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ひろしとのぶことミー子の日々。

梔子(くちなし)の花

2008年06月30日 23時28分16秒 | Weblog
            

もう今日で 一年の半分が過ぎてしまった。

朝 めざめていつものようにカーテンをひき 窓から庭をながめると 白い色が目に飛び込んできた。

くちなしの花が咲いている!

ご近所の庭や町を走っている時 あちこちでもうずいぶんと前からくちなしの花の白い色が目立っていた。

この季節 紫陽花が色とりどりに咲くなかで くちなしの花のひときわ白い色が梅雨空にふさわしく印象的。

くちなしの花の時期がきたというのに 我が家の庭の一番奥にある くちなしの花  今年は花をつけないのだろうかとあきらめていたら 6月の最後の日にやっと花を咲かせてくれた。

♪ くちなしの花の~♪
30年くらいも前?よく口ずさんだ歌

くちなしの花といえば この歌が浮かび なんだかさびしげな花と思っていたら
花言葉は 「優雅  清楚  とても幸せ よろこびを運ぶ」
  

             

蕾はまったく葉の色と同じ 近づいても気がつかないくらいの色 だから 蕾がついていることを知らずに 今年はくちなしの花 咲かないのだなとあきらめていた。

かすかに甘い香りをただよわせている。

清楚な真白い花 この花から あのおもしろいかたちのくちなしの実の姿が想像できない。

でも果実はくちなしの実として 飛鳥時代から黄色の染料につかわれていたし 食料の色付けにもくちなしの実は重宝。
漢方でも 消炎 解熱剤に使われるとか。

もしかしたら 花よりも 果実の実用性が重んじられていたのかもしれない。

だって くちなしという名前も 熟しても実が裂けないことから 口無なし くちなし になったというから。


   今朝咲きしくちなしの又白きこと    星野立子








            













梅雨晴間

2008年06月28日 23時45分57秒 | Weblog
             

昨日は月に一度の 吟行の日 加太の淡嶋神社へ。

雨おんな を自称される 主宰のS子先生  でも[梅雨晴間] という季語にぴったりのめぐまれた天気だった。



加太へは ひろしとよく出かけるけれど その時は車で海岸沿いに走ってしまう。

吟行ということで 加太の古い町並みの加太街道を歩く。

あ! ツバメの子!
街道沿いの家の玄関の外灯の上にツバメの巣  え?もしかして親鳥?
って思うくらいの成長し しっかりしたつばめの子

5月ころの一番子 7月ころの二番子 って ツバメの雛は呼ぶけれど ・・
この子たち 一番子のもうすぐ巣立つ子たちかな?

     漁港へと細き街道燕の子      のぶ子  

加太淡嶋街道沿い 昔から蓬もちのおいしい店の前を通る。

戦後 青島からひきあげてきて小学時代を少し加太ですごした ひろしの大好きな店   今日はお留守番の彼のために はやばやと おみやげに あんこ入りの蓬もちを買った。


            

女の神様の信仰厚い 淡嶋神社へ。

本殿のまわりは納められた 人形たちがたちならんでいる。

階段脇  海桐の木 海桐(とべら)の実が青々と・・・・海辺に建つ神社らしいなあと思った。
この青い実がやがて秋になると熟して三つに割れ中から小さな赤い実がたくさん飛び出てくる。

             

仲間たちが寄って 「この花の名前 ままこのしりぬぐい 」

継子の尻ぬぐい  って なんてかわいそうな名前!
こんなにかわいい花なのに!

茎に花の可憐さに似合わない強いとげがついていて ちょっと触れるだけでも痛いから・・・・
継母が継子のお尻をこれでぬぐう  なんて 残酷な発想だこと!



ままこのしりぬぐい  なんて 句はつくれないなあー
季語にあるのかしら?
俳句17文字に 花の名前に9字も使えないしね。

さすが俳人たちの会話です。

このかれんな花 ネーミングにはどうしても とげのほうが強調されるらしい。
家に帰ってから しらべてみると 長崎県の対馬地方では よめのてぬぐい って呼ぶんですって。

現在では想像もつかない 嫁と姑 の関係 姑のよめいびり のイメージからつけられた名前  いずれにしても 花には気の毒です。

   海峡を過ぎ行くタンカー梅雨晴間     のぶ子



半夏生草(はんげしょうそう)

2008年06月24日 23時53分53秒 | Weblog
           

朝の庭 はやくから日が射して 半夏生の白が一段と目立っている。

花が少なくなって さまざまな草木の緑が多くなる この季節のうちの庭にこの花の 白い色がうれしい。

二十四節気の夏の節気 夏至の第3候 を 半夏生(はんげしょう) 夏至の日から11日め
今年だと7月2日から5日間かな

半夏生のころに 茎の先の葉が2・3枚白色に変化して花がさきはじめることから 半夏生(はんげしょう) という名前がついたという説

白い穂状の花が咲く頃 そのまわりの葉が白くなるけれども この葉の裏は緑色のまんまなので半分だけお化粧をしたようだと 半化粧(はんげしょう)とか片白草(かたしろくさ)という名前がついたという説。
  
 
           
        
ドクダミ科のこの植物  毎年梅雨のころの庭に 緑と白のコントラストで目立つ。
でもよーく見ると  花は 白といえども 地味なちいさな目立たない花

そこで虫をよぶために 葉を白く変えて目立つようにしているのだとか・・・植物って不思議です。

本来は水辺の花  鉢植えの我が家では 一生懸命水やりをしています。


  

泰山木の花

2008年06月22日 20時56分35秒 | Weblog
            

2階の踊り場の窓から 隣家の庭がのぞまれる。
うちの屋根のむこうに 泰山木の白い花が葉隠れにみえている。

泰山木の花を写したいと思っても 公園の樹は高いし 花は大きな葉に隠れがち・・
やっぱり 窓から屋根に上ってみよう。

窓をくぐって屋根に出た。

こちらからは見えなかったけれど 屋根にでてみると ちょうどこれから開くようなおおきな蕾が目のまえに。
よかった!きれいなつぼみ!

気がつくと 知らぬ間に みーこが私のそばに。

おまえはいつも屋根の上が好きだもんね。
私もこの場所 気にいったよ。

屋根の上って 窓から眺めるのとはちがう なにか開放感のある眺め。
足のうらには少し瓦のぬくもりがあり 風も心地よいんだもん。

            

今年 お隣の泰山木 花つきが悪いよう。
離れたところに 葉隠れにひとつ咲いているけれど 屋根の勾配があってちかづけない。

     泰山木葉がくれに見ゆ一花かな     のぶ子




一昨日の夜 近所のSさんの奥さんが駆け込んできて 「主人が急にはげしい めまい がするというので 近所の病院まで乗せてって」と。

私は ひろしが脳梗塞の発作がでたとき ほんとうに知識がなくて まず近所の病院と思って対応 時間的に手遅れになった反省があったし このご主人は透析を受けている状態だから

「やっぱり救急車がいいよ!」

救急車を呼んだ。
住所とか名前を告げ 状態を言ったあと 「すみませんがサイレンを鳴らさないでくださいませんか」と言っている。

「「救急車ですから サイレンは鳴らします。」って 言われたわ」

こんなときもやっぱり ご近所を騒がせたくないって 思ってしまうものなのだ。
実は 私も救急車を呼んだとき 「サイレンをならさないで」って言ってしまったけ。

日赤病院へ 救急車で運ばれ ちょうど 医師もMRIの技師もそろっている時で いろいろ検査を受けることができたけれど めまいの原因は 腎臓の透析を受けている状態からくる ものだったらしい。

救急車の患者の引き受け病院がなくて たらい回しにされたというニュースとか 救急車の利用の仕方とか 問題になっているけれど やっぱりこんなとき 救急車が頼りの綱だと思う。

和歌山ではまだすぐに対応してくださる状態のようで ほっと一安心。

Sさんからは「救急車でって 言ってもらってよかった。思いつかなかったもの」と感謝されたけれど 私も ひろしの最初のときは 救急車をよぶことなんか思いもつかなかった。

5年前 ひろしの2回めの発作のときに はじめて救急車をおねがいしたのだった。

救急車による救急医療の完備はやっぱり 私たちのくらしにとって心のよりどころ。
急病のときはいつでも受け入れていただけるという安心感は絶対にほしいものだと考えさせられたことでした。



廃墟 チェルノブイリ

2008年06月20日 22時36分09秒 | Weblog
                    

旧ソ連ウクライナ共和国で チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故からはや22年
日々の世界のめまぐるしい変化の中で人々の記憶の中から忘れ去られようとしているこの一瞬にして廃墟と化した町 失われた町 チェルノブイリ。

その時点で 時間が止まってしまったかのようなチェルノブイリの今の姿を追ってフアインダーをのぞき 「廃墟 チェルノブイリ」 として写真とその 思いをつづった 写真集が 二見書房から 出版されている。

彼がチェルノブイリを訪れた晩秋の赤い光のなか  あの爆発事故がなければ  5日後に開園の予定だっという遊園地の一度も子供を乗せることが無かった観覧車の写真 市民ホールのグランドピアノ 音楽室のレコード・・・その瞬間まで抱かれていたであろう人形などの写真

そこからは いろんなドラマ ストーリーが思い浮かんでくるような写真集。

            

今週発行の 週刊文春 のうしろのグラビアにも 取り上げられている。

22年後のチェルノブイリの町は その建物より高く成長したポプラに覆われ りんごの実がたわわにゆれているけれど ガイガーカウンター(放射線測定器)が時々鳴り出すその町はいまだ放射性物質に汚染され 人間の立ち入りは 規制 禁止されているという。

22年を経てなお人を拒絶する町 チェルノブイリ  人々から忘れ去られていく町チェルノブイリをどうしても撮りたいと家族を説得し でかけた男  

実はこの写真集 息子の作品です。

よろしかったら 手にとって みてやってください。
本日は 親ばかをさせて頂きました。すみません。


いただきもの

2008年06月19日 23時04分28秒 | Weblog
            

定年退職後 夫が家庭菜園に励んでいるという友人から 「出来すぎて 毎日10本きゅうりばっかり食べられないから・・人参も一緒に 助けてね」

家庭菜園 30年以上の 妹からは 「虫食いだけどうまいながどんどん育っているから どーぞ」

近所の方からは「知人から 少し傷ついているけれどと言ってたくさんトマトをいただいたので おすそわけ」


            

ゆうがた いとこから ご主人が 紀伊田辺の海で釣ってきたということで 大きな うまづらはげ と いさぎを届けてくださった。

なんておおきな うまづらはげ!
直径35センチのお皿からはみだしている 大きさ!


なんてしあわせな 食の日

今 「地産地消」といって 地域生産 地域消費(地域でとれた生産物を地域で消費する)を推奨する傾向にあるけれど

本日の食材は まさしく 生産者の顔が浮かぶ ものばかり。
生まれも 消費も 和歌山県  「地産地消」しかも いただきものばかり!

一番の贅沢かもしれない。

これらの食材からの 本日の我が家のメニューは?

ご想像にまかせますが うまづらはげ は教えていただいて はじめて ふぐのように うすづくり にしていただきましたよ~。ああ おいしかった!


ごちそうさまでした。


沙羅(しゃら)の花

2008年06月18日 22時47分33秒 | Weblog
            

近所だけれど 普段あまり通らない道のお家の玄関先に 沙羅の木をみつけた。
門の外から見上げると たくさんの花 そして蕾

インターホンを押して 「明日の朝 この沙羅の花を写真にうつさせていただきたいのですが・・・」と。

ひとりくらしの年配の女のかたのお住まいだということは知っていた。
「明日は早朝から出かけていますが 門扉をあけておきますから どうぞ 写してください」とのこと。


            

沙羅の花は 朝にひらき 夕べには花 落ちる一日花

あくる朝 そっと門扉をあけると 沙羅の木の花も蕾もついた小枝を何本もバケツにさして 「もし よろしければ お持ち帰りください。 次々咲けばよろしが・・・」と
そえてくださっていた。

朝の光のなかで 今朝ひらいたばかりの花を写させていただいた。


 

 沙羅の花を透けてきたりし光かな     のぶ子

 
               

沙羅の花の蕾がまたなんとも言えずかわいい。
真珠の大きな玉のようなほんのりとした色合いとかたち  開いた花は一日で散ってしまうけれど 蕾はゆっくりとふくらみゆっくりと花ひらくその時をまっているようだ。

沙羅の花は 学名 夏椿 夏に咲く 椿によく似た花ということらしい。

沙羅の花には いろんな説があるけれど 私は  お釈迦様の涅槃に入られるときの沙羅双樹も 平家物語の 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわり を・・・」の沙羅双樹も この沙羅の花のことだと思っていようと思う。


            

遠慮なく 花をいただいて帰り さっそく 花瓶に生けた。


            

みーこもいっしょにすまし顔。

開いた花は ぽろりと一日で落ちるけれど 小枝の蕾は 花瓶に生けられたままで あくる日から つぎつぎと開いて 毎日沙羅の花をたのしませていただいた。

主の粋なはからいのおかげで 部屋のあちこちに生け また訪れてみえた人たちにも 沙羅の花を目のあたりに見てもらうことが出来ました。

今日 遊びにやってきた娘 「私にも写真を写させて~」としばし沙羅の花を見つめていた。


            





初夏の白崎海岸

2008年06月17日 23時43分29秒 | Weblog
            

梅雨の晴れ間の大切な一日
もっと洗濯をしたいけれど どこかへお出かけしたそうな ひろし

思い切って 白崎海岸まで走ろうか!

由良港を過ぎて山を越え集落を抜けると ぱっと目の前の海の風景が一変 はるか紀伊水道をながめる勇壮な海 紺碧の海

そして石灰岩からできた白い岬 白い岩 白い小島が浮かぶ白崎海岸
「やっぱり思い切って出かけてきてよかったね」

 海原(うなばら)はなぎしずまりて白崎の神のいはほにあさひてりくる  

と歌人の岡野弘彦 の歌にあるような景色がひろがってくる。

            

岩門をおもわせるような立巌岩(たてごいわ)
波にくりぬかれた大きな穴のむこうに ひろがる海
いつ来てもこの岩の前で いちど車をとめてながめる。

万葉の時代 海路をゆく船人の目には この真白い岬 海岸は印象深かったことだろう 

 白崎は 幸(さき)くあり待て 大舟(おおふね)に ま梶しじ貫き またかえり見む   と 万葉集にある。

持統天皇の一行が白浜への行幸の途中に 詠んだ歌。ここを通りすぎてゆく旅人が美しいというより神秘的であったろう白い岬によびかけている。

白崎はどうか無事でまっていてください。船の両側に梶をいっぱい貫ぬきならべて
私も無事に帰ってきて白崎をながめよう。



白崎海洋公園は ダイビングの若者たちでにぎわっていた。
夏の白崎は若者の海になっているようだ。

車椅子での登場はちょっと場違いの感じだった。

           

海岸沿い 明日葉(あしたば)が びっくりするほど丈高くのびて 花(?)をさかせていた。
黒潮のながれくる海の力強さ ひかりの強さ が植物にも感じた。

ここはもうすっかり夏。
もうすぐ 浜木綿の花も咲き始めることだろう。

            

柿の葉草(かきのはぐさ)

2008年06月14日 23時29分57秒 | Weblog
            

「柿の葉草(かきのはぐさ)を見つけたよ。せっかくだから写して帰ったら」と親切に地図までかいてくださった。

方向音痴の運転だし まっすぐでもややこしい運転の私 果たして見つけられるかな と思いながら 地図をみながらゆっくりと走った。

「わたしは運転しているから 見つけてね!」

「あ! オレンジ色が見えたよ」

その葉っぱが柿の葉に似ているから 名ずけられたという柿の葉草(かきのはぐさ)という名前 
私はつい 柿の葉鮨(かきのはずし) って 言ってしまったよ。

はじめての植物の名前って覚えにくいけれど 大好物の柿の葉鮨によく似た名前 柿の葉草はもう忘れないよ と言いながら ・・・・・・

花もなんだか柿の実の色  落ち葉の中にひっそりと咲いていた。



柿の葉草は 東海道 近畿地方の山地にのみ咲く めずらしい山野草だとか・・

山野草に魅せられたとはいえ こんな小さな花を 山のなかで見つけることが出来た Mさんにびっくり そしてまた 教えてくださったことにも感激した。

今度はいつ眺めることが出来るかもわからないから・・・・林のしじまの中 屈んでしばらく 見詰め合っていたよ。

最近では 珍しい山野草をみつけると すぐに折ったり 根こそぎ掘ったりする人がふえているという。
どうか そんな人たちに見つからずに 咲いていなさいね。そして 来年もここできっと会おうね。

大山蓮華(おおやまれんげ)

2008年06月13日 10時51分46秒 | Weblog
           

高い木立の中 かすかに木漏れ日がさす所に 長い間のあこがれの花 大山蓮華が咲いていた。
咲いていたというより 大自然の中 大切に見守られていたという感じがする。

ややうつむきかげんに咲く 白い花 かすかな香り

奈良県の大嶺山に自生している 蓮の花に似た花 ということから 大山蓮華(おおやまれんげ)
また 深山幽谷にのみ咲く花ということから 深山蓮華(みやまれんげ) とも。



           

修験者しか通らないくらいの山中にひそと咲き その気品 気高さから 天女花 ともよばれ 古い時代には 特別な茶席の貴重な茶花でもあったという。

静かな 緑陰の中 大山蓮華をめでることができ こころ震えるようなうれしさ。

かすかな日の光に いっそう美しく その白さは神秘さを漂わせていた。 




玉のような蕾 花びらの分け目もわからないほどにむっくりとしたかたち

この静けさの中 ゆっくりと花ひらいてゆくのだろう。
そして ひらいた花のいのちは たった一日。

花言葉 変わらぬ愛  


           

葉陰にうつむきかげんに咲いている花の奥から 紅色の雄しべがのぞいている。
花びらに 包み込まれているような 鮮やかなちいさな紅色。

うっとりとしていると ご主人が「せっかくここまで来ながら 花をみることが出来ないで 車で待っているのはあまりにも気の毒!」と ひろしのために 一枝 一輪の大山蓮華を切って くださった。

大切な 大切な花を 惜しげもなく切ってくださって ほんとうにありがとうございます。
ひろしは花の一枝を 手に持って かおりを感じ 花びらを頬のふれさせて 感謝 感謝。

いつもながら やさしいご主人のこころにふれ 大山蓮華の花とともに 忘れ得ない一日となりました。