「探索25日目」
(日記。数ページ白紙が続いていた。僅か、何かで濡れた痕があるのみ。
以下、視点変更。)
少年はただ、立っていた。
春を喜ぶ風が舞い、雲が唄う、その空の下で。
見上げる先には、青い空。
少年はただ、立っていた。
己に期する希望、行く手を阻む現実、その中に。
俯けば、無機質な床を染める自らの影。
孤独。
彼の孤独は、真の孤独ではない。
彼が知らぬ間に支えられ、彼もまた誰かを支えている。
しかし大きな絶望に気づいた時、ささやかな孤独が彼を包んだ。
人は、常に絶望と闘う者。
齢十五、彼はその場へ足を踏み入れた。
早きか遅きか、それは問題ではない。
この絶望は、今島にいるもの全てに与えられたものでもある。
それでも。
彼の流す涙に、偽りはない。
胸を去来する言葉。
檸檬を愛する女剣士。
「もうこの島ともお別れだってのに」
蜥蜴の姿をした勇者。
「コれでオわカレにナるかモしレマせん」
飄々とした青年。
「今度この島を出ることになったので」
自分に与えられた立場と葛藤する青年。
「俺は一度、ここを出て自分がやりたい事を探してみようと思う」
少年は、初めて気付く。
出会いと別れは同意義なのだと。
この世には、如何ともできぬことがあるのだと。
これが、絶望だと。
空は、いつしか朱に染まり。
なだらかな冷気が、少年の肩に触れる。
いつまで安易な絶望に浸るのか、と。
人は皆、それと闘っているのだ、と。
お前だけが特別なのではない、と。
少年は、吼えた。
この世の何かに向けて。
崩れ落ちる、影。
静かに、闇の帳が降りる。
心の嵐は、より深い暗闇へと落ちるのみ。
理解していたつもりであった。
だが、現実とはかくも隔たりがあるもの。
己は、何を知っていたというのか。
不死者の血を身体に宿す少女。
「…でも、エゼくんのことを一番気に掛けてくれてるのもあの人だよ」
ふつふつと湧く感情。それは怒り、反発、自尊。そして――――喜び。
もてあます心。未だ経験せぬ、感情と感情の衝突。
制御しているようで、実は制御されているのか。
心のどこかに、巨大な化け物が棲んでいるのではないか。
にやり、とほくそ笑んでいるのではないか。
叩きつける拳。
床を冷徹に打ち、響き。然れど床は、ただ床であり。
流れる血。走る痛み。拳は、ただ拳であった。
ある種の虚無感が満ちる。
帳に隙間なく覆われた空。
惨めに這いつくばった背中。
突然、光が射し。
隠れていた月が、帳の綻びから顔を出した。
舐めるように鼻を近づけていた床も輝いたように見え。
幼き時の記憶が脳裏を貫く。
平気で殴る父に、少年が泣きながら訴えたあの日。体中に痣。
「泣く暇があったら鍛えとけ。身体なぞ痛いうちにはいらねえ」
唇を噛締める。怒りと、悔しさと、わからない何かが戦っていた。
「いいか。お前もいつか、誰かを守る時が来る」
「俺にできるのは、その時後悔しないようお前を強くすることだけだ」
少年が疑問を口にしようとと思った瞬間、頬を叩かれる。
「もし俺が弱けりゃ……お前は生まれていない。それだけは、忘れるな」
「だから身体の痛みごときで泣かなくなるまで、殴り続けてやる」
直後、首筋に手刀が振り落とされる。沈む意識の中、口の中に血の味が広がった。
それは、明るい月夜のこと。
その前も、その後も、ことある度に少年は殴られた。
1度寝込みを襲ったが、返り討ちにあう。
声も出なくなるまで殴られ、以来試したことはない。
いつしか涙は出なくなっていた。
涙の代わりに育てた、父親への激しい感情。
しかし、今。感じるものはどの痛みよりも鋭く、胸を抉る。
いっそ父親に殴られ、痛みで全てを忘れたいと願う。
「あまりクヨクヨ考えすぎはいけないデスよ?」
ふ、っと笑われた気がした。急ぎ顔をあげるも、周りに気配はない。
神出鬼没の母親。自分には、いつも優しくしてくれた。
優しい木々に囲まれた日々。
1月も経たないはずなのに、酷く懐かしい。
帰ろうか。帰って、しまおうか。
「いや…!」
少年は、激しく頭を振った。
まだ、終わるわけにはいかない。
そして、まだ終わってもいない。
急に、なにか別の感情が強くなってきた。
怒りでも悲しみでも喜びでもない。
それは、焦り。
何かを為すには、無駄な時間などない。
膝をつき、手に力をこめた。
すっくっ、と立ち上がる。
もちろん自分の感情を御したわけではない。
未だ胸の中では多様なものが燻っている。
しかし、本能的に――或いは叩き込まれたものか――礼を欠くことへの怖れが先立った。
何も言わずに別れることはできない。
ただ、その一念が身体を動かした。走れ、エロス。
ここで少年は、ようやく気付く。頬がひどく不快なことに。
触れれば、涙でべたついていた。
手甲で拭くと、抵抗があり痛い。
しかし今は、その痛みが心地よくさえ感じられた。
いつしか、月は再び雲に隠れ―――
少年の旅は、まだ終わらない。
(日記。数ページ白紙が続いていた。僅か、何かで濡れた痕があるのみ。
以下、視点変更。)
少年はただ、立っていた。
春を喜ぶ風が舞い、雲が唄う、その空の下で。
見上げる先には、青い空。
少年はただ、立っていた。
己に期する希望、行く手を阻む現実、その中に。
俯けば、無機質な床を染める自らの影。
孤独。
彼の孤独は、真の孤独ではない。
彼が知らぬ間に支えられ、彼もまた誰かを支えている。
しかし大きな絶望に気づいた時、ささやかな孤独が彼を包んだ。
人は、常に絶望と闘う者。
齢十五、彼はその場へ足を踏み入れた。
早きか遅きか、それは問題ではない。
この絶望は、今島にいるもの全てに与えられたものでもある。
それでも。
彼の流す涙に、偽りはない。
胸を去来する言葉。
檸檬を愛する女剣士。
「もうこの島ともお別れだってのに」
蜥蜴の姿をした勇者。
「コれでオわカレにナるかモしレマせん」
飄々とした青年。
「今度この島を出ることになったので」
自分に与えられた立場と葛藤する青年。
「俺は一度、ここを出て自分がやりたい事を探してみようと思う」
少年は、初めて気付く。
出会いと別れは同意義なのだと。
この世には、如何ともできぬことがあるのだと。
これが、絶望だと。
空は、いつしか朱に染まり。
なだらかな冷気が、少年の肩に触れる。
いつまで安易な絶望に浸るのか、と。
人は皆、それと闘っているのだ、と。
お前だけが特別なのではない、と。
少年は、吼えた。
この世の何かに向けて。
崩れ落ちる、影。
静かに、闇の帳が降りる。
心の嵐は、より深い暗闇へと落ちるのみ。
理解していたつもりであった。
だが、現実とはかくも隔たりがあるもの。
己は、何を知っていたというのか。
不死者の血を身体に宿す少女。
「…でも、エゼくんのことを一番気に掛けてくれてるのもあの人だよ」
ふつふつと湧く感情。それは怒り、反発、自尊。そして――――喜び。
もてあます心。未だ経験せぬ、感情と感情の衝突。
制御しているようで、実は制御されているのか。
心のどこかに、巨大な化け物が棲んでいるのではないか。
にやり、とほくそ笑んでいるのではないか。
叩きつける拳。
床を冷徹に打ち、響き。然れど床は、ただ床であり。
流れる血。走る痛み。拳は、ただ拳であった。
ある種の虚無感が満ちる。
帳に隙間なく覆われた空。
惨めに這いつくばった背中。
突然、光が射し。
隠れていた月が、帳の綻びから顔を出した。
舐めるように鼻を近づけていた床も輝いたように見え。
幼き時の記憶が脳裏を貫く。
平気で殴る父に、少年が泣きながら訴えたあの日。体中に痣。
「泣く暇があったら鍛えとけ。身体なぞ痛いうちにはいらねえ」
唇を噛締める。怒りと、悔しさと、わからない何かが戦っていた。
「いいか。お前もいつか、誰かを守る時が来る」
「俺にできるのは、その時後悔しないようお前を強くすることだけだ」
少年が疑問を口にしようとと思った瞬間、頬を叩かれる。
「もし俺が弱けりゃ……お前は生まれていない。それだけは、忘れるな」
「だから身体の痛みごときで泣かなくなるまで、殴り続けてやる」
直後、首筋に手刀が振り落とされる。沈む意識の中、口の中に血の味が広がった。
それは、明るい月夜のこと。
その前も、その後も、ことある度に少年は殴られた。
1度寝込みを襲ったが、返り討ちにあう。
声も出なくなるまで殴られ、以来試したことはない。
いつしか涙は出なくなっていた。
涙の代わりに育てた、父親への激しい感情。
しかし、今。感じるものはどの痛みよりも鋭く、胸を抉る。
いっそ父親に殴られ、痛みで全てを忘れたいと願う。
「あまりクヨクヨ考えすぎはいけないデスよ?」
ふ、っと笑われた気がした。急ぎ顔をあげるも、周りに気配はない。
神出鬼没の母親。自分には、いつも優しくしてくれた。
優しい木々に囲まれた日々。
1月も経たないはずなのに、酷く懐かしい。
帰ろうか。帰って、しまおうか。
「いや…!」
少年は、激しく頭を振った。
まだ、終わるわけにはいかない。
そして、まだ終わってもいない。
急に、なにか別の感情が強くなってきた。
怒りでも悲しみでも喜びでもない。
それは、焦り。
何かを為すには、無駄な時間などない。
膝をつき、手に力をこめた。
すっくっ、と立ち上がる。
もちろん自分の感情を御したわけではない。
未だ胸の中では多様なものが燻っている。
しかし、本能的に――或いは叩き込まれたものか――礼を欠くことへの怖れが先立った。
何も言わずに別れることはできない。
ただ、その一念が身体を動かした。走れ、エロス。
ここで少年は、ようやく気付く。頬がひどく不快なことに。
触れれば、涙でべたついていた。
手甲で拭くと、抵抗があり痛い。
しかし今は、その痛みが心地よくさえ感じられた。
いつしか、月は再び雲に隠れ―――
少年の旅は、まだ終わらない。