パーソナルカラーやカラーセラピーで彩りを

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連載コラム カラーストーリー カラーのプロになるまで 2

2008年11月30日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム


かづきれいこさんの本をきっかけに自分自身が変わり、そのおかげか次々と仕事のお話が舞い込んで来るようになりました。

自分の中でもうそろそろ趣味の領域を超え、本格的にプロとしてやっていきたいと思うようにもなってきていました。

カラー診断も気に入ってくださったお客様から次々と紹介してもらえ、グループ診断をメインにしていました。

今思えばこのころの診断経験があったからこそ、今の私があるのだなっと思っています。

アナリストはなんて言ったって、診断経験が大事ですから!!

いくら理論を勉強しても、全ては一幕一幕の診断あるのみだと実感しています。

そして知人から、娘に色彩検定対策を個人レッスンしてほしいと頼まれ、初めて色彩検定3級対策をしました。

今思えば、とても無謀で、1級はまだ取得していなかったのです。

社交ダンスでは思い切ってダンス教室に通うようになっていました。

そんなある日のこと、レッスン中にふとした先生との会話の中でパーソナルカラーの話になり、プロの先生の衣装選びにと診断させて頂くことになったのです。

もちろん、もうボランティアではなくね!!

それがきっかけとなり、また先生の紹介もあって、そのダンス教室で他のプロの先生、アマの選手の方、デモに出られる方々の診断の依頼が増えました。

また、オーナーの女の先生からはAFT色彩検定2,3級の個人レッスンを頼まれ、ダンスのレッスンの前に授業をしていました。 もちろん、先生は見事合格されました。

今でもいつお目にかかっても先生にお似合いのスプリングの服をお召しになっておられます

社交ダンスではF先生とそのパートナーのドレス選びがきっかけとなり、社交ダンス2大月刊雑誌「ダンスファン」にてパーソナルカラーの特集を組ませていただきました。

NTTカルチャー教室のお話はその後どんどん進み、2003年1月開講にあたり、2002年11月に2回の体験会を開催しました。

また、あるリフォーム関係の工務店にてインテリアカラーのセミナーする機会に恵まれ、そのお話を聞きに来てくれていた方がカラーにはまり、その方の紹介で多くのお仕事をいただきました。

本当に不思議なのですが、どこか一カ所で仕事をさせていただくと、そこから派生して次々と嬉しいお話がやってくるのです。

カラーにはこんなにまで人を引きつける魅力があるのです。

まさしくミラクルカラーマジックです。

こんな仕事がやってみたいと思うとどこからとなくやってくる。

こんな方と知り合いになりたいと願うと偶然にも出会うチャンスが訪れる。

こんな講座が習ってみたいと思えば、良い先生に巡り会える。

不思議なことにこうなりたい!!こうしたい!!と願えば思い描いたとおりになっていくのです。

もうこのラッキーなサイクルにはまってしまった私はただ思い描くだけで幸運がやってくる事を身をもって実感したのでした。 

夢は強く思い描けば、必ず叶う。

最後まで諦めちゃダメ! そしてそれに向かって努力すれば必ず成功します!

毎年12月の時期にはAFT色彩検定1級2次、東商カラーコーディネーター試験とカラー資格取得に向けて勉強中の方は追い込みです。

6年前、AFT色彩検定1級を独学で突破しようと頑張っていた私も実はその一人でした。

ところが、思わぬ事態に受検を断念せねばならなくなったのです。

体調不調?のため…

というのはいい訳で、やはり独学では自信がなく、不合格という通知を見るのが怖くて当日やや風邪気味という理由でドダキャンしたのです。

受けるからには一発で2次まで合格したかったのです。

その時点では1次は合格する自信はあったものの、どうしても2次の勉強方法がわからず、来年ちゃんとスクールに通い、一発満点合格をねらうことにしたのです。

ご存知の通り、AFT色彩検定1級は毎年合格率10%未満(最近は数字のマジックで30%近くになっていますが、これはあくまでも2次リベンジ組も入れての合格率ですから、1次からストレートに一発で合格する人はやはり10%未満なのです。)

そんなわけで2,3級合格から何と1級合格まで2年の月日を費やしてしまいました。

そして決めたことがあります。

来年の1級受検までに、パーソナルカラー診断実績目標1000人。

そのためには月平均100人弱。

個人個人のコンサルティングだけでは無理だと感じた私は、セミナーの中でモデルだけに診断するのではなく、一人一人全員のクイック診断をしていく案を思いついたのです。

なぜなら、今まで参加したパーソナルカラーのセミナーで参加者全員のカラー診断をするセミナーを見たことがなかったからです。

参加者の中から、1,2人のモデルを使ってのセミナーでは、診断してもらえた人のみお得感があるのですが、診断してもらえなかった人たちはやはり不満足そうな顔をしておられたからです。

誰もしないなら、私がやればいいんじゃないかと…

もちろん、全員の診断付きのセミナーはどこへ行っても大盛況でした。


カラーナビコラムより


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連載コラム カラーストーリー カラーのプロになるまで 1

2008年11月28日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム


パーソナルカラーアナリストの勉強と検定の勉強をしながら、メイクの勉強も始めました。

そして、もう一つの趣味である社交ダンスはフィットネスでの先生が変わった事もあり、前にも増して、没頭していました。

検定が終わったら、少しずつカラーの活動を始めようと思っていたのに、何をどうすればいいかわからず、聞ける人もなく、ただただ身内や知人、友達関係の診断ばかりしていました。

もちろん、ほとんどボランティアで…

そのうち、社交ダンスの方が楽しくなり、しばらくカラーの勉強をストップしてしまいました。

それから半年ばかりたったでしょうか?

2002年5月、突然、没頭していた社交ダンスがフィットネスからなくなり、途方に暮れてしまった私は、抜け殻のようになり、しばらくは何も手つかず状態が続きました。

大好きだったカラーも、社交ダンスも、そしてもう何にも無くなってしまったかのような暗い気持ちで毎日を過ごしていました。

そんなある日、私を変える一冊の本に出会いました。

ある日、友人とメイクの話でバトルになりました。

私はパーソナルカラーから見たメイクを勉強していたのですが、その友人はイエローのコンシーラーを使って、下地をつくっていくという、あのかづきれいこメイクを習っていたのです。

イエローベースの人にはイエローのコンシーラーでもいいけれど、ブルーベースの人には合わないよっと言うと、友人は日本人は皆イエローベースだから、イエローのコンシーラーで良いと言うのです。

「う~ん、それは絶対におかしい。」

そう思った私は、まず習いに行く前に、かづきれいこの本を読むことにしたのです。

この本が実に私を大きく前進させてくれる一冊になりました。

かづきれいこさんはご自身が考え出した、リハビリメイクを誰かに伝えたい思いで、ある教室にご自分を売り込みに行ったと書かれてありました。

それまでの私は自分で売り込む事など頭にはなく、待っていればいつかどこからか仕事の依頼があるのだと勘違いしていました。

どこかに、誰かに自分をアピールしないと誰にも知ってもらえないのだから、仕事などあるわけがないと、そのとき気づいたのでした。

そして、自分で売り込んでもいいのだと(だってあのかづきれいこさんでさえ、はじめはご自身で売り込まれたのだから…)わかった私は勇気を出して、自分を売り込む事にしたのです。

いつでも、バックの中にはカラードレープ2~3色と名刺(今から思えば恥ずかしいくらいの自分で作ったちゃちな名刺)を入れ、売り込めそうなお店があれば、飛び込み営業をするようになったのです。

初めての営業はあの天神橋筋商店街でした。

一軒一軒端から端まで、訪問して回ったのです。

どこの誰かもわからない私が突然訪問してくるのだから、考えたらいい迷惑だったと思うのですが、門前払いを食らったことは一度もなく、皆さん、興味津々で話を聞いてくれたのです。

その時ご縁があって取引をさせていただいたクライアントとは今でもお世話になっています。

大好きな色の魅力をお話できるだけでとっても幸せで、営業(それが営業という行為だったことは後になってわかったのですが…)が楽しみになっていました。

本当、世間知らずの箱入り主婦のなせる技ですね.。

不思議なことに、自分をアピールするようになり、アンテナをはりめぐらせているだけで、今度は向こうから幸運の女神が訪れるようになってきたのです。

まずはじめに、カルチャーのお話が…私の友人が、「知り合いでNTTカルチャー(今はすでに無くなっているのですが…)で店長をしている方がいて、ちょうどカルチャー講師を募集中だから、頼んでみてあげようか?」と言ってくれたのです。 思ってもみない嬉しいお話、もちろん、お願いすることにしました。

そして、カルチャーで講座を開講する前に、友人からその店長をはじめ、カラーに興味のある友達4人を集めるから講座を開いて欲しいと頼まれたのです。

本当、友人に感謝!感謝!でした。

「カルチャー開講に向けていい練習になればいいんじゃない?」っと言ってくれたのです。

なんせ、初めての経験だったので、内心ドキドキでしたが、もちろんお引き受けさせていただき、パーソナルカラー診断と色彩心理、メイクを取り入れた2時間X6回のカリキュラムで自宅にて講座を開講することになりました。

2002年9月の事。

そして無謀にも、この時から色彩検定1級の独学を始めたのでした。


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連載コラム カラーストーリー カラーとの出逢い 4

2008年11月27日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム


子供時代、よくした遊びはお人形ごっこの着せ替えでした。その頃流行ったリカちゃん人形とリカちゃんのママの洋品店のお店セットで端切れをお洋服に見立てては良く遊んだのを記憶しています。

外で遊ぶより家で遊ぶことの方が多かったようです。

母がよく私の服を作ってくれていたので、その残り布をはさみで切ったり、縫ったりしてお人形の服を作ってはとっかえひっかえして遊んでいました。

好きなことが仕事になるのが一番いいとわかっていたのに、今まで何がしたいのか?何が好きなのか?わからなったけれど、こうして考えてみると、物心つくかつかないかの頃に夢中になって遊んでいた着せ替えごっこ…これがまさに私が今していることだとわかりました。

カラーコンサルティングでは色布を洋服に見立てて、コーディネイトをしていきます。

とっかえひっかえ、それが実に楽しいのです。

生地屋さんで買ってきた色布をあれこれコーディネイトするのは楽しく、イメージに合わせて、机の上で布合わせをするのが、趣味になっていました。

けれど、感性だけでのコーディネイトは自分の好みに偏ってしまい、やはり基礎から配色を勉強したいと思い始めていました。 

そしていろいろ調べた結果、AFT色彩検定の資格を取ることに決めたのです。

思い出します、ちょうど7年前、私は3級、2級併願で受験しました。

まずは色の基礎を勉強しようと、東商カラーコーディネーター試験、色彩士、AFT色彩検定のどれから勉強したらいいか迷いましたが、一番知名度が高く、勉強がしやすいということもあって、AFT色彩検定を選びました。

スクールに通うか、独学するか、これでも随分迷いましたが、その当時、今ほどスクールもなく、時間帯も遅く、主婦の私が行ける午前中のスクールがなく、結局独学することに決めました。

結婚以来、勉強とはほとんど縁がなく、本当に独学で大丈夫なのかと不安がありましたが、好きな事なら何とかなると結構、お気楽に考えていたのです。

2001年5月から勉強を開始しました。

夏の検定にはとても間に合わないと勝手に考え(今から思えば、充分間に合い、最短距離でそのまま1級を受験できたのになあっと?)、冬の受験にしたのです。

今なら3級をとばして、いきなり2級を受験した方が楽だし、最短距離であるとわかるのですが、何せほとんど情報がなかったので、併願をしてしまったのです。

午前に3級、午後から2級(でも3級のできがいまいちだったら、2級にひびきますから、この受験方法はやめた方がいいです。)を受験、随分疲れた記憶があります。

どうぜ合格するなら、満点合格したいと思って、紀伊国屋にある全ての問題集を買い込み、それらが満点取れるまで、何回も何回も繰り返し、勉強しました。

そんなに頑張らなくてもと思いながら、やり始めると止まらない性格なので…

自己採点では満点取れていたはずだったのに…最優秀賞はいただけなかったので、きっとどこか間違えていたのでしょうね。悔しくて悔しくて、次回1級で満点を取ろうと心の中で誓いました。

(AFT認定講師になってわかったことですが、最優秀賞はスクールが団体登録していないといただけなく、ましてや独学者は対象外なんだそうです。)

しかしながら、1級合格までにはそれから約2年の歳月を費やすことになるとはその頃の私は夢にも思わなかったのです。


カラーナビコラムより

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連載コラム カラーストーリー カラーとの出逢い 3

2008年11月26日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム


今から8年前は、今ほどパーソナルカラーの講座、セミナーもなく、ジプシーしたくてもなかなか探すのに苦労しました。

その頃、我が家に初めてのデスクトップ型の液晶PCがやってきて、ネットができるようになり、そういう意味ではネットに随分助けてもらいました。

”パーソナルカラー””カラースクール”などと検索しては辞書のように隅々まで見ていました。

それが結構良い勉強にもなっていたのです。

今では似たようなHPがたくさんあり、見るだけでも疲れますが、その当時はまだまだ”パーソナルカラー”のHPは少なかったのです。

当然、スクール選びするほど数もなく、選り好みをするほど差もなかったのです。

今では麻痺してしまったカラー講座の受講料も当時の私にとっては驚く程高かったのです。

当然、すぐには決断できなく、結局1年近くはだらだらと過ごしていました。

カルチャーも初級の月2回の6回コースが終了し、次の中級も行くことに決めたのですが、行ってみたらなんと私一人で、結局その後の上級まで1年近くカルチャースクールでのマンツーマン個人レッスン状態でした。

幸か不幸か、私に合わせて授業が学べるのは大変ラッキーだったのですが、その分のんびりしてしまいました。

そして、1年が過ぎた2001年の4月、私はある一大決心をしたのです。

いろんなお稽古をしたけれど、どれも中途半端。

一応、人並みには出来るようになるけれど、これだけは誰にも負けないといったものは何一つなかったのです。

でもカラーだけはこのままで終わりたくない。

受講料が高いという理由だけで諦めたくない。

そして私は、結婚以来こっそりと貯めていたへそくりをカラーに投資する決心をしました。

その分、授業では一字一句聞きもらしてはならないと、もう無我夢中でカラーの授業に没頭しました。

パーソナルカラーアナリストプロ養成講座は楽しくて楽しくて!!習ったはしから、すぐに診断したくなって、診断用ドレープを生地屋さんに買いに行きました。

(その当時は今ほどカラードレープの種類もはなく、値段は20万円近くしたので、受講料を払うのが精一杯で、ドレープまで手がまわらなかったのです。)

4シーズンのドレープを選び、ピンク・赤・黄・緑・青・白の6色を揃え、遊びに来た子供の友だち、親戚、親友などなどを片っ端から診断していきました。

ドレープをめくるたびにみるみる変わる顔色に不思議で不思議で、本当にカラーマジックを実感していきました。

そしてカラーを勉強することによって、私が今までしてきたお稽古が決して無駄ではなく、全てに応用できるんはないかと思うようになりました。 

なぜなら、色はあらゆるところに存在しているから。

お花を生けるのも角度や決まり事がありますが、最終的には色合わせ、着物の着付けもやはり着物、帯、帯揚げ、帯締めの色合わせができてはじめて粋に着こなせることができます。

どんどん色の大切さがわかり、私の毎日は色一色になっていきました。

こんなに勉強が楽しいなんて、色の本もいっぱい読みました。

日本色彩学会に入り、送られてくる難しい学会誌も私には愛読書になるくらい目新しくて、面白かったのです。

次々とビジュアルボードも作り、気がつけば、カラーカードでいろいろな色見本を作っていました。

そして、会う人ごとにカラーの魅力を伝えていました。

今思えば、かなりのおせっかいでしたが…


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連載コラム カラーストーリー カラーとの出逢い 2

2008年11月25日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム


二度目の自分探し、素のままで頑張れそうなカラーに出会い、やっと自分らしくなれそうな気がしてきました。

人にはきっと”第二の誕生日”があるのだと思います。

お母さんから生まれた時が”第一の誕生日”だとすれば、自分らしく”自分の羽”で飛び始める時ではないでしょうか? 高く舞えば”風”が起きます。 成長しているから、きっと”悩み”があるのでしょう。

みんなそれぞれが違っていて、それぞれが輝いていると思うのです。

みんなが何かの”天才” 仲良くなる”天才” 笑わせる”天才” 人を思いやる”天才”

人と比べたりするから、きっと苦しむのかもしれません。

だったら、比べなければいいんじゃないのかな?

100人100色。

きのうときょう、きょうとあしたの自分を比べてみたら…

きっとだれにでも自分だけの、自分にしかできない”使命”があると思うのです。

だれもが選ばれた”宇宙のプリンス””宇宙のプリンセス”

そして、私の使命はカラーを伝えていくこと。

まだカラーに出会って間もないのにどこからかそんな声が聞こえてきたのです。

いよいよ待ちに待ったパーソナルカラー診断の日

本では見たけれど、実際目にするのは初めて。 ワクワクドキドキの中、診断がはじまりました。

100色あるカラードレープ(色布)の中から、テストカラーと呼ばれているカラードレープを先生が順番に当てていかれました。 不思議不思議、顔がドレープの色によって、すご~く変化。

お二人ともオータムの色ではかなり年いって見える。

サマーの色では反対に5~10才も若々しく、上品に見えるのです。

魔法にかかったみたいでした。 いよいよ私。

けれど、自分では客観的に見れないので、実際どれが合っているのかはそのときの私にはよくわかりませんでした。 診断の結果はサマータイプ(涼しく感じる柔らかいパステルカラー)。

結局3人全員がサマータイプだったのです。

「先生!スプリングタイプってどんな人ですか?芸能人なら誰ですか?ウィンタータイプは?オータムタイプは?」

私の質問に先生は困ったなあっと、そして先生曰く「私が実際に診断していないのでわからないのよ。」っと。

とても真面目な先生でいらしたので、それ以上は質問できませんでした。

でもでも私の中ではサマー以外のシーズンの人がどんな人か知りたくて、知りたくて…

この日から私のパーソナルカラージプシーがはじまりました。


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連載コラム カラーストーリー カラーとの出逢い 1

2008年11月24日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム

社交ダンスに出会ってからの私はもう狂ったようにのめり込んでいました。

私が通っていたフィットネスは月会費1万円でバイキング方式で社交ダンスも受け放題だったのです。

その当時は木曜5時間、土曜3時間と週8時間受けていました。

今から思えば信じられない事です。 なぜなら、社交ダンスは1時間8千円が相場だからです。

もちろん、個人レッスンの料金ですが…

当然、フィットネス側は採算が合わなくなり、2年後にはそのフィットネスから社交ダンスはなくなってしまいました

週二回8時間の社交ダンスにはまってしまった私は、仕事をしたいという気持ちもどこかへ吹っ飛んでいました。

何かに熱中できることが見つかるのは人をここまで変えてしまうのかと不思議に思うくらい充実した毎日でした。

それから、6ヶ月くらいたったある日、忘れもしない2000年4月、マンション内にあるカルチャーの宣伝広告を目にしたのです。「パーソナルカラー1日体験」

その頃の私は「パーソナルカラー」という言葉の意味さえも知らなかったのでした。

もともとカラーには興味があったし、色合わせするのが好きだったので、どんな内容かもわからず、とりあえず参加してみました。

参加者は私を含めて、4人と少なかったのですが、教えられる先生がとっても素敵で、そのとき、「こんな職業があるんだ。もしかしたら、私がやりたいことかもしれない。」と心の中で思ったのを鮮明に記憶しています。

体験講座の内容はもう目からうろこの似合う色(パーソナルカラー)の話だったのです。

体験講座だから、お話だけで見てはもらえなかったのですが、パーソナルカラー理論、「人には生まれ持って似合う色があり、その似合う色は一生変わらない(今ではパーソナルカラーは食生活、健康状態、日焼けなどによって微妙に変化するという考えが一般的になってきましたが…)から、似合う色を知っているだけで5~10歳も若返りますよ。」という、初めて耳にした先生の話に夢中になっていましました。

もちろん、その場で即、申し込みをして、早く自分のパーソナルカラーを知りたい思いで、講座の開講が待ち通しかったことを覚えています。

そしていよいよ講座の初日、行ってみると3人での開講。

私より少しご年配の方2人と私。

初回はまずは色の話で、次回ノーメイクでのパーソナルカラー診断との事。

2週間が待ちきれず、暇だった私は、その間、本屋さんに行っては、置いてあるパーソナルカラーの本を片っ端から読みあさり、すっかりパーソナルカラーの知識人になっていました。


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連載コラム カラーストーリー カラーに出会うまで 2

2008年11月22日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム


時間が許す限り、やりたいことは何でもやってみました。

今までの出来なかった時間を取り戻すかのように…

けれど、何か物足りない、次第にそう感じる度合いが大きくなってきていました。

自分だけが満たされているだけ?それは誰のためでもない自分だけのため?

私の存在はもしかしてどこにもないのかもしれない。

そういえば、○○ちゃんのママ!○○ちゃんのおばちゃん!○○さんの奥さん?

私にはちゃんと名前があるのに、結婚してからは名前で呼ばれることがほとんどありませんでした。

何か人の役に立つ事をしているのだろうか?

本来、頼まれると嫌と言えない性格なので、子供の学校関係のPTAの役員、子供会の役員、長男が所属していたボーイスカウトのリーダー、いろいろと引き受けましたが、これも思ったほど充実感が得れませんでした。

そうこうしているうちに、一緒にランチ、ショッピングと共にしていた友人たちが一人、二人と働き始め、次第に何もない自分に焦りを感じ始めました。

彼女たちはすぐにでも働ける資格をちゃんと持っていたのです。

このまま、何もしないまま、毎日が過ぎていくことへの不安、かといってこれといった取り柄もない。

求人情報誌をみても、年齢制限で引っかかる。(ほとんどが30歳までとある。)

何かをしなくてはという焦りだけがつのる毎日。

このころから長い長い二度目の自分探しの旅がはじまったのです。

このまま、何もなく過ごしているのがたまらなく、何か自分自身が打ち込めることがしたい。

もし、それが仕事でなくてもいいから、好きなことがしたい。

そんなある日、いつものようにフィットネスに行った私は、偶然、社交ダンスに出会ったのです。

私が小さい頃、両親がよく家でタンゴやマンボ、ルンバを踊っていたので、少しは社交ダンスの事、知っていたつもりでしたが、私がフィットネスで見たそれは記憶のダンスとははるかにかけ離れていたものでした。

高齢者がフォークダンスのように踊っているイメージが強く、フィットネスでメニューに社交ダンスがあることを知っていながら、今まで興味もなく、覗いたこともなかったのです。

偶然見てしまった社交ダンスは激しく、速いテンポのダンス(後になってこれがラテンアメリカンだとわかったのですが…)で、その場で釘付けになってしまいました。

社交ダンスシューズも持っていなかった私ですが、そのままエアロビクスのシューズのまま参加したのを記憶しています。 なんて、楽しい!今までやったダンスとは比べものにならないくらい面白い。

一人で踊るダンスしか経験したことのなかった私は、回される、踊らされるこのラテンダンスにはまりにはまっていきました。

熱中出来ることに出会い、フィットネスでの週2回の社交ダンスが待ち遠しく、すっかり仕事探しなど忘れてしまいました。 そしてあさはかな私は社交ダンスの先生の資格を取ろうと思うようになるのです。

そんなに簡単になれるわけがないと今になってわかったのですが…


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連載コラム カラーストーリー カラーに出会うまで 1

2008年11月20日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム


社会に貢献していない。 社会から孤立している。 三食昼寝付きででいいねえ!

お気楽だねえ! 年金払っていないよねえ! 毎日友達とランチとは羨ましいわねえ!


これらの言葉がどこからとなく聞こえてくるような気がしていた、少なくとも8年前までは…


きっと被害妄想が入っていたのは間違いないのですが、これらはこれといって何の資格もない、専業主婦だった私に向けられた想像上での言葉の数々。


開き直って、そんなに専業主婦じゃいけないの?と何度もつぶやいていたあのころ。


子供の頃からの夢はいろいろとありましたが、一番の夢はいいお嫁さんになること。


その夢はすぐに実現し、仲の良い同級生の中でも、一番早く結婚した私は、すぐに

二人の子供が生まれ、専業主婦は当たり前と思っていました。


子育てしながら、働くなんて考えてもみなかったし、子育てしながら働いている女性を見ると、スーパーウーマンだと思っていました。 けれど、心のどこかで憧れていたのも事実でした。


だって、どう考えても私にはできっこないことだったからです。


毎日、主人や子供たちのために美味しいご飯を作り、家の中を綺麗に掃除し、綺麗なお花を飾り、バルコニーにはミニガーデンをし、休みの日は家族で出かけ、年に1回夏休みには旅行に出かけ、それだけで良かったのです。


けれども何か物足りない、それが何かはまだその頃の私にはわかっていなかったのです。


子育ては思っていた以上に大変で、一人目は全てが初めての事だらけで、もうそれはそれは一所懸命でした。



れどもその一方では可愛くて可愛くて、赤ちゃんってただ見ているだけで飽きなくて、不思議な生き物でもあり、一日一日が新しい発見で、神秘的でした。


気がつけば、一時間でも二時間でもビデオを片手にずっと眺めていたこともたびたびでした。


二人目が生まれたときには、結構勝手がわかり、随分手抜き子育てをしたように思います。


最初が女の子で、次に男の子、一姫二太郎で女の子と男の子の両方の子育てができ、随分楽しませてもらました。

(今もなお子育ては続いているのですが…)


長男が幼稚園に通いだしてからは随分自由になる時間ができ、今まで我慢していたことを一気に始めました。


もともとおけいこ事の好きな私は、学生時代から、茶道、華道、書道、着付け、料理、ダンス(今考えてみると、やはり花嫁修業のおけいこがほとんどですね。)と結構習ってはいたのですが、まだまだやりたいことがたくさんあったのです。


まずは子育てで休んでいた茶道、華道、書道、バレエを再開。


そしてフィットネスの会員になり、ダンスを再開。

(後にそのフィットネスではまりにはまった社交ダンスに出会うのですが…)

エアロビクス、クラブジャズ(ジャズダンスの一種)、ヒップホップ、フラメンコ、社交ダンス…


フィットネスの方からは「毎日出勤のようですね。」と言われるくらい毎日朝10時から長男の幼稚園のお迎えの時間ぎりぎりまで踊っていたのですから、そう言われるのも無理ないですね。


フィットネスだけでは飽き足らず、カルチャーにも通い始め、トールペイント、ロマンドール、ビーズアクセサリー、フラワーアレンジメント、パッチワーク、紅茶教室 … いろんな事をしてみました。

(後に私の人生を180度変えるカラーに出会うとはその当時の私には夢にも思わなかったのです。)


けれども結局手芸はすぐに飽きてしまい、長続きはしなかったのです。


その頃に作ったできそこないの作品は今でもクローゼットの中に未完成のまま眠っています。


カラーナビコラムより


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連載コラム カラーストーリー プロローグ

2008年11月19日 | カラーのお仕事
Imagination Colors 二宮 恵理子さんのコラム


カラーの魅了を少しでもお伝えできれば、またカラーを仕事にしていきたいと思っている皆さんの参考になればと思って、連載することにしました。



宇宙から降りそそいでいるカラーパワーは無限のエネルギーを秘めています。


そして私たちの誰もが平等にそのエネルギーを浴びることができます。


ただ、そのエネルギーを正しく受信するには少しだけ、カラーの法則を知る必要があります。


黒い服ばかり着ている人を見ると、「黒ばかり着ちゃだめだよ!肌を老化させますよ。」


レストランに青いテーブルクロスを使っているのを見ると、「青は食欲を減退させるから、橙に変えた方がいいですよ。」 似合わない暗い色の服を着ている人を見ると、「もっと明るい色を着た方が若々しく元気に見えますよ。」


不眠症なのに赤のパジャマを着て寝ていると言われる方に、「赤を着ているから、興奮して眠れないのですよ。そんな時は気持ちを静める青を着て眠るといいですよ。」

とおせっかいな私はついつい声をかけてしまいます。


どうして、こんなに大事なカラーの事をほとんどの人がまだ知らないのだろうと不思議に思います。


きっと、一般の学校教育でカラーに関する知識を得る機会がほとんどなかったからだろうなと思います。


それなら、私がカラーの素晴らしさを伝えていったらいいんじゃないかなっと思うようになったのです!!!


多くの人にこの素晴らしいカラーパワーを伝えて、潤いある、心豊かな生活を送ってもらいたい。


なぜなら、カラーは言葉以上に多くのメッセージを持っていて、視覚からだけでなく、皮膚呼吸としても、限りなく私たちにはたらきかけてくれているからです。


カラーとの出会いによって、少しだけカラーの法則を知った私には、ハッピーミラクルな出来事がたくさん起こっています。 


それは今も、永遠に続いていくと確信しています。


カラーナビコラムより


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☆紅葉狩

2008年11月18日 | 日常のカラー
~四季彩~ 玉村 華花


今日はみどり会(ウオーキング)に参加しました。

午前中は雨模様だったのですが、いつの間にか

止んでいました。


洛東山科の毘沙門堂(天台宗の門跡寺院)は

紅葉がちょうど見頃です。

雨が紅葉の赤をよりしっとり染め上げ、鮮やかさを

増していました。

赤の彩りも木々によって微妙に違い美しいグラデーションを

織りなしていました。



久しぶりの京都山科の紅葉狩で 自然の柔らかできれいな空気に触れ、 またパワーアップ出来そうな気がします。


皆さんも紅葉狩にもう行かれましたか?


自然の色は、空の色から木の葉一枚の色までそれぞれに

調和がとれています。


特に柿落葉の美しさは七宝焼きのようです。そしてその

一枚づつ、どれ一つとして同じようなものはありません。


★★★借景も紅葉もみじの紅葉狩★★★


借景とはその眺めの一部分としてうまく 取り入れた、

背景の景色の意味です。

カラーナビコラムより


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