京都 旅日記

気まぐれ京都旅。

方広寺、養源院

2016-11-23 20:47:00 | 2016 秋

方広寺

秀吉がこの地に大仏を建立したのですが何度も焼失し今では石垣が残るのみです。当時の敷地はとても広大で京都博物館や三十三間堂までだったそうです。

 

 

この鐘楼に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」を「家康の名を引き裂いて呪詛(じゅそ)するもの」 といいがかりをつけたのです。これによって始まったのが大阪の陣で豊臣家が滅亡することになりました(方広寺鐘銘事件)。大河ドラマ「真田丸」でも出ていましたね。 

 

 

白枠の中に「国家安康」「君臣豊楽」と刻まれていますが、よく見えません。

 

 

大仏殿の石垣跡(太閤石垣)

 

 

 

 

豊国神社 豊臣秀吉が祀られています。

 

 

 

 唐門(国宝)

 

 

豊臣秀吉の家紋、五七の桐

 

 

京都国立博物館 休館日で門が閉まっていました。

 

 

大仏の名が唯一残っています。

 

 

 

 

養源院

豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善供養のために創建しました。一度は焼失したが、淀殿の妹で、徳川秀忠の夫人であったお江の方(後の崇源院)の願いにより、伏見城の遺構を移築して再興されました。以降、徳川家の菩提所となり、2代秀忠から15代慶喜まで徳川幕府歴代将軍の位牌が祀られています。

 

 

 

本堂の廊下の天井は有名な「血天井」。
「血天井」は、血の染み込んだ板で作った天井です。豊臣方の武将・石田三成の軍勢が攻撃し、伏見城で力尽きた徳川方380余名は切腹、その冥福を祈るために作られたそうです。 

 

 

また、本堂には琳派 俵屋宗達の出世作の襖絵「松図十二面」や、白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵があります。その後、「風神図雷神図」屏風で有名になりました。 

 

 

 

 

 朱色の門は三十三間堂です。

 

 

 

 


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