3.11、あの日津波の映像を見るまで
「あぁ、もう東京が終わった、どうしよう」と
自分の街だけが壊滅したのだと思い悲観しました
だけれども
もっともっと大変なことが起きていた
津波が仙台空港を飲んでいった映像を見たとき
わたしも周りにいた人達も
息を吸ったまま固まったまま
息を吐き出す事も忘れテレビを見つめ泣きました
あの日に亡くなった皆さんの49日
我が家全員で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りして黙祷。
左端の緑の鶯は
亡くなった皆様と思って私が置いて毎日手をあわせています
翼があったら
飛んで逃げることもできたのでしょうに
このちいさな鶯を
私は毎日自分の手の平にのせて温めています
亡くなられたたくさんの皆様がお寒い思いをされませんよう祈って
津波の後のボクの記憶、
一部に空白があります。
冷静にいたつもりだったのに、
体は正直に反応して、
記憶の部分消去を
したのでしょうね。
まだまだ、いろんなことが起こるかと……。
本当に、有難う御座いました。
パドお母さんが早く見つかりますよう祈っております