ニューコスモセンター

青森でコスモスというバンドで歌ったり詩書いてる人の痛々しい日々の挙動

北枕ツアー無事終了

2010-06-17 17:28:16 | 日々の生活
北枕無事終了しました。

出演者、スタッフ、お客様ありがとうございました。
初日2日目は客入りがなんともビクビクでしたが
最終日なかなかガッツリお客さん入って頂き、面白く怖い出来事が
日常の内部に根付いているんだぞといくらかはアピールできたのではと
思っております。

こちら暗黒紙芝居堀内氏が撮影した写真です。
青森
www.tastyhand.net/photo/kita2010/a1.html
弘前
www.tastyhand.net/photo/kita2010/h1.html

すごく切れた良い写真です。雰囲気が光が闇が
アンバランスな精神世界のバランスが保たれている不思議な風合いの写真。
あまり今回音楽ガッツリだったので、イベント自体の絵図ら的にはそんなに
面白いネタが少ないんだけど、まあそれも含めて今回の北枕の質感を感じて
みて頂けたら。

俺が言っちゃ駄目かも知れないけれど自分の表現とか
もっとヘタでもっと悪趣味にしていきたいなと思ったイベントでした。

今回はプリンターのインクもなく、手書きの進行表を一枚二枚書き
それを口で説明し、携帯も受信のみで、用件をこちらから発信出来なかったり
体力的にも精神的にも、年齢のせいにしたくなるほど、
自分をうまく操縦できなかったりしたりと、大丈夫では無いことが沢山あったのだが
なんとかスタッフの皆さんの力により、形になった。形になったどころか
非常にしっかりとした、良い内容作り出せた。
北枕に係わった全ての人達に、お礼を言いたい。本当にありがとうございました。

内容などで今回気づいたことは、骨子さえしっかりした物であるならば
肉付けはどんなんでも良いという結構、前から思っていた事を実感として持てた事。
肉付けは無くても良いという事ではなくて、もっとアバンギャルドに、おかしけんた事しても
問題なしだと思った。

しかし今回は振り返ってもあまり細かい内容を思い出せない。
というか書きにくい。多分音の良さでカッコイイ感じなどは、言葉で
説明しづらいのだ。
それと叙事的な説明になる感じで、きっとギリギリまで脚本できなかったので
理想の脚本をなぞりたがって散る感じ。
まあなんとか。

2010/5/21(金) 北枕初日、弘前オレンジカウンティー

チクチク準備、ステージ全体を白い紙で覆う。
アンプもマイクも全てニセクリムトのイメージまでに覆いたかのだ。
あくまでも私の主観で多少美し目に書いてるかも知れないけれど
終わって三日たった今の記憶便りなので、実際来て頂いたお客様
そんな上手くいって無かったですから。という方がいましたらすいません。

それは北枕2010トリロジー初日。
白いステージは睾丸の内部であり、私達表現者は精子の過度な振動のようなものであるのだ。
それは、生命の飢えるのようなものでもあり、
北枕というイベントが内包する未来への指針を示すための比喩でもあるのだ。

会場暗くなり、小山内氏の三味線が鳴る。凝固した白い壁面から解放される
弦の振動、それは濃淡の希薄な空間に羽を広げ、観客の脳に展翅されていく。

ふと暗闇の花道にから姿をさらす和服の美しい女。ステージ後方白壁へ向かい立ちつくす。
筆を握り、時間から抜け出し、何か得体の知れない光との契約を交わしているかのような間があり
時が来、墨を白壁へ乗せ、紙が染みる。墨の匂いと三味線が、ステージを異質な空間へと拡張する。

五枚の紙を貼った枠組みに、文字は美しく艶やかに遊泳し、最後中央に「北枕」と記される。
光り出す。

ネクスト、コスモス千葉、花道から木の棒をくるんだ布を担いでゆっくりと登場する。

ステージ中央に持ってきた布を上部のフックに引っかけ、幕を下ろす。

そこに、堀内氏の悪夢のシュールレアリズムな映像が坦々と人の日常を逆撫でする。
喪服を着て笑顔の千葉が、ステージ上から首つりロープを下げる。
笑顔で何かを話しながら、ロープの輪っかに首を入れ椅子から脚をコミカルに外す。
自殺は失敗に終わりステージ上で無様に横たわる。

花道へ中央へ向かい、ココナッツミルクの缶を開ける。缶切りがなかなか見付からなく焦る。
それを土鍋に流し入れ、カボチャとグラニュー糖をされに入れる。
カセットコンロに火を入れ、少しかき混ぜてニヤニヤしステージへ戻る。

映像は、流れ続ける。千葉は映像の横に椅子を置き、集中力無く鑑賞し、言葉での
侵入を試みる。
「世界に現れるUFOのデザインは君のブローチのデザインの為だけに現れる。」
という詩を朗読する。

朗読終わり、ギターを手にして「絶望」という曲を1曲だけ歌う。
新曲歌詞、いつもなら使わないべたな言葉をふんだんに使用した自殺する歌。

絶望

ah 夢のような発着場で君が待ってる
どこに行けば良いんだろう
どこにそれはあるんだろう

ah 柔らかすぎる光が僕を包み込んでる
辛い思い出はもう
空に蒸発して消えてった

あ サヨナラさ美しい君と二人でなら
どこまでだって行ける 
どこまでだって行ける

あ 殺し合いや壊し合いなど無い世界まで
二人で逃げ帰ろう
心などここに置いていこう

草原が僕を触る 欲情でエレクトする
太陽をもてあます 3D映画みたいで吐き気がする

イエイエイエイエイエ・・・

という歌を歌っている途中、花道中央の鍋が噴きこぼれるて
沸騰しまくっていた。

ので私は焦って、演奏をやめ、先に火を止めに花道へ向かう。
先鋭した空気のままそれを触り、
フタを取ると立ちこめるココナッツミルクの匂い。

指はミルクと砂糖の汁でべとべとに。

そのまま花道に戻って、残りの歌を10秒ぐらい歌い、終える。

スクリーンを外す。そしてスクリーンを持っている私が観客に顔を向けて3秒後
一瞬私が顔を隠すと、スクリーンを持っている人間がふきたに変わっている。

というチープな入れ替わりマジックで、場内の弛緩していない空気が更に
弛緩していない空気へと変貌。していると思う。

まあそのままふきた氏の演奏が始まるのであるが、私は切っ掛けを見失い
ステージ下手のギターアンプ後にひたすら、ホモがバックからお願いしているような
体勢でひたすら待つ。が2曲目始まり3曲目も出るタイミング失ってしまったので
結局、堂々と立ちあがり、堂々と花道から帰った。

ふきた氏。ピラミッドを作り上げる巨大な石材運ぶ丸太を
一人で力強く、静謐に運搬するひとくくりが、得体の知れない
重狂おしい呪術のように成形されていて、神経質な暴発を孕んだ
北枕の背骨の一部分を確実に組み上げるような雰囲気。

途中、小山内氏の三味線と絡む曲、にMONKの音色が
ここぞと入り込み素晴らしい化学反応起こしてウットリとする。

ふきた氏終わり際に、ステージ前方に幕が張られ、SMショーの映像
赤いフンドシの花田氏が登場し、確実にはみ出すアレが欲望の根源として
ステージに張り付く。花田氏は緊縛され、投射される映像が肉体を照らす。

寛さんがその間、ステージ後方(映像が映っている幕の裏側)へ行き
セッティングするのであるが、花道を踏み外してしまい、ギター持ったまま
思いっきり客席側へ転び倒れてしまう。

私は背筋が冷たくなり、一瞬恐怖が頭を過ぎる。

なんとか寛さんはすぐに立ち上がりステージ後方へ行けたのであるが
私はすぐに行き、寛さんの怪我無いか確認し、足下照らす人やギター折れてないかや
色々パニックに話し謝り、様々な事を確認する。

手首折れたりしていないかと、ビビリまくった。その後、寛さん歌っている間も
実は頭を打っていて、途中で脳内出血で倒れやしないかと、気が気じゃなかった。
完全に私のミスであった。本当に申し訳ないことをしてしまった。

初日で寛さんが死んでしまって、ある意味「北枕」に寝かしつける
演出になってしまったら、笑えないだろう。

イベント終了後、軽く打ち上げし、青森へ帰る。
その後コスモスで打ち合わせ。
まだまだ先は長い。

2010/5/22(土) 北枕2日目青森アトム。

2日目のテーマはライブコンサートという狙いもあり
演出は少なめな感じにする方向で。


準備がなかなかうなくできなくて、焦る。
お客さん入ってから、プロジェクターのセット確認してしまった所
前方から投射するのはお客さん映りこんでしまい無理だと言うことが分かり、
急きょ、ステージ側から投射することになるが会場まだ明るく
窓枠の光、しっかり試せず本番一発勝負になってしまう。反省。

スタート場内暗め映像で、今日の会場アトムのマスターにバイオリンを奏でて頂く。
奴隷の歌(のはず)とアイリッシュな音色のもの2曲。
生のバイオリン凄くそそる音で心地よかったです。

時折、人間の悲鳴のようにも聴こえる音が空間を支配して
それだけで凄く詩的な風合いを醸し出していた。

生のバイオリンの音が非常に肉質感が良く、耳障りが音楽の持つ
抒情的な風合いがフィルター無しで、脳に直接響くような感じ。
そしてマスターが「北枕ツアーへようこそ」と言ってスタート。

東京から来て頂いた。元キチガイハゲのドラマーハクツル氏と
ふきたさんの演奏。今回アトム順番ふきた氏コスモス寛さん。
これが激素晴らしく。今まで見てきた北枕ふきた氏演奏の中でも
1、2を争う素晴らしさ。ハクツル氏とは打ち合わせのみで
本番に挑んでいると思われるのでそれも凄い。というかその練習の
しなさも、新しい解釈の何かが演奏内に産まれ出でやすくなる
方法論の一つとしてあるのではないかと、勘ぐる。
ハードルあがりまくりでビビル。

ネクストコスモス

1曲目三部作は、幕の後でコスモスがセッティングをしていて
お客側で千葉が一人詩の朗読を奏でる。

前を陣取る巨体のお客様二人がちょっと怖かったので、あえて
対峙して雰囲気や距離感を読み取りたかった。

結構やさしいセットリストだったのだが、もっと痛い曲目選べば良かったかと思った。

んでも、所々やばかったが、全然上手くいき、音楽ガッツリ感で押し通せた。
気がする。しかし、疲労で肉体が覚束ず、さり気なく一曲飛ばした。
新曲言葉数少ない曲なので、歌下手なのごまかしづらかったので、
ちゃんと練習しないと駄目だ。

新曲

「ドゥーディンバーディ」

眩しい希望は残酷だそれは絶望の全てを語っているから
空を赤く染める夕日は東京ドーム何倍分の金魚なんだろうか

宇宙の果ては白い壁さ、ピンで留めた
色紙でできた八輪の名も無き花さ

ドゥーディンバーディ
ドゥーディディンバーディー

新曲何となく評判良かった。まあ新曲。
歌がまだちゃんと歌えて無くて駄目だった。
あと歌詞の最後の節、(宇宙の果て・・花さ)もしかしたら昔読んだ何かの詩を
パクっているような気がして後ろ髪引かれるので、いっそのこと
後半前直しするかと思う。

ネクスト寛さん。

またしても舞台に手動スクリーンが張られ、映像が流れる。

しかしこの映像、ほとんどお客さん側からは見えず、非常に申し訳ない気持ちに。
それよりも映像提供してくれた作家の堀内氏に申し訳なかった。。

寛さんの歌はもう大分聴かせて頂いているのであるが、今回特に
素晴らしかった。なんか意味の自分内部での構築の所作が分かるのだ。
食べやすくなったような。とにかくメチャクチャ良かった。
としか言いようがない。

打ち上げ時、寛さんが私のことを「コスモス」と呼ぶので、もしかと思っていたのだが
案の定どうしても私の名前を呼ばなくてはならなくなった時、寛さんに「坂本!」と
呼ばれ、ガクっとなった。

寛さん話が凄く面白い。中嶋らもさんのMCの話とか、いや全部面白い
エスキモーは雪の色を10万色見分けることができる。津軽には
7つの雪が降るなんてなんだそんなの云々や
ふきたとコスモスはイギリスだ。
とか青森にいる人間は西から流れて逃げてきた人間だ。それが津軽の強みだとか
言葉を獲得することで語彙が狭まる、
学の無い人間のほうが言葉に変換できないアナログな感受性を所持している。
加藤(秋葉原)は人間性を削って、番号が合っちゃったんだな。
出稼ぎに行ったオヤジが、半年ぶりに青森に帰ってきたら、妻が化粧してきれいにしていた
それをみたオヤジが妻が浮気していると思って殺した事件。血は時間がたつとゴムのように
固く弾力を持つんだってな。その妻はオヤジ帰ってくるから化粧してきれいな姿にして出迎えたかったのに
オヤジは殺してしまったんだ。この事実は歌になかなかできないんだな。
とかなんか私も酔っぱらっててうろ覚えなんだけど、なんかそんな感じ。
ちょっと微妙な内容違うかもしれないけど、うろ覚え。

私はまだまだだ。

22010/5/23(日)北枕弘前DENEGA

朝、ネガティブな気分で起きる。

前日四時まで、今日の進行表の脚本的なものを書いていたのだが
プリンターのインクが無く、印刷してコピーして渡すという事が出来ないのだ。

それを誰かに伝えたくとも、携帯はこちらから掛けることが出来ない状態であり
金も、カミさんが町内を回って集金した町会費しかなかったのだ。
それは使っては行けない金なのだ。
それでも心を無にして、会費から金を盗み財布に入れた。

支払いの日までに返せば、グレイゾーンさと薄く思いながら。
まるでキャベツ一個盗むのに涙は要らないリアル状態だ。

声が出ず、肉体の疲労もピーク。
林氏が家に来て起こして頂くが、全くやる気が出ず。
後ろ向きな呟きを林氏にぶつける。

DENEGA11時に到着し、様々な準備に追われる。

しかしここDENEGAはスタッフさんが多くいて、私は
段取りだけ気にしていれば良い感じで、思ったよりも
大変では無かった。はず。

しかしやはり、イベント全体の進行加減が7割ほどしか
決定していず、残りを埋めるために、なるべく楽な方に
流れようとする私。それでも結局面倒くさいけれども
それを実践すると凄いだろうきっとという流れに押し戻され、そうする。

それを大道具林氏にたんたんと伝える。
彼は言葉少なに黙々と作業をこなしていく。
寛さん登場シーンも初日とは違い、リハーサルをし
足下照らす人とかもちゃんと決められて、人手の大切さを実感。

お客さん、なかなか入り心地よい緊張感。
本番。

暗闇にMONKの音。

花道から現れる千葉。スクリーンを巻いて持っている。
ダラダラと無軌道にステージまであがる。

スクリーン開く。堀内氏の映像・・がなかなか映らず。
プロジェクターの設置箇所花道を見ると、明らかに電源が入っていない。

私は全く焦らずに、MONKの音に身をゆだねながら花道を引き返し
プロジェクターの電源を入れる。んでも暗くて上手くいかず、
確かスタッフのヨーコニーに丸投げした。

その後何とか映像現れ、素晴らしい空間。
暗闇に堀内氏の映像映し出され、私はその前や
それ以外の客席やらを、挙動不審に彷徨く。

その後千葉、詩の朗読をして、ハンディマイクを手に取り
お客さんに、今日はどこからお越しになりましたか。などの
ミスマッチ客いじりを笑顔でする異次元。

ステージへ戻り、お客にアジテーション私、
99年間、お前らを閉じこめた云々の口上を述べ
さあ出港です北枕ツアーの始まりですを告げる。

幕がたたまれると、ステージには書家の美しい水景氏が着物姿で
立ちつくしている。花道を歩き、花道と観客席の奥の壁に、掲げられた巨大な
紙張りスクエアに「北枕」の文字を入れる。
ステージ上でコスモスの演奏がの頭が重なり、重苦しい雰囲気を醸す。
水景氏帰り際にステージ後方に固定された障子5枚分の紙の真ん中に
「在」と記し捌ける。

コスモス演奏。しかし途中の曲で星のオルフェウス歌い出すとき
私完全にコード間違える。もう一度やり直したのだが、それでも
また間違える。頭が真っ白になり、歌詞もあやふや。
もうどうしようもなくなりそのまま無理矢理疾走。
声もガッツリ枯れていて、叫ぶ曲いきたい場所までギリギリな感じで
技術的(自分の)にはうーんな局面が幾つかあったのだが、しかし
やってて気持ちよかったので良しとする。記憶上は。

新曲、イマワノさんに捧げる私の10代のバンドメモリーの曲。
そう言うテーマの曲なのでアレンジも曲調も、80年~90年辺りの
私の世代的なちょっと時代遅れな雰囲気。でもそれで良い曲。

ホライゾンムーブバードロード

世界が君を殺した気になって笑ってるぜ
世界が狂った夜だけの塊に見えるだろう
アスファルトは潰れたフルーツだらけで
息を吸い込みウットリして咳き込む

悲しみの朝が来る悲鳴を引き留めて
許しを請わなければ
君と話すだけの事さえ皮膚に触れて
世界を測らなくては苦しい

帰らぬ人の場所は逆光で満ちあふれてる命を信じる
影絵の世界で私は完全な私の輪郭をかたどられ
見上げて叫ぶ日々は完全に風車を折る欲望の豚の様なんですわ
焼けただれた皮膚が祝福で潤うショー

ホライゾンムーブバード

何でもハレーションを起こしていて
過剰に水の匂いで濡れる
快適に溺れている
アスファルトにはアイスクリームがいくつも落ちていて
幼稚な甘い匂いが世界を撹拌している

イマワノキョウシロウはセックスと愛を同時に歌い飛び跳ねていた
彼の声は時代と私を縫いつけていった
世界の美しさと美しく無さをリアルタイムで縫いつけていったのだ

1987年
焼き肉バイキングとアマチュアバンドショー

ホライゾンムーブバード

コスモス終わり際、花道からステージへと向けて巨大な紙を
を敷く。水景氏再び登場。
そこに書。ステージ側には全身タイツの白い男が立っている。
水景氏書き終わりに彼の身体にも黒いラインをくねらす。

全身タイツの男チャックを外し、裸の花田氏、花道を移ろい歩き
巨大な長い書を持つ。花道の奥、三段の足場高さ180×3の天井まで
書を持ちクライミングして掲げる。
足場の頂上から固定された書に、裏側から光が灯る。
「さくら散り 夢をみる」

途端
MONKの音圧から吹田氏のギター音クロスフェイド。

ふきた氏スタート。少しずつ演奏者が増えていき最後はバンドになる形。
前半、ステージ後の障子五枚分の壁を、スタッフが手動で前へ動かし
そこに俳句の幽玄氏が、一句書き込む。前水景氏が書き込んだ「在」の文字が
俳句に混ざり込む。
「影あればそこに在りけり雪涅槃」
雪涅槃とは春に溶けずに残った雪の事のようで
まさにダラダラと真実を求めて止まない北枕の表現者のようでもあり
死んでいない自分を自分が、看取る序章の肌触りがあって
その句の調弦の当たり前に存在するような強固さに見た、
ステージ全体が静かに脈打つ生命体へと変わりゆく様を。な感じだった。

全然紙やぶれず良かった。
後半
ふきた氏はギターを捨て、ボーカルとしてヤーヤードー歌う。
ふきたばんどワールド素晴らしすぎる。まるでギターが今まで
足かせであったのではないかという程の、ボーカリストとしての
彼の所作所存の説得力。

ふきたバンド終わり、ふきた氏花道突端へ向かいギターを奏でる。
すると一番初めに水景氏が記した「北枕」の文字に会場外側から
光が灯る。ふきた氏のギターが鳴る。

北枕の文字が破れ、中から寛さんが、胎盤を破り産まれいでたかのような
イメージで登場。三上寛スタート。

その後の寛さんのステージを見、とにかく開放感でサッパリしていた。
あとは寛さん聴いているだけで、ステージは終わるのだとサッパリパリサー。

打ち上げ、全員で酒を酌み交わしタバコを吸いまくった。
寛さんとやっとゆっくり話せて、色々なダメ出しと激励をいただき
今後の励みになった。寛さんの北枕に対する演出の考え方が私よりも
更にぶっ飛んでいて、そこまでしても良いんだと感嘆する。

ありがとうの声が何度も響きわたった。

弘前帰り、林氏とハクツルとで、青森のすきや屋へ立ち寄る。
私が頼んだキムチ牛丼、
店員が聞き間違えたのかで普通の牛丼がテーブルに乗って
疲労と明けなずむ外の空気が変なテンションを作り
私の間の悪さにみんなで笑った。

外の冷たい空気が朝焼けと混ざっていて
様々な事柄からの開放感の最後を嗅ぎ取った。
それは日々は終わっていないということだった。
そうして
明日があることを思い出し、舌をペロリンコした。