竹林亭白房

扇遊「崇徳院」★落語

□本日落語一席。
◆入船亭扇遊「崇徳院」(TBSチャンネル『落語研究会』)。
東京三宅坂国立劇場小劇場、平成31(2019)年4月22日(第610回「TBS落語研究会」)。
扇遊の「崇徳院」を聞くのは三度め。前二回のときは何もひっかからなかったと思うのだが、今日聞いたとき、おや?と思った。それは、若旦那と熊五郎とのやりとりで、若旦那が恋患いをしたというお嬢さんの素性を知らずに帰ってきたという話をしていなかったことである。
熊五郎は、ただ若旦那の病が恋患いだということだけを聞いて、それを大旦那に報告し、じゃあ、熊五郎がそのお嬢さんをさがしに行くという展開になる。

「崇徳院」という落語をさんざん聞いている向きには、若旦那がお嬢さんの素性を知らずに帰ってきたのだという噺を知っているので、自分の知識でそこを補えるのだけれど、もし初めてこれを今日のようなかたちで聞いたら、どうだろう違和感はないのだろうかと思った。
扇遊は、いつもこういう型で演っているのだろうか。前二回をおぼえていないので、なんとも言えない。ちなみに、今日聞いたとき、あれ?しくじってとばしてしまったのかなと思ったが、まさか大師匠がそれはないかと。

ネットで、十代目金原亭馬生と三遊亭小遊三の「崇徳院」がすぐ聞けたので確認してみると、この二人は、いちおうちゃんと素性を知らずに帰ってきた話を入れていた。ただ、上方落語「崇徳院」とくらべると、その素性云々の件(くだり)はずいぶんとあっさりしているなとは思ったが。また、東京落語で「崇徳院」を聞くときは注意しておこう。

なお、十代目金原亭馬生では、若旦那とお嬢さんが出逢うのが向島へ花見に行ったときだとしてあった。ここは上野の清水寺へ参詣に行ったときと演るのがふつうではないか。今日聞いた扇遊も小遊三もそうだった。東京落語「崇徳院」では向島の花見という型もあったのだろうか。上方「崇徳院」だと、ここは誰が演っても高津神社でぶれはない。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る