今朝知ったのですが…
King of Pop と呼ばれていたマイケル・ジャクソン(享年50)が、
自宅近くのロサンゼルスの病院に呼吸停止の状態で運ばれ、
現地時間の午後2時26分に死亡が確認されたそうです。
色々お騒がせのマイケルでしたが…
洋楽を聞かない人でも、マイケル・ジャクソンの名前は知っていると思います。
1972年2ndソロアルバムとして発売された『ベンのテーマ』。
『ウイラード』と言う映画の続編、『ベン』と言う映画の主題歌として使われています。
少年とネズミの友情をテーマにした内容で、今でもとても好きな映画の1つで、
まだ色も黒く団子っ鼻の14歳の少年マイケルと、主役のネズミがジャケットを飾っています。
次に私が、マイケルの音楽を耳にし始めたのは、
1979年発売の『オフ・ザ・ウォール』と言うアルバムからです。
この中に「ガール・フレンド」と言う曲が入っているのですが、
私が大好きな、ポール・マッカートニーに曲を書いてもらった歌です。
この事が切っ掛けとなり、マイケルがコラボを打診し、
結果1982年アルバム『スリラー』の中で『ガール・イズ・マイン』と、
翌1983年ポールのアルバム『パイプス・オブ・ピース』の中で、
『セイ・セイ・セイ』と『ザ・マン』の2曲を発表しています。
(レコーディングは、全て1981年末)
*マイケルがポールにコラボを打診した理由の1つとして、1981年にスティーヴィー・ワンダーとデュエットした
『エボニー・アンド・アイボリー』をあげ、「スティーヴィーとデュエットするなら自分ともして欲しい」と
ポールに迫った…と言う逸話が囁かれています。
そして、『スリラー』。
1982年12月1日発売でしたが、このレコードには想い出があります。
翌月の誕生日に、発売後ずっと欲しがっていた私に姉がプレゼントとして買ってくれました。
当時、通常盤とデジタル何とかされたお高い盤の2種類があったのですが、
姉にどちらが良いか聞かれた時に、初めは通常盤を選んだのですが…
短大生だった姉は「後で後悔しないね?」と私に問い、
オズオズと高い方に変更した私を横目に、苦笑しつつもレジでお金を払ってくれました。
このアルバムは、数あるマイケルのアルバムの中でも一番印象に残っていて、
全曲捨て曲がない、と言っても過言ではないと思います。
(ビート・イットもビリー・ジーンも入ってるし!!)
そして、圧倒的なのがPV(プロモーション・ビデオ)。
もの凄い衝撃でした。
今でもアメリカかどこかの刑務所の更生プログラムの一環として、
囚人の方々が全員で『スリラー』の振り付けを覚え、集団パフォーマンスをするらしいです。
後年は、ビートルズの版権問題でポールがコンサートで曲を演奏出来なかったり、
少年問題の訴訟や色々な騒動で、音楽活動をあまりしていませんでしたが、
類いまれな才能の持ち主である事には変わりはありません。
音楽界においてまた1人、希少な人物が50歳と言う若さで去ってしまいました。
ご冥福を祈るとともに、素晴らしい音楽を残してくれたマイケルに、
心から有り難うと言いたいです。
どうか、安らかにお休みくださいます様に・・・
King of Pop と呼ばれていたマイケル・ジャクソン(享年50)が、
自宅近くのロサンゼルスの病院に呼吸停止の状態で運ばれ、
現地時間の午後2時26分に死亡が確認されたそうです。
色々お騒がせのマイケルでしたが…
洋楽を聞かない人でも、マイケル・ジャクソンの名前は知っていると思います。
1972年2ndソロアルバムとして発売された『ベンのテーマ』。
『ウイラード』と言う映画の続編、『ベン』と言う映画の主題歌として使われています。
少年とネズミの友情をテーマにした内容で、今でもとても好きな映画の1つで、
まだ色も黒く団子っ鼻の14歳の少年マイケルと、主役のネズミがジャケットを飾っています。
次に私が、マイケルの音楽を耳にし始めたのは、
1979年発売の『オフ・ザ・ウォール』と言うアルバムからです。
この中に「ガール・フレンド」と言う曲が入っているのですが、
私が大好きな、ポール・マッカートニーに曲を書いてもらった歌です。
この事が切っ掛けとなり、マイケルがコラボを打診し、
結果1982年アルバム『スリラー』の中で『ガール・イズ・マイン』と、
翌1983年ポールのアルバム『パイプス・オブ・ピース』の中で、
『セイ・セイ・セイ』と『ザ・マン』の2曲を発表しています。
(レコーディングは、全て1981年末)
*マイケルがポールにコラボを打診した理由の1つとして、1981年にスティーヴィー・ワンダーとデュエットした
『エボニー・アンド・アイボリー』をあげ、「スティーヴィーとデュエットするなら自分ともして欲しい」と
ポールに迫った…と言う逸話が囁かれています。
そして、『スリラー』。
1982年12月1日発売でしたが、このレコードには想い出があります。
翌月の誕生日に、発売後ずっと欲しがっていた私に姉がプレゼントとして買ってくれました。
当時、通常盤とデジタル何とかされたお高い盤の2種類があったのですが、
姉にどちらが良いか聞かれた時に、初めは通常盤を選んだのですが…
短大生だった姉は「後で後悔しないね?」と私に問い、
オズオズと高い方に変更した私を横目に、苦笑しつつもレジでお金を払ってくれました。
このアルバムは、数あるマイケルのアルバムの中でも一番印象に残っていて、
全曲捨て曲がない、と言っても過言ではないと思います。
(ビート・イットもビリー・ジーンも入ってるし!!)
そして、圧倒的なのがPV(プロモーション・ビデオ)。
もの凄い衝撃でした。
今でもアメリカかどこかの刑務所の更生プログラムの一環として、
囚人の方々が全員で『スリラー』の振り付けを覚え、集団パフォーマンスをするらしいです。
後年は、ビートルズの版権問題でポールがコンサートで曲を演奏出来なかったり、
少年問題の訴訟や色々な騒動で、音楽活動をあまりしていませんでしたが、
類いまれな才能の持ち主である事には変わりはありません。
音楽界においてまた1人、希少な人物が50歳と言う若さで去ってしまいました。
ご冥福を祈るとともに、素晴らしい音楽を残してくれたマイケルに、
心から有り難うと言いたいです。
どうか、安らかにお休みくださいます様に・・・