ひなげし日記

本と映画とお芝居と…

長島愛生園へ。

2015年10月02日 | 日記

くらしの学校30名で愛生園を訪問した。車7台に分乗しての学びの日。

Oさんに乗せて頂く。家を出る時は小雨だったが、走り出すとザンザン降りになる。ワイパーがせわしなく動く。集合場所は西大寺のコンビニ「ポプラ」、早々と「着いた」の電話が入る。時間を勘違いしたのか1時間早い。「もう大勢待っているかと思ったのに、誰もいない」と、場所を間違えたかと心配されての電話だった。次々に他の車も着く。直接現地へは1台のみ。「間もなく着きます」の連絡を療養所へ入れる。

少し色づき始めた米所の稲田の中を一直線に走る道路、やがて海が見えだし、人間回復の橋と呼ばれた邑久長島大橋を渡る。渡ってから直ぐかと思ったが以外と距離があった。『橋がかかるまでは、海流の激しいわずか22mの海峡が患者を社会から隔絶し、苦しめました』と説明がある。入所者たちの強い要望がやっと通って橋がかけられるまでに16年かかったと言う。

間違った国の対処法で大勢の治った方も家に帰れず、名前も変えて島で暮らし続けた。6歳で家族とも引き離されどんなに辛かったことだろう。小学校に入る前か1年生くらい、家の今年入学した孫くらいの子が隔離された島で見知らぬ人たちと一緒の生活。泣くしかなかったのでは。効く薬があったのに日本で使い始めたのは第二次世界大戦が終わってから、それまでは不治の病と言われた。昔は「らい病」と言われていたが、ノルウェーのハンセン医師が「らい菌」を発見し「ハンセン病」となった。

ずいぶん昔「パピヨン」という映画にこの病気のことが出てたように思う。スティーブ・マックイーンが監獄の島から死体袋に入って脱出し流れ着いたところで出会った人たちがこの病に侵されてたんじゃないかしら。

でもこの中で音楽やお芝居、文学、絵画などに光を見出した人もいたということが、本当に嬉しい。人間何処にいても抑えられ続けることは誇りが許さないと、自分の力で打ち勝って行く人が必ずいるんだ。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿