コングレガシオン・ド・ノートルダムの花畑

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ジャンヌ・ルベル  沈黙と祈りに捧げられた生涯

2013年08月13日 | 日記

第1回目から早くも2ヶ月が経ちましたが、今回はジャンヌ・ルベルという女性をご紹介します。
カナダのモントリオール(当時ヴィルマリーと呼ばれた街です。)で沈黙と祈りに生涯を捧げた女性です。

ジャンヌは1662年、1月4日にヴィルマリーで生まれました。父はジャック・ルベルという裕福な商人、母はジャンヌ・ルモワンという聖マルグリット・ブールジョワに縁のある女性でした。
幼いころ、ジャンヌは御心のイエスへの信心(イエス・キリストの人類への愛の信心)に強く魅かれ、沈黙と祈りへの強い望みが起こりました。
18歳のとき、ジャンヌは家族の了承を得て、自分の家で隠遁生活を始めました。
1695年8月5日、32歳のときに、ジャンヌはコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会の聖堂の祭壇の小さな部屋で隠遁生活を始めました。聖マルグリット・ブールジョワが亡くなる5年前のことです。
ジャンヌはそこで、沈黙と祈り、そしてカトリック教会の司祭が着用する祭服の刺繍などを行い、1714年10月3日、52歳の生涯を終えました。
ジャンヌのお墓は今でもカナダのコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会の本部にあります。

ジャンヌの祈りは聖マルグリット・ブールジョワと同じく、戦争の悲惨さの中で、イエス・キリストの人類への愛を想い、平和を祈る祈りでした。
聖マルグリット・ブールジョワは祖国フランスでの30年戦争を、ジャンヌの戦争体験はカナダでのフランス移民と現地の人との戦いを体験しています。

私はときどき思います。もし、当時 戦争がなければ、この二人の女性は沈黙と祈りに魅かれただろうか。と。そして、私の祈りは何だろうかと。

現在、確かに日本には目に見える戦争は存在していません。
でも、私は確かに何かに促されて修道会に入会したと感じています。
戦時中に生まれ、出兵する年頃に終戦を迎えた父と、戦時中に幼少時代をすごした母に育てられた私は、戦後発展した日本の中で 確かに何かを渇望して生きてきたと感じています。
それは、聖マルグリット・ブールジョワやジャンヌ・ルベルの渇望と同じものではないか、と感じます。

長い歴史の中で、戦争のない時代はありません。だから混沌とした憎しみや怒り、屈辱もずっと存在し続けています。もしかしたらそのストレスが「いじめ」などの形で生じてくるのかもしれません。
そして、その何かに対する渇望の中で神さまに祈りを捧げたいという望みが人間の中に生じるのは、ある意味当然なことだと感じます。なぜなら、イエス・キリストを通して神は、どん底の人までの全ての人類への愛を示してくださったからです。

結論として、もし当時戦争がなくても、この二人は生涯を捧げ、また、私も結局は修道会に入会したのだろうと思ったりします。


終生誓願宣立8年目。入会20年目に。シスターたか