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小説読後感と日経記事紹介

2020-05-01 16:10:00 | 日記
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 先日歩こう会でお借りした直木賞受賞の話題の本「熱源」を読み終えた。時代は1870年代明治初期〜太平洋戦争終戦まで、舞台はアイヌ人の暮らしていたサハリン島を中心に日本からロシアそして欧州まで、登場人物はアイヌ人とポーランド出身のビウスツキ達主人公以外にも歴史上人物も現れ、とてもスケールの大きな小説。

 今まであまり知られていないアイヌ人、帝政ロシア、日露戦争、太平洋戦争末期のソ連サハリン侵攻のことをその場所、その時代に戻って生きた人々の感情や声が生き生きと描かれていて、日頃当たり前のように思っている国家、民族というものについても考えさせられた。
 ところで昨日、日経新聞文化欄で小説の元となった研究の紹介、および小説の書評が載っていたので、スクラップさせてもらった。(以下、4/30日経朝刊)


アイヌの人々に東欧の風

民族学者のピウスツキ、19世紀末から共に暮らし調査 沢田和彦

2020/4/30 2:00 朝刊 [有料会員限定]
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19世紀末から20世紀初めにかけ、サハリン(樺太)と北海道の地に住むアイヌの人々と親しく交わり、彼らの民族調査に携わったポーランドの民族学者がいた。

1903年ごろのピウスツキ(函館で撮影、ブロニスワフ・ピウスツキ遺産研究所蔵)

ロシア皇帝アレクサンドル3世の暗殺未遂事件に連座し、政治犯としてサハリンに送られたブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918年)。流刑の地で先住民に出会い、持ち前の卓越した言語能力と心優しい性格で人々に迎え入れられ、言語や民俗に関する貴重な記録を残した。そんな数奇な人生に私は魅せられ、彼の足跡を40年近く追い続けている。

ピウスツキに関心を持ったのは1983年。彼がアイヌの人々のうたうカムィユカラ(神謡)などを録音した「蝋管(ろうかん)」がポーランドで発見され、北海道大学に運び込まれて話題になった。国内外の研究者の連携をはかるための組織が作られ、ロシア文化研究を志していた私も参加することになったのである。

ピウスツキの唯一の著書「アイヌの言語とフォークロア研究資料」(1912年)の序文に感動を覚えた経験も、研究の大きな原動力になった。

彼はそこで「この、全く異質な文明に侵略されて困惑している自然児たち(アイヌ民族を含むサハリン先住民のこと)と出会ったとき、私はすべての権利を剥奪され、生涯で最悪の時期を過ごしていたこの自分でも、まだ多少の力があり、人の助けになってやれることに気がついた」と述べている。

彼はロシア、日本という近代国家の統治に組み込まれて苦しむアイヌの人々の姿に、欧州列強の間で分割されいったん消滅した祖国ポーランドと自らの姿を重ね、深く共感したのだろう。

ピウスツキはアイヌの人々の権利を擁護した。アイヌの女性と家庭を持ち、子供ももうけた。

彼は1902年、サハリンに住むアイヌ民族の熊祭りに参加し、6日間にわたる詳細な記録を取っている。記録をまとめた論文には時折ピウスツキ本人が登場し、アイヌの人々と同じ扱いで祭りに参加していたことが分かる。

儀礼の直前にカメラを忘れたことに気づき、猛然とダッシュして宿所に取りに帰る自分の姿なども描いていて、ほほえましいくらいだ。学術論文ではめったに見かけない文体であるだけに、かえってライブ中継を見ているような感覚にとらわれる。

ピウスツキは現在のリトアニアに生まれ、ロシア、日本、ポーランド、フランス、イギリスなどに滞在したため、関連資料は各地に散在している。それを求めて旅をし、様々な国の研究者と出会い、情報を交換するのも楽しい経験だった。

サハリンのユジノサハリンスクにあるサハリン州郷土誌博物館の元館長、ヴラディスラフ・ラティシェフ氏の印象は特に強い。氏は20年近くピウスツキの研究紀要を発行し、手元の関連資料を惜しげもなく公開した。2007年に私が博物館を訪れた際もテーブルに本や雑誌を並べ「必要なものは全部持って行け」と勧めてくれた。ピウスツキを介して結ばれた世界中の"仲間"との絆は、私の人生の財産になっている。

長年の研究を昨年末にまとめ、「ブロニスワフ・ピウスツキ伝」(成文社)として刊行した。今年はピウスツキが調査を行った北海道白老町で、国立のアイヌ民族博物館「ウポポイ」が開館する予定だ。1世紀以上も前に東欧出身の民族学者とアイヌの人々の間に生まれた交流に、新たな光が当たればうれしい限りである。(さわだ・かずひこ=埼玉大学名誉教授)

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直木賞受賞作「熱源」

物語のスケール 圧倒

2020/2/15 15:30 夕刊 [有料会員限定]
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知らないことばかりだった。無名の人々が世代や地域を越えてつながる。そのスケールに驚く。

川越宗一氏の「熱源」(文芸春秋刊)

直木賞を受賞した川越宗一の「熱源」は史実に基づいた小説だ。明治の中ごろ、樺太を追われ北海道に移り住んだアイヌの人たちと、ロシアで革命運動に関わったリトアニア生まれのポーランド人民族学者が出会う。どちらも実在の人物だ。日清・日露戦争から世界大戦へと続く戦争の時代に、アイヌの人たちがどういう立場に置かれたか、樺太では何が起きていたかが生々しく描かれる。

最初は見慣れないアイヌ民族の言葉に読み進むのに苦労するが、そのうちに西郷従道が登場し歴史好きが親しんだ世界に戻る。一方、ロシアでは「ナロードニキ運動」(世界史で習った)が激化し、その影響がアイヌ民族に及んでいたことは発見だ。その後、物語は予想もしなかった方向に進む。

この小説の迫力は史料を読み込んでいることから生まれている。知られていない事実を掘り起こし、点をつないで物語にする。その先にロシア皇帝が登場し、アイヌ民族と日本、そしてポーランドが自然につながる。さらにアイヌ語の研究者金田一京助や南極探検に出た白瀬矗(のぶ)に至る。出会いとは面白い。

同時に、我々が抱える問題も連想させる。アイヌの人たちにとって「伝統を尊ぶ生き方が正しい」のか、「新しいことを学んで時代に適応して生き残るべきか」は、現代に通じる。文章から登場する人々への温かさが感じられ、「相いれない点があっても、個人同士ならある程度は仲良くなれる。それを基盤にすれば集団同士でもうまくやっていけるのでは」という川越氏の発言は問題解決へのヒントにもなる。

川越氏は1978年生まれ、大阪府出身。龍谷大学文学部史学科を中退後、バンド活動を経て通販会社に勤務。働きながら小説を学び、2018年デビュー作「天地に燦たり」で松本清張賞を受賞した。今作がデビュー2作目の超大型新人だ。「熱源」は見たことのない風景や聞いたことのない音楽が次々と出てきて、文章だけでは物足りなくなる。映像化を切に願う。

(日経BP総研 上席研究員)

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