えんじゃけん

ゆとり教育4

昨日まで三日間、あるセミナーに参加していました。
そんな中で思ったこと。

ゆとり教育に関係した話が出てきました。
戦前の日本は修身教育というものがなされていて、
言われた事をやればいいという風潮があったそうです。
しかし、そういった教育が戦争を起こしたわけでもあり、
受け身である事をよしとする教育は今後続けてはならない、
ということで、子どもたちが主体的になれる授業を・・・と
して考えられたのが「社会科」なんだそうです。
戦後昭和22年のことでした。

「え?社会科?」と思う人も多いのではないでしょうか?
社会科と言えば、地理、歴史と何かと暗記ものというイメージが
強いと思います。
しかし、もともとの出来た志としては、子どもが活動すること、
経験する事で学ぶ教科として、今後の教育界に期待され誕生した教科なんです。
しかし、昭和55年制の教育制度によって、過程よりも結果を重視する
傾向になってから社会科は暗記ものというイメージが強まったのだそうです。

結果主義になってしまった教育に「このままではいけない」というので
生まれたのが「総合学習」です。
社会科をもとの主体的なものにするにはあまりにも暗記ものっというイメージが
強すぎるので、新たに「総合教育」といった今までにないものを作ったのだそうだ。

最近、叫ばれる学力低下。
そんな中でもやろうとしている子どもが主体となる調べ学習(総合教育)。
昔は基礎・基本、つまり知識・技能というものに価値があり、子どもたちは
それを意欲的に学び、そしてそれを応用する場が子どもたちにきちんとあった。
子どもたちは知識・技能が必ず役に立つと疑うことなく懸命に勉学に励んだ。
だから、学校は知識・技能だけ教えればよかった。
しかし、現代、情報化社会になってから、昔に言われていた知識というものは
価値観が低下しているのではないだろうか?だから、子どもたちは学ぼうと
しないのではないだろうか?という声があがっている。
別に知識を持ってなくてもインターネットとかで調べれば情報はいくらでも
手軽に手に入るからだ。
また、知識だけ子どもに与えても、今の時代はそれを応用する場というものがない。
だから、今の学校は知識・技能を教えるだけではなく、それを思考・判断・行動
できるように応用の場も提供しないといけない状況にあるのだという。

そこで思うこと。
「ゆとり」ということは確かに人間には必要。
ゆとりがなければ、なかなかいろいろなことに主体的にはなれないものだ。
けれど、物事に対して、思考・判断する術を知らない子どもたちに時間だけを
与えてもそれは無意味というものだろう。
だから、学校は子どもたちに、思考する術、判断する術を教えてく必要性がある
のだなぁと思った。
そして、知識に対する価値観の低下に対しては、子どもたちが行動して学ぶことに
よって、その中から調べて行くうちに知識というものの必要性を感じれたなら、
多分、昭和22年に目指した主体的に学ぶ子どもに近付けるのではないかと思った。

私は物の名前とか、事件の名前とかそういうものにはあんまり価値を覚えない方(^^;)。
けど、それはどうしてあるのか、どうして起きたのかっていうことには興味がある。
いろいろな過去のそういった知識は調べれば確かに分かるけど、それは
すごく直接的でそれ以上のひろがりを持てないように思う。
その他の全く関係のない知識が繋がって新しい何かを生み出すことだってあるけど、
本当に知識がなにもないとその調べた事のみでしか考えが広がらない。
だから、私はいろいろなパターンの知識ってものは頭の中にあることは大切だと思う。
思考していく上で。
それぞれのいろいろな知識が繋がって一つの考えまで持って行けた時、
とっても幸福感を感じる瞬間だと思います。
その幸福感を子どもが沢山感じることができれば、意欲に繋がるんだろうなぁ。

けど、物の名前とか、事件の名前とかももちろん大切だけどね(^^;)。
だって、人と話できないじゃん。
「ほら、あれがさぁ」とか「この前のほら」じゃぁ。
けど、実際、私はそうだったりするけど。
あぁ、もちろん、ものの名前にもどうしてその名がついたかって意味はある
からそこから思考が広がる事もあるんだろうけど、なんかね、苦手なのさ。

これからは何を基礎・基本とするのか。
そういったあたりもよくよく考えていかないといけないんでしょうね。
そして、ゆとりとはただ時間を与えればいいってもんじゃぁないってこと。
ちゃんと下地があってでないと子どもには無理だってこと。
そして、何よりも大切なのは、現状がやばいなら改革は必要かもしれないけど、
その改革の意図を全ての人に伝わるようにすること。
現場の人間が勘違いしていたら、いくら立派な改革だとしても無意味になってしまう。

どの世界でもだけど、バランスよくって本当に難しいなぁと思います。
教科書には削ったものがまた発展という形で登場する予定だし。
日本人の気質的に無理なのかな、主体的を目指すゆとり教育。
多分、根底の考えがしっかりしてないんだろうなぁ。
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