落葉の積もる場所

- The way I was -
 

 遙かなる硫黄島  

2014年03月19日 | WEBLOG








     もしかしたら「CGCG日記」のとき書いたかも知れません。  (たぶん初投稿だとは思いますが‥)
                     

                                     私が呆けているのなら もう一度、読んでいただきたく存じます。


































































横浜に勤務していた1996年(ちっぷ37歳)の話です。




















隣りのプロジェクト・チームの部長(愛称Oちゃん)が私のチームの上司に、


   「悪いけど3ヶ月ほどちっぷを貸してもらえないだろうか」と相談しました。

  








否も応も無く、私は新規プロジェクトのリーダーに選ばれたのです。


















そのプロジェクト名は硫黄島給油部隊でした。









当然、会社にとっても初めての業務でした。








それも、10年前から石原慎太郎運輸大臣のところまで行ってお願いするような、


  大儀な仕事だったのです。































硫黄島(いおうとう)。




映画『硫黄島からの手紙』でも有名な、太平洋戦争の激戦地。












でも 私はどこにあるのかさえ、よくわかりませんでした。








































1回目の渡島は、O部長とふたりでの現地視察。







YS機




自衛官である若い女性がスチュワーデスを務めるYS機。


なんか すげーなぁ としか思えないシチュエーションでした。




















数時間で硫黄島が見えてきました。



硫黄島全景


























島の滑走路はきれいに整備されていて、 大変立派なものでした。




硫黄島地図
































島には隊員たちの寮(数百人用)を始め、


   (土産もある)売店、(簡素な)遊戯施設などがあります。



























荷役の打ち合わせなどを行ったあと、


   隊員有志による歓迎会が催され、


      釣りたてのシマアジなどをご馳走になりました。





























翌日は島内観光。


ジープに乗っかってぐるりと一周。










小さな島ですが、あちらこちらに戦争の傷跡がありました。

















硫黄島陥落










   

廃戦車1









廃戦車2




































その夜、


   「今日あたり月下美人が咲くかも知れません」という隊員の言葉に


                          ありがたく付いて行くこと30分。




















月下美人




         美しくも寂しい月下美人の風情に触れたのです。

























































































2回目の硫黄島は、 O部長・私、 


    そして実働部隊の人たち7名が輸送機に揺られて向かいました。










ベトナム戦争の映画でよく観るような座り方で現地へ出発です。





輸送機



























実働部隊の人たちは、横浜の有名なドヤ街で私がスカウトした人たちです。









要するに「約束を守るひとりの親方」には


     何名でも「よく働く男たち」を連れていける度量があるという事です。

























日当は、1名/1日あたり30,000円はくだらなかったと思います。




誰に、どう配分したかは親方にしかわかりません。     














































荷役自体は36時間も掛からなかったと思います。







実働部隊のメンバーはよく働いてくれたし、 自衛隊員もよく働きました。













































ただ一点、


   荷役中に小さな地ネズミを葉っぱの上に見つけて


        「可愛い」と喜んでいた私たちを睨みつけて、


             足で地ネズミを蹴り飛ばした自衛隊員。













どちらが正しいとは言えませんが。。。














































































そうこうして 私たちは無事に任務を終え、


     厚木の基地で「親方とその一行」に別れを告げたのです。














この時の、親方の涙は、生涯忘れ得ないものでした。













































































その後「硫黄島に行きたい」と、お調子者のK課長が私に取って替わったものの、


   親方との間に揉め事が絶えなかったそうです。      







































































































戦没者慰霊碑
















碑文


昭和20年2月19日、艦艇500、航空機1000余の掩護の下、
米軍は遂に硫黄島に上陸。

栗林忠道将軍・市丸利之助提督麾下の精鋭は縦横無数の地下壕に拠って、
地熱と渇水を忍び、
孤軍奮闘、圧倒的な侵攻軍の猛爆にも屈せず、これに大打撃を与え、
勇戦月余、矢弾尽き「皇国の必勝と安泰とを祈念」する訣別の打電を最後に玉砕した。

昭和43年6月26日、
小笠原諸島の祖国復帰を機として、
有志相計り護国の礎石となった2万余柱の忠霊の悲願に応え、
限りなき敬仰の至誠を以て、萬世の太平を祈る霊標とするために、
この山頂に存置された米国海兵隊の記念碑と並べて、本碑顕彰の建立を発願し、
大方の浄財と外務省・防衛庁等の協賛により、茲に所志を達成するを得た。


碑面の地図は挙国一体の熱誠をこめて、各都道府県から寄せられた献石による。






寡兵当大敵
孤島鬼神惶
千歳恩讐滅
丹心萬古香



昭和44年6月26日
硫黄島戦没者顕彰碑建立期成会


































































































二度と訪れることはないであろう、硫黄島。










                  どうもありがとうございました。