ぜんちゃんの歩き方

写真とエッセイ。ボクの目線とライフ。
音楽とか映画とか本とかセブ島とか。

「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」

2010年10月05日 | 音楽生活
9月26日(日曜)「まつぜん保存会」の街なかコンサートも無事終えた。
ボクらの会場はみずほ銀行前広場で同じように街なか広場側でもバンド演奏していたので少しやりにくかった。
向こう側で演奏していたヴェンチャーズのコピーバンドが悪いというわけじゃない。
音圧のバランスとかお互いの楽曲とか調整出来れば良いのだけれど野外ステージだからそれも仕方ないだろう。
しかしやっぱり互いの会場があまりにも近過ぎる。
おまけに街なか広場ではフリーマーケットが催され若い子達が沢山いて活気があった。
オジサン的には絶対にそっちの会場の方が良かった訳で。





それでもそれなり楽しくやれたので良かったと思っている。
身内バンドの「BS&B」は以前よりも増して音がカッチリまとまり良い演奏を聴かせてくれた。



「沼ヘイレン」というすげえ名前でデビューさせたヌマさんのパフォーマンス(?)も「幻の名盤解放歌集シリーズ」を彷彿とさせたしね。個人的には愛情を感じている。
だからヌマさんお願いだ。練習なんかしないでおくれ。上手くならないでおくれ。
音楽の一番大事なものが見事に欠落したそのアバンギャルドさがボクには捨てがたい。



「まつぜん保存会」は本番に向けて1回しか音合わせが出来なかった。
でもボクも場馴れしたせいかずいぶん腹もすわってきた。もちろんサポートメンバーを信頼していたからこそだけどね。

ボクが人前で歌い始めたのは確か1991年からだと思う。
せいぜい年に一度か二度のペースで歌ってきたけれどこの数年歌う機会が多くなった。
前にも書いたけれど人前で自作曲を歌うなんて考えもしなかった。
とある美術サークルで知合ったダンキチ君に自作曲を聴かせたのが運命のはじまりで彼はボクが歌い終えると開口一番「もったいない」と言ったのだ。
その「もったいない」という真意は今では迷宮入りだけど何となくボクは自己表現のひとつとして人前で歌っても許されるかなと思うようになった。

ダンキチ君とボクとそれに友達のサトウ君のユニットで初披露した記憶は薄れている。
しかし「沼ヘイレン」のヌマさんササキさんみたいにボクはかなり緊張しギターのピックが汗で握れなかったことを鮮明に憶えている。

高校あたりから細々と詩を書いていたが就職してから書くことが苦痛になってきた。
そんなとき出合ったのが清水哲男の詩論集「唄が火につつまれる」でボクはかなり感銘を受けた。
…現実から出発したはずの詩が、いつのまにか、現実のどのような根拠ともあいわたることなく、詩として自足してしまっているのではないか…
ボクは震えそして思った。自分は誰のために何のために詩を書いているのかと。
「血眼になれないということ」という章があり「本気で詩人になりたいのか?」と何度も自問自答したのを憶えている。
十数年ぶりにその本を開いたらあるページの端っこに「詩が書けなくなったら生き方を変える他ない」と鉛筆で走り書きがしてあった。



詩を書くことに血眼にはなれなかった。ただ自分のために歌いたいウタをのんびり書きたいと思うようになった。

しかし来年で音楽活動(?)も20年か。なにかきちんとしたものを残さないとな。
だからヌマさんもササキさんも継続してくれよ。ボクもまだまだ歌い続けるから。

「自由な世界でロックしようぜ!!」
ニール兄さんにはいつも励まされるぜい。


Neil Young - Rockin' In The Free World


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