
パシフィックホテル(通称:パーク)について語ろう。
加山雄三の父である上原謙が1965年に設立したこのホテルは、湘南最大の高級リゾートホテルであり、茅ヶ崎のシンボルとも言える建物だった。
その建物は134号線とラチエン通りの交差するカドから一中通りまであり、客室のほかに、バーやレストラン、ショッピングアーケード、屋内・屋外プール、ボウリング場なども併設する、リゾートホテルのパイオニア的な豪華なホテルであった。
東京からも芸能人をはじめとするお金持ちと、地元湘南の有閑マダムが集う、社交場だったらしい。
私の記憶があるのは、開業してから十数年経過して若干さびれてはいたが、それでもそれなりに高級感はあった。
たまに、おとんとおかんの機嫌のいい週末は、ホテルのレストランでブランチをとったり、お茶をしにいって、ちょっとしたお金持ち気分を味わったものだ。
しかし、その高級路線が裏目に出て経営は悪化し、結局あの横井英樹氏の手に渡ってしまい、最終的にはバブルの崩壊が原因だったのか、ホテルニュージャパンの火災が原因だったのか、1988年に営業停止してしまった。
その後は、廃虚のまま10年近く放置され、近隣の住民から治安の悪化と崩落の危険性から、茅ヶ崎市と所有者に対して取り壊すような運動があった。
その後マンションになるとわかると、今度は建設反対運動がおきていた。(-_-;)
うちのおかんも参加してたかも。。。。
現在は南欧風の高級マンション「パシフィックガーデン茅ヶ崎」になり、昔の面影は名前だけとなった。
P.S
パシフィックホテルがなくなる数年前、伊豆大島(三原山)で噴火があったとき、10階のレストランに家族で双眼鏡を持っていって、興奮しながら見た。夜だったのだが、火柱がくっきり見えた。
加山雄三の父である上原謙が1965年に設立したこのホテルは、湘南最大の高級リゾートホテルであり、茅ヶ崎のシンボルとも言える建物だった。
その建物は134号線とラチエン通りの交差するカドから一中通りまであり、客室のほかに、バーやレストラン、ショッピングアーケード、屋内・屋外プール、ボウリング場なども併設する、リゾートホテルのパイオニア的な豪華なホテルであった。
東京からも芸能人をはじめとするお金持ちと、地元湘南の有閑マダムが集う、社交場だったらしい。
私の記憶があるのは、開業してから十数年経過して若干さびれてはいたが、それでもそれなりに高級感はあった。
たまに、おとんとおかんの機嫌のいい週末は、ホテルのレストランでブランチをとったり、お茶をしにいって、ちょっとしたお金持ち気分を味わったものだ。
しかし、その高級路線が裏目に出て経営は悪化し、結局あの横井英樹氏の手に渡ってしまい、最終的にはバブルの崩壊が原因だったのか、ホテルニュージャパンの火災が原因だったのか、1988年に営業停止してしまった。
その後は、廃虚のまま10年近く放置され、近隣の住民から治安の悪化と崩落の危険性から、茅ヶ崎市と所有者に対して取り壊すような運動があった。
その後マンションになるとわかると、今度は建設反対運動がおきていた。(-_-;)
うちのおかんも参加してたかも。。。。
現在は南欧風の高級マンション「パシフィックガーデン茅ヶ崎」になり、昔の面影は名前だけとなった。
P.S
パシフィックホテルがなくなる数年前、伊豆大島(三原山)で噴火があったとき、10階のレストランに家族で双眼鏡を持っていって、興奮しながら見た。夜だったのだが、火柱がくっきり見えた。