蛇とその毒に関する文献を読み尽くして仕上げたものでした。これが、その後30年近く続く二人の関係の始まりだったのです。
蛇毒のレポートはその後の研究につながります。冒頭に掲げた論文は、1902年に、当時、米国のジョンズホプキンス大学が発行していた「実験医学雑誌」(The Journal of Experimental Medicine、その後、野口のいたロックフェラー研究所に出版権が移っています)に、フレクスナーと共に書いた「蛇毒-血球溶解作用、細菌溶解作用と毒性に関連して」という25ページの論文で、野口の処女論文ともいえるものです。目次のすぐ後には、当時の米国での蛇毒の権威、S.W.ミッチェルが「(自分の提案を出発点として)以下の非常に満足すべき研究がフレクスナー教授とドクター野口によって行われました」とほめた言葉が掲載されています。今の目で見れば、論文で扱っている実験は素朴なものかもしれませんが、当時からすれば、日本から米国になんのつてもなくやってきた教育も十分とはいえない男の仕事とすれば最上級のものだったのでしょう。
その他、博士論文請求のために出された30編以上の論文が日本でどのように読まれたのかは、よくわかりません。野口をよく知る奥村鶴吉さん編集の伝記には(そこでは93編の論文が出されたとあります)、4つの論文が選ばれたとありますが、博士号を受けた人の記録である「博士録」によると、冒頭の論文のタイトルが授与内容となっていました。おそらく、血脇を始めとする野口の支持者たちが走り回ったことでしょう。
論文の中で一つ、変なものが入っていました。論文というよりは、医学ニュースのようなものです。ドイツのF.R.シャウディンとH.ホフマンが梅毒の病原体を見つけたという報告を解説したものです。この後、野口は、研究の方向を蛇毒と免疫から梅毒などの病原体に変更し、それが後の黄熱病などの研究につながっていきます。「蛇毒の研究では飽き足りない、もっと日の当たる面白いテーマを……」。野口がそう思ったかどうかは定かではありませんが、この「医学ニュース」が博士論文中に混じっているというのは、そんな野口の意思を感じさせますね。
京都大学は、博士論文のほかにも野口英世と意外なつながりがあります。その後、何回か野口はノーベル医学生理学賞に推薦されているのですが、外国勢に並んで京大の一人の教授が推薦していることがわかっています。ほかに、何か野口の足跡が京都にないか、ちょっと調べてみたく思っています。
筆者から
内村 直之(うちむら・なおゆき)
81年、朝日新聞社入社。東京、大阪
のほか、福井、浦和、福岡の勤務経験
あり。06年暮れ、京都での科学記者
生活を開始。物理専攻で生物、
数学などにも興味を持つ理系ですが、
ミステリ、SF、世界文学なども大好き。
著書に「われら以外の人類」(朝日選書)など。
京都は、ノーベル賞学者を続々と生み出している不思議な街。その「理系」の秘密を、路地をてくてく歩きまわりながら探ります。京都の人、京都という場所、京都の歴史、そして京都の科学……記者としての興味は尽きません。