養蚕 2024-03-05 18:33:14 | 日記 明治の初めから、戦前頃(1945)まで、日本から輸出品の30%は、生糸(絹糸)だった。富岡市の周辺で、繭を作って、富岡で糸にして、高崎で染めて、高崎線で横浜に運んで輸出した。一方、両毛線で運ばれた糸は、伊勢崎、桐生、足利で織物になった。 あなたの一票が私を支えています « 暮坂峠 | トップ | 東京アイシー 看板 »