峠の茶屋バス停辺りから河内港へ向かって県道101号線を下って行くと、左側に岩戸観音へ登る橋(平山橋)があります。その橋の上から下流を眺めると10mばかり下流に川床の落ち込んだところがあり、そこが音に聞く「皷ケ瀧」です。平安時代から肥後の国の「歌枕」として全国的に知られた瀧なのですが、時移り、現代社会となってみれば道路等が発達して、往時の幽邃な趣は、すっかり失われ、今では普通クラスのちょっとした道ばたの瀧になっています。秘境にかかる瀧の印象は全くありません。
平山橋から下流を眺める
ついでなので「歌枕」になった経緯について少し述べておきます。
平安時代の歌人で、その晩年、肥後の白川のほとりに庵を結び、鼓ヶ滝から近い岩戸観音へ日参したと伝えられる檜垣の『檜垣嫗集』には、鼓ヶ滝を見て、として
- 「音にきくつゝみか瀧をうちみれは たゝ山川のなるにそ有ける」
の歌が載る。この歌を喧伝したのが、清少納言の父君で三十六歌仙の一人でもあった清原元輔です。元輔は自分の任地である肥後の国を気に入っていたらしく、あちこちの集にこの歌を紹介しています。また、ついでのついでながら、「能」を大成した世観弥が老女もの「檜垣」を書いて以降「檜垣」の名が知られるようになりました。(カンリニン)