今から20年前に新潟日報事業社から発行された一冊の写真集。
「ガキ大将がいた街」「消えた風景」「生活、さまざまに」「働く人たち」「農村の景色」「昭和初期・大正・明治のころ」
解説は故「久保田好郎」先生。以前勤務していた会社で顧問をされていました。
その本の中、「消えた風景」に「ワタボシ」を作る若かりし頃の義母の写真が掲載されています。昭和33年の夏。
「ワタボシ」とは、繭からとった真綿を染色し、これを何枚も水に浸して丸い枠にはりつけ、だんだん厚くして乾燥。
最後に襟充と紐をつけて仕上げる雪国独特の防寒具。亀の甲羅のように背中に掛けます。
非常に軽くて温かいので昔は祖母もよく着けていました。
義母が天国に旅立ってからまもなく一週間。
89歳の天寿をまっとうし、安らかに眠るように息を引き取りました。
転倒して骨折してから二年と三ヶ月。寝たきりになっても、内蔵の病気をかかえながら精一杯頑張りました。
一年一ヶ月の自宅での介護。いつも「ありがとう」「忙しいのに悪いね」って声をかけてくれました。
「忙しくなんか無いんだよ。遠慮しなくていいんだから。」って言うとにっこり微笑んでくれました。
結婚と同時に同居して30年。生んでくれた母より長い時間を一緒に過ごしてきました。
ひたすら家を守りながら内職に励み、手の込んだ料理で帰宅を待ってくれていました。
私が会社辞め、資格取得の勉強をしたり、起業するときも「綾子さんが決めたことだから、精一杯やってみなさい。」と応援してくれました。
今、小さな白い箱に納まってしまった義母に心から感謝しています。
「お母さん、ありがとう。痛かったね。辛かったね。やっと楽になったね。家に帰ってきたんだよ。」って。
もっと優しい言葉を掛けてあげればよかった。いっぱい話を聞きたかった。
古いアルバムをめくっては義母を偲んでいます。
「思い出ほろろん」素敵なタイトルです。
「ガキ大将がいた街」「消えた風景」「生活、さまざまに」「働く人たち」「農村の景色」「昭和初期・大正・明治のころ」
解説は故「久保田好郎」先生。以前勤務していた会社で顧問をされていました。
その本の中、「消えた風景」に「ワタボシ」を作る若かりし頃の義母の写真が掲載されています。昭和33年の夏。
「ワタボシ」とは、繭からとった真綿を染色し、これを何枚も水に浸して丸い枠にはりつけ、だんだん厚くして乾燥。
最後に襟充と紐をつけて仕上げる雪国独特の防寒具。亀の甲羅のように背中に掛けます。
非常に軽くて温かいので昔は祖母もよく着けていました。
義母が天国に旅立ってからまもなく一週間。
89歳の天寿をまっとうし、安らかに眠るように息を引き取りました。
転倒して骨折してから二年と三ヶ月。寝たきりになっても、内蔵の病気をかかえながら精一杯頑張りました。
一年一ヶ月の自宅での介護。いつも「ありがとう」「忙しいのに悪いね」って声をかけてくれました。
「忙しくなんか無いんだよ。遠慮しなくていいんだから。」って言うとにっこり微笑んでくれました。
結婚と同時に同居して30年。生んでくれた母より長い時間を一緒に過ごしてきました。
ひたすら家を守りながら内職に励み、手の込んだ料理で帰宅を待ってくれていました。
私が会社辞め、資格取得の勉強をしたり、起業するときも「綾子さんが決めたことだから、精一杯やってみなさい。」と応援してくれました。
今、小さな白い箱に納まってしまった義母に心から感謝しています。
「お母さん、ありがとう。痛かったね。辛かったね。やっと楽になったね。家に帰ってきたんだよ。」って。
もっと優しい言葉を掛けてあげればよかった。いっぱい話を聞きたかった。
古いアルバムをめくっては義母を偲んでいます。
「思い出ほろろん」素敵なタイトルです。