「ごめんくさい」
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Charley Patton
Son House
Wille Brown
Louise Johnson
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1930年5月28日 水曜日 ウィスコンシン州グラフトン 。 ブルースの原型がアメリカ大陸に芽吹いてからおよそ40年後、 この伝説のセッション録音にて、デルタ・ブルースの金字塔が打ち建てられます。
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阿呆烏にとって、ブルースっちゃー、まずはデルタ・ブルースなんすよねぇ。
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デルタ地方といっても、テネシー州メンフィスから、ミシシッピ河下流域の広大なエリアですが、デルタ・ブルースの創始者チャーリー・パットンが、そのスタイルを築いたドッケリー農場は中央部にあたります。 聖地ドッケリー農場を中心に、季節労働者の移動とともにそのスタイルは周辺地域に伝播していき、そのエリアごと、さらには、プランテーションごとに独自のスタイルが形成されていったようです。
他のカントリー・ブルースと比べたデルタ・ブルースの特徴は、ケタ違いに重厚、強靭なビートと、唸り...絞り出し...時に泣き叫ぶようなヴォーカル・スタイルにあると思います。
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このアルバムに収録されている
ルイーズの『On the Wall』にしても、
サンの『Prreachi' the Blues』にしても、
ウィリーの『Future Blues』(←一推し!)にしても
チャーリーの『Moon Going Down』にしても、
そこから聞こえるのは、壮絶なまでに力強いヴォーカルとビート。
都会には、恐慌の嵐が吹き荒れ、録音の前年には、デルタ地帯もひどい旱魃に襲われるという、過酷すぎる日々のなか、自分たちが生きていた証をレコードに吹き込んだんでしょうなぁ。 ま、本人達にとっちゃ、レコード売ってひと山当てたろ、とか、 もっと、お洒落な服着たいわ、とか、 きれいなネーチャンたくさん侍らしたるぞ、とか、 もっと切羽詰まってて、明日のメシ代前借りできねぇかな...とかだったんでしょうが。
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終わりに、60年代のブルース・リヴァイヴァル以降、伝説のブルース・マンとして崇め奉られる彼らですが、阿呆鳥が一番ブルースを感じる、それぞれの人生の幕引きをCDのライナーノーツからそのまんま引用、
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このセッションのあと、ルイーズはアーカンソーへ移ったようだが、サン・ハウスも30年代を通じて1回しか会わず、そのあと行方不明、 パットンはほどなく死亡、 サンとウィリーは同じエリアで演奏を続け、そこからロバート・ジョンソンの出現を促す。 ウィリーは死の直前、ニューヨーク州ロチェスターに移り住んだ親友、サンを訪ねるが、ホームシックから帰郷、 1953年1月に死亡。 ウィリーの死でサンは完全にブルースから足を洗ってしまうが、60年代に再発見されデルタ・ブルースの生神となるも、1988年10月に86才の大往生を遂げたのだった。(文 日暮泰文)
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