竹林亭白房

松葉(七代目松鶴)「遊山船」★落語

□本日落語三席。
◆三代目柳家権太楼「短命」(TBSチャンネル『落語研究会』)。
東京三宅坂国立劇場小劇場、令和元(2019)年7月23日(第613回「TBS落語研究会」)。

◆笑福亭松葉(七代目松鶴)「遊山船」(日本文化チャンネル桜『落語動画』)。
数日前に、六代目笑福亭枝鶴「遊山船」を聞いて、当人がこのネタを松葉に教わったと言っていたので、ある箇所についてそれを継承しているのだろうかと記した(https://blog.goo.ne.jp/chikurin0223/e/df6d16ce49ce23354e43cfbde56f82ba)が、ネット上でそれを確認することができた。

結果は「否」。松葉の「遊山船」は、ほぼ六代目笑福亭松鶴のものを継承したものだとわかる。してみると、枝鶴が演じていた「遊山船」のアレンジはたぶん当人が拵えたものではないかと。

それにしても、あらためて松葉の落語を聞いてみると、とても洗練された感じがする。師匠六代目松鶴がいかにも上方落語のもっちゃりしたテイストで演じるのに対して、師匠の落語の本質を受け継ぎながら、それをスタイリッシュに演じていたのが松葉ではなかったかという印象を受けた。

四十四歳で早世したというのがくれぐれも惜しまれる。もし存命だったら、七代目松鶴として、上方落語界でどんな存在になっていたものかと、いろいろな考えを思いめぐらせるものがある。
松鶴襲名は、実子の五代目枝鶴が継ぐとか、総領弟子の仁鶴が継ぐとか、迷走したが、この松葉が継いでいたら、何ごとも問題がなかったのだろう。結果、五代目枝鶴は廃業し、仁鶴はつい最近他界してしまった。今やもう松鶴襲名の話はほとんど出ることがない。いつか誰かが松鶴を継ぐのを、この目で見ることは難しいのか。

松葉が亡くなったのは平成8(1996)年。実のところ、このころ、自分はまだ落語を聞くという趣味をもっていなかった。だから、松葉の落語はそう多く聞いていないのである。
でも、いささかのタレント活動もしていた松葉だったから、その名前は知っていた。なので、松葉が他界したとき、家のごく近所の法善寺(ミナミの法善寺とは異なる)でその葬儀が営まれた日のことはよくおぼえている。もしあのとき、落語ファンになっていたら、遠巻きからでも葬礼を見送っただろうか。

◆『笑点』大喜利:五代目三遊亭圓楽(司会)/三遊亭小遊三・三遊亭好楽・林家木久蔵(現木久扇)・桂歌丸・三遊亭楽太郎(現六代目円楽)・林家こん平(BS日テレ『笑点 なつかし版』)。
後楽園ホール、平成12(2000)年12月24日OA(『笑点』第1746回)。
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