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ただ日常をダラダラと‥

帰って来たドラゴン

てなスンポウで新宿武蔵野館で「帰って来たドラゴン」を50年ブリに劇場で観て参りました。(30年位前にビデヨでは観ましたが)



平日の昼間なので劇場は貸切状態か?と思われましたが、アタシと同年輩と思われるドラゴンぼんくら達でソコソコの入りでありました。
アンタ達も好きねェ!



1973年の暮れにブルース・リーの「燃えよドラゴン」が公開されるや否や、日本では空前絶後の「ドラゴンブーム」が起きて「燃えよドラゴン」に追いつけ!引っ付け!しがみ付け!とばかりに各映画会社は香港から空手映画(当時はそう呼ばれていた)を買い付けて来て、適当に「〜ドラゴン」と邦題を付けて公開してたのよ。
しかし、その殆どが画面にズーッと雨が降っている様な劣化したフィルムで、他流派の武術家同士でイイ歳コイて争う他愛も無いストーリーだったのよ。
そんな十把一絡げの中で異彩(良い意味で)を放っていたのが件の「帰って来たドラゴン」だったのよ。
主演がブルース・リャンつーてブルース・リーのパチモンみたいでインチキ臭い名前なのだが、豈図らんやコレがなかなかの功夫の使い手で本家に引けを取らないバネの効いたアクションをするのよ。
当時のアタシはリーの次にリャンのファンになっちゃったモンな。
敵役はこの映画と共に日本に凱旋した和製ドラゴンこと倉田保昭。
彼は香港では悪役として人気者だったが、コレを機に日本でも人気が出てテレビドラマ「闘えドラゴン」に主演したり「Gメン75」に出たり活躍したんだよな。
ちなみに倉田氏はこの「帰って来たドラゴン」のプロモーションでテレビに出演した時に「ブルース・リャンはブルース・リーの弟子だった」って与太を飛ばしたのはコアなドラゴンぼんくらの間では有名な話。
当時はどうしてでもブルース・リーに肖り、ヒットさせたかったんだろうな。(笑)
この映画のストーリーは他流派同士の争いではなくて、ナンチャラの秘宝の奪い合いで、まあクダラナイんだけどね。(笑)
役名もドラゴンだのジャガーだのイーグルだのキャットだのマウスだし。
(ホントは動物名ではなくてちゃんとした役名だと何かの雑誌で倉田氏が語っていたが)
で、今回の再公開は倉田保昭日本凱旋50周年として現存する最良のマスターテープを2K化したそうだが、そのワリにゃ画質が悪くオマケに左右がトリミングされていましたが、久しぶりに2人の果てしない本格派のアクション、特に建物と建物の狭い狭間を脚力だけで登ったり、ヌンチャク対トンファーのアクションを再び映画館のスクリーンで観られて大満足でありました。
出来れば同じくこの2人の「無敵のゴットファーザー/ドラゴン世界を征く」とリャンの初主演作「必殺ドラゴン鉄の爪」も劇場で観たいなあ。

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