10月9日(日)の送別会では、シスターシュラッツはご自分の来日の経緯を話してくださいました。“カナダで終生誓願を準備している私の胸には、「私の修道生活はこのままでいいのかしら」、という何か一つ落ち着かない気持ちがありました。この期間中に「日本でシスターを必要としている」という話を聞きましたが、まったく自分のこととしてとらえていませんでした。しかし、落ち着かない気持ちで祈っているうちに、その時まで一度も考えも願いもしなかった日本への派遣の望みが、突然私の心の中に湧き起りました。そして主に祈りました。「どうぞ私を日本に派遣してください」と。この願いは叶えられるという120パーセントの確信がありました。そして、終生誓願宣立の後に、総長様が私にくださったのは、日本派遣の任命でした。私は、その出来事を振り返るとき、突然私の心の中に日本への派遣の望みが湧き起ったことを本当に不思議に思うのです”と。
私はお話をお聞きして、シスターシュラッツに日本に行きたいという望みを起こさせ、祈りの中でその望みをお話させてくださったのは神様だと思いました。神様の思いに運ばれて日本に来られ、64年間過ごされ、また神様の手を通してカナダに帰られるのだと思いました。シスターシュラッツの宣教は、神様の宣教、お仕事でもあったのだと思います。
カナダ出発の前に、みんなでお茶をいただきながら、「神様が今お迎えに来られたら、一人ひとりどういうセリフを言うのでしょうか」という話になりました。シスターシュラッツならば「考えさせてください」とおっしゃるでしょう、とみんな納得しました。そこで、シスターシュラッツはなぜ考えさせてくださいということばを言うようになったのかを話してくださいました。“明治学園中・高校長のとき、ある先生が私のところに来られて、「OOをさせてください」とおっしゃり、私が「先生、いいですよ」と答えました。私はしばらくして、「先生、00はどうなったのですか」と尋ねると、その先生は「気が変わった」とおっしゃったのです。そのときから、私は少し時間をおく方がよいと思い、「考えさせてください」と言うようになりました”と。欧米諸国では、yesはyes、noはnoです。yesと言いながら、noと言ったら、その人が信用されなくなります。しかし、日本ではyesといいながら、気が変わりましたという言葉が返ってきて、シスターシュラッツは相手にしばらく時間をあげるためにも、「考えさせてください」という言い方になったのでした。
考え方も、言葉も、食べ物も違う中で、64年間、日本のために働かれたシスターシュラッツでした。3年前に亡くなったシスタージャンヌ・ボッセ(著書『しあわせは微笑みが連れてくるの』)とシスターシュラッツは揺るぎなく、ぶれない信仰と上品さと気品において、お二人は同じです。しかし、シスタージャンヌ・ボッセは情熱的で、その情熱が外側にあふれてくる方でした。それに対して、シスターシュラッツは静かで穏やかな方、よく聴いてくださる方、共感してくださる方、寄り添ってくださる方、知恵のある方でした。“フランシスコ教皇様が出向いていきなさいと幾度もおっしゃる、それは創立者マルグリット・ブールジョワのご訪問の精神と同じですよ、と私にさりげなく気づかせてくださいました。
シスターシュラッツ、ありがとう!シスターに出会えて、うれしかったです。
コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会 兼松 益子
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