中学生の頃から、一緒にユニットを組んだり、当時としは最先端(笑)だったであろう、多重録音を駆使して、レコーディングをやったりしていた、音楽仲間がいます。
名前は、大久保晴彦といいます。
おいらが、オヤジの転勤で、石巻に住んだのが、小学校2年のとき。
その後、高校1年の終わりまで、石巻で暮らしました。
ピアノ教室で知り合った彼とは、小学校も中学校もちがいましたが、高校は一緒でした。
それも、おいらが引っ越すまでの1年間だけでしたが。
その後、大学受験に失敗した、彼とおいらは、偶然にも、予備校で再会。
その後のことは、小説にでもなりそうな展開が待っていたのですが、
彼は、交通事故で、若くして天国へ。
それ以来、なるべく、彼の命日の6月には、彼の墓を訪れるのが、年中行事のようになっていました。
昨年は、今、おいらの音楽の相棒である、都築氏と一緒に、東日本大震災で倒れた、大久保晴彦の墓の灯篭を、よいしょよいしょと、組み上げたものです。
今年は、昨年に続き、都築氏と、石巻時代の同級生、山根博、仕事仲間の岩崎女史、そして、おいらの息子も一緒に。
“相模の風めをと”の、いしはらとしひろさん、かざきなおさんも、東京から軽トラで駆けつけてくれました。
ありがとね。
昨年も、今年も、石巻の♪仲間が、交流会を企画してくれました。
嬉しいね。ありがとね。

まだまだ、東日本大震災の爪痕だらけの石巻ですが、昨年よりも、今年は、音が増えていました。
生活と復興の音。
できるところから、応援を続けたいと思います。
少なくとも、石巻の墓参りは、来年も、行きたいですね。

名前は、大久保晴彦といいます。
おいらが、オヤジの転勤で、石巻に住んだのが、小学校2年のとき。
その後、高校1年の終わりまで、石巻で暮らしました。
ピアノ教室で知り合った彼とは、小学校も中学校もちがいましたが、高校は一緒でした。
それも、おいらが引っ越すまでの1年間だけでしたが。
その後、大学受験に失敗した、彼とおいらは、偶然にも、予備校で再会。
その後のことは、小説にでもなりそうな展開が待っていたのですが、
彼は、交通事故で、若くして天国へ。
それ以来、なるべく、彼の命日の6月には、彼の墓を訪れるのが、年中行事のようになっていました。
昨年は、今、おいらの音楽の相棒である、都築氏と一緒に、東日本大震災で倒れた、大久保晴彦の墓の灯篭を、よいしょよいしょと、組み上げたものです。
今年は、昨年に続き、都築氏と、石巻時代の同級生、山根博、仕事仲間の岩崎女史、そして、おいらの息子も一緒に。
“相模の風めをと”の、いしはらとしひろさん、かざきなおさんも、東京から軽トラで駆けつけてくれました。
ありがとね。
昨年も、今年も、石巻の♪仲間が、交流会を企画してくれました。
嬉しいね。ありがとね。

まだまだ、東日本大震災の爪痕だらけの石巻ですが、昨年よりも、今年は、音が増えていました。
生活と復興の音。
できるところから、応援を続けたいと思います。
少なくとも、石巻の墓参りは、来年も、行きたいですね。
